東京の北部、北区と板橋区の区界の一帯にあった、
広大な敷地の陸軍の施設跡の見学記。
JR埼京線の西側にあった「二造」は前回の記事で終わりなので、
今日からは埼京線の東側にあった「一造」をアップしていきたいと思います。
一造も二造同様、その跡地は大学をはじめとした教育機関、
区の文化センター、そして広い公園に転用されていますが、
二造と違うのはその敷地の多くが自衛隊の駐屯地に使われていることです。
その自衛隊の敷地のはずれに綺麗な煉瓦造りの建物が一棟だけ残っています。
▼北面
▼西面
▼南面
▼東面
戦後相当長い間、この建物同様の重厚な建物群が多く残っていた様ですが、
現在では、自衛隊の敷地内の建物はすべて解体され、
唯一北区の管轄になったこの1棟だけが残っています。
壁面に書かれた1919の文字が建築年だとすれば、
約90年前の建物になりますが、
以前から北区ではここを図書館の別館にする計画があったらしく、
つい最近とうとう工事が始まってしまいました。
北区の話だと一部を保存あるいは建物の一部に再生するらしいですが、
建築表示板をみるとRC3階建てと書いてあるので、
おそらく一旦完全に解体されて新築の建物が造られる課程で、
申し訳程度に煉瓦が使われるような感じではないでしょうか。
とても横浜の煉瓦倉庫のようにはいかないみたいです。(涙)
◆軍都 十条逍遙◆
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中はカフェか何かになっているようです。
果たしてその保存方法は正しいものなのかどうか…。
有効活用されないよりはいいですが、過去をしっかりと伝えて欲しいと思います。
建物の一部に転用される話は聞いてましたが、
Miyauraさんの感想から察すると、
あまりいい転用のされ方ではなかったようですね。
けっこう建物はしっかりしていたんで、
横浜煉瓦倉庫のように、そっくりそのまま転用できれば良かったと思いますが、
耐震や費用など、いろいろと問題もあるんでしょうか。
保存のされ方は正直…って感じです。
窓枠から扉やらは新しくなってしまい、屋根まできれいに。
物語っているのは煉瓦達だけになっちゃいましたね。
中はじっくり見ていないので何とも言えませんが、資料館とかになっているなら話は別なんですがね。
自衛隊側の側面を全面残す等、公共の仕事にしては結構頑張った方なんではないかと思いましたが、
いかがでしょうか。
実際に見てみ必要もありそうですね。
他の遺構と一緒に、時間を見て見学に行ってみようと思いました。
恐らく1919年築の建物ではないかと思います。
とすると、おっしゃるように震災に耐えて来た建物、
ということになりますね!
一つ上のコメントでも書きましたが、
web上の画像を見る限り、結構残されている様にも見えますので、
一度見学に行ってみようと思います。
見学して来たら、リポートをアップしますね。
自衛隊駐屯地周辺は長く閉ざされた地域で、硝煙の匂いが漂う場所です。
子供の頃、今の文化センターは米軍野戦病院で潰れた薬莢を拾いに行ったりしました。激しい解放運動もありました。
みなさんはそんな歴史をご存知なんでしょうか?建物へのノスタルジーだけで語られては、地元住人としては白けるだけです。
Miyauraさん、きちんと中は見学されたのですか?赤レンガが図書館に改修される過程が大きなビジョンで上映されていたはずです。
北区の部屋はご覧になりましたか?この地が軍用地だった頃の展示があったはずです。
不必要な鉄骨トラスを館内にオブジェ的に残し、基礎が見られるような場所も作られていたはずです。
ボロボロだった屋根はどう見ても後から造られたものでしょう。今度の屋根が復元された物だと思います。私は毎日のようにこの倉庫を見てきました。廃墟と隣り合わせにいる人間の気持ちがわかりますか?
図書館になったことで喜んではいますが、赤レンガの倉庫は三面そのままですし、負の歴史をひきずったままです。それでもまあ、良しとしましょう。それが地元民の思いです。
これから何十年も、図書館には何万、何十万という人々が訪れます。廃墟が伝えるべき物が歴史であるなら、大勢の人々がそれに触れることの出来る活用こそが意義あるものではないでしょうか。
私たち、北区民の誇るべき図書館をどうぞ、一度訪れてみてください。
「硝煙の匂いが漂う場所」とは心情としての言葉でしょうか、
それとも実際に硝煙の匂いがした、という意味でしょうか。
いずれにしても一造二造の地域は、都内で最大規模の軍事施設があった場所。
戦後60年と言われる様に、世界でもまれみにる、
60経った今も「戦後」という時間軸を基準に考える日本にとっては、
ひとつの象徴的な場所でもあったと思います。
新しい図書館をまだ実際に見ていないので詳しくはわかりませんが、
全く煉瓦とは似てもいない真新しい建物に異物をへばりつけた様に残した煉瓦塀は、
それだけで強烈なインパクトを与え、
煉瓦塀の意味を自然と考えざるおえない造りだと思います。
またそのコントラストは、まさに戦後日本が歩んで来た、
いびつな歴史をそのまま表している様にも感じます。
煉瓦造りという意味では横浜の煉瓦倉庫と同じですが、
その建物がもつ歴史は全然違うもの。
建物をそのまま残すよりも更に意義のある残し方があるのだと初めて知りましたし、
歴史をまったくなかったものの様にふるまう再開発が多い中、
しっかりと歴史を残したことも素晴らしいと思います。
いままで北区という区を殆ど知る事なく過ごして来ましたが、
十条の軍事施設をきっかけに北区に触れ、
十条の商店街を知り、十条の街並を知り、
そして新しい図書館への煉瓦倉庫の取り込み方を知って、
北区の文化的なものへの取り組み方が伝わり、
とても素晴らしい区だな、という印象を受けました。
近いうちに新しい図書館へは足を運んでみようと思っています。
> 廃墟と隣り合わせにいる人間の気持ちがわかりますか?
拙blogはタイトルからもお分かりの様に、廃墟を肯定的に捉えているblogです。
自分の住む家の隣に廃墟があれば、願ってもない喜びと感じる人間のblogですので、
その辺の感覚的な部分に関しては、ご容赦願えればと思います。
図書館では8日(金)に、戦跡ツアーというのが開かれ、文化センターはもちろん、憲兵小屋、道標などを巡ったようです。
1点だけ申し上げておきたいのですが、こちらに限らず、よく「関東大震災をくぐり抜けた」という表現が使われます。年月を越えてきた、という意味合いでしたら問題ないのですが、建築物の強度を表していると誤解されかねないので・・・北区はJR京浜東北線を境に台地部と低地部に分かれ、赤レンガ図書館のある台地部は強固な地盤になっています。関東大震災は一般に最大震度7と言われていますが、地域によって異なり、東京での被害の中心はご存知のとおり揺れではなく、火災によるものです。
北区では低地部の堀船・豊島地域で液状化現象により工場などが倒壊しましたが、十条台の赤レンガが被災を免れたのは珍しいことではありません。余計なこととは思いましたが、説明させていただきました。長々と申し訳ありませんでした。
私は旧軍の遺構に趣味で興味があり、以前から廻っています。
275号棟も自衛隊敷地内だった頃に1回、市に譲渡されて公園を造成中に1回行きました。 自衛隊敷地内だった頃は当然なのですが、市に移管されてからも柵のために(立ち入り禁止)内部を見ることはできませんでした。
このように内部を見る機会があったとは驚きで、且つ羨ましい限りです。 中部に住んでいる関係で、なかなか見に行くことが出来ず悔やまれます。
質問ですが275号棟の内部を含めました写真を、メール添付でお譲り頂くわけにはまいりませんでしょうか。
ご一考頂ければ大変嬉しく思います。
もし不愉快でしたら大変申し訳ありません。
重ねて失礼なコメントを夜分に申し訳ありませんでした。