前回で十条逍遙の記事は終わりですが、
せっかくここまでアップしてきたので、
ついでに赤羽もアップしようと思います。
というのも十条に隣接する赤羽の西側の丘陵一帯にも、
兵器を調達する兵器補給廠や、
軍服から防毒マスクなども扱う被服廠の他、
練兵場、射撃場、火薬庫等、
十条~板橋の造兵廠にたがわぬ規模の陸軍施設があったからです。
ただ十条~板橋よりも当時の遺構はかなり少なく、
競技場や団地としてその殆どが転用されています。
そのなかの一つ、
被服廠の広大な跡地に昭和三十八年 (1963) 作られた赤羽台団地は、
当時都内一の規模のモノでした。→Mapion
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団地は一度も住んだことがないので、
団地住まいというのがどういう感覚かはわかりませんが、
軍艦島の団地を知ってから、
団地的な集合住宅に興味を持つようになりました。
といっても別になにか調べたりするわけでもありませんが・・・
ただ小学校の頃、団地の友達の家を訪れると、
なにかちょっと他とは違う感じだったのを思い出します。
そんな特別な感情を持たせてくれた団地が、
ここには沢山残っています。
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団地内の道は、一応公道なんでしょうが、
やはり団地の敷地内ということもあってかとても静かで、
車通りも他と比べるとかなり少なく、
全体的にすごくいい雰囲気です。
さらにこの団地にはスターハウスと言われる放射状の棟も沢山あります。
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以前アップした原宿団地にも2棟ありましたが、
この赤羽台団地には、正確に数えてませんが8棟位あり、
しかも全てが敷地の東端、赤羽丘陵のへりに沿って建っているので、
上階の部屋からの眺めは相当よさそうです。
団地の話はこれくらいにして、
この団地の西のはずれにかつての軍用鉄道の名残があります。→Mapion
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以前はレールの一部が残っていたそうですが、今ではもうそれもなく、
かつての軌道跡に鉄路をデザイン化した煉瓦が施されているだけです。
ほんの短い区間の線路跡をたどると、
やがて赤羽自然観察公園に出ます。→Mapion
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Mapionで見てもわかるとおりかなり大規模な敷地ですが、
これは被服廠に隣接してあった兵器補給廠の一部の転用です。
それにしてもこの自然観察園、かなり「自然」です。
この公園をみると、都内の多くの公園がいかに植樹をはじめ
凄く整備されているのかがよくわかります。
赤羽台団地や赤羽自然観察公園、
そしてここに画像はアップしていませんが、
少し南にある国立スポーツ科学センターや旧自衛隊十条駐屯地と、
明らかに一般の住宅街とは街の造り自体が全く違う地域です。
以前アップした戸山ヶ原の陸軍施設跡同様、
この十条界隈もまた、江戸時代には大名の下屋敷として使われ、
明治維新後は軍用地に転用され、
戦後一気に計画的な開発がなされ、
それに漏れてしまった一部分は、
歴史の「ほころび」としてなんとなく放置的な状態におかれるという、
特殊な磁場を持った場所でした。
◆軍都 十条逍遙◆
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スターハウスも見てきました
自然観察公園も歩いてきました
桐ヶ丘団地も団地としては面白かったですよ
公園からサッカー場まで廃線跡も歩いてきましたが
会の趣旨が違うので
遺跡・遺構にはあまり出会えなかったのがチョイと残念ですが
十条逍遥をみると
一人であの辺を歩いて見たくなります
本当に興味深い記事をいつもありがとうございます。
再度アップしました。
赤羽歩きは「すりばち」ですか?
でも、団地のあたりは「台」ですね・・・
桐ヶ丘までは行きませんでしたが、
面白いと聞くと行ってみたくなります。
桐ヶ丘もサッカー場も、全~部陸軍跡ですね。
十条~板橋は、区の方針なのか、
寝そべった煉瓦壁(>_<)をはじめ、
ちょこちょこと残してくれているんで、
回り甲斐はあると思います。
やはり感じましたか。
今では凄く整備された計画都市のようですが、
この特集をアップしている間中ずっと、
なんとなく重いモノを感じていました。
それが陸軍の施設跡ゆえのものなのか、
もっと以前からこの土地がもつものなのか、
それはわかりませんが。
※タグの付け方を少し間違えていたので、
初回、射撃場跡、理化学研究所、弾道試験管等、
記事が一部おかしなところがあったと思います。
修正しましたので、よろしかったら再度ご覧になって下さいね。