年齢を重ねると、体型も性格も、だんだん親に似てくるような気がする。
「三つ子の魂百までも」が、妙に実感を帯びてくる。
もっと若い頃は、もう少し批判的というか反抗的に見ていた親の一面も、
気がつくと、そっくりまねていたりする。
年をとるというのは、老いることではなくて、美しくなり続けることだと思いたい。
人生にはいろいろな波があるから、いいときもあれば、よくないときもある。
そして、自分のなかで何かが掛け違っているような感覚があるとき、
年をとったあとのほうが、不安はより大きく感じられ、自分を抑えられなくなる。
無限に続く未来だったのに、ふと気がつくと有限な未来に変化している。
大きくなりすぎてしまった自我に押しつぶされそうになる。
旅をしているとき、私は何者でもなくなる。
ただ一人の旅人となったとき、わだかまっていた心は希薄になり、周囲にとける。
私はお邪魔しているだけの、名のない人間。
時間すら流れを変える。時間のない時間となる。
日本でも、生活の中でも、そんな気持ちになれたらいいのに、と思う。
見たくないものから目をそらして、見なかったからないことにするのではなくて、
見た上で、受け止めた上で、それに惑わされなくなれたらいいのに。
ただ穏やかな心で、見つめ続けることができたなら。
「見なかったことにしてなかったことにする」ことができないのは、親譲りだと思う。
私が「単に自分がそうしたかったから」という理由でやったことを、
その結果がよくても悪くても、親はかならず「見直すこと」を求めてきたし、
「見なかったこと」にもしてくれなかった。
私が泣こうがわめこうが、「自分の胸に手を当ててよく考えなさい!」としかられ、
ちゃんと反省して再考し、それを言葉であらわし、態度で示す努力をしなければ、
一週間くらい余裕で、口をきいてくれなかった。
自分のためだけの努力だったときは、それがたとえ成功してもほめてもらえなかった。
「たまたま今回は成功したかもしれない。
誰だって自分が一番かわいいし、多少の努力はできて当然。
でも、自分のことだけを考えていては、いずれ一人よがりになってしまう。
だから自分の心や他人の心の痛みを感じなさい」と言われた。
繰り返し繰り返し、そう言われた。
「なんで、単純にほめてくれないの! 私はこれができたからほめてもらいたかっただけなのに!」
と言い返したこともあった。
でもいまは、単純にほめてくれなかった親の心がよくわかる。
そして、人として認めてもらいながら育ててもらったと思っている。
自分の心も他人の心もよく見えた上で、
なおかつおだやかな人間でありたいと思っている。
そして、その先に他の人を傷つけない人間になりたいと思う。
それにしても、なんで日本の日常は、こんなにも重いのか。
「三つ子の魂百までも」が、妙に実感を帯びてくる。
もっと若い頃は、もう少し批判的というか反抗的に見ていた親の一面も、
気がつくと、そっくりまねていたりする。
年をとるというのは、老いることではなくて、美しくなり続けることだと思いたい。
人生にはいろいろな波があるから、いいときもあれば、よくないときもある。
そして、自分のなかで何かが掛け違っているような感覚があるとき、
年をとったあとのほうが、不安はより大きく感じられ、自分を抑えられなくなる。
無限に続く未来だったのに、ふと気がつくと有限な未来に変化している。
大きくなりすぎてしまった自我に押しつぶされそうになる。
旅をしているとき、私は何者でもなくなる。
ただ一人の旅人となったとき、わだかまっていた心は希薄になり、周囲にとける。
私はお邪魔しているだけの、名のない人間。
時間すら流れを変える。時間のない時間となる。
日本でも、生活の中でも、そんな気持ちになれたらいいのに、と思う。
見たくないものから目をそらして、見なかったからないことにするのではなくて、
見た上で、受け止めた上で、それに惑わされなくなれたらいいのに。
ただ穏やかな心で、見つめ続けることができたなら。
「見なかったことにしてなかったことにする」ことができないのは、親譲りだと思う。
私が「単に自分がそうしたかったから」という理由でやったことを、
その結果がよくても悪くても、親はかならず「見直すこと」を求めてきたし、
「見なかったこと」にもしてくれなかった。
私が泣こうがわめこうが、「自分の胸に手を当ててよく考えなさい!」としかられ、
ちゃんと反省して再考し、それを言葉であらわし、態度で示す努力をしなければ、
一週間くらい余裕で、口をきいてくれなかった。
自分のためだけの努力だったときは、それがたとえ成功してもほめてもらえなかった。
「たまたま今回は成功したかもしれない。
誰だって自分が一番かわいいし、多少の努力はできて当然。
でも、自分のことだけを考えていては、いずれ一人よがりになってしまう。
だから自分の心や他人の心の痛みを感じなさい」と言われた。
繰り返し繰り返し、そう言われた。
「なんで、単純にほめてくれないの! 私はこれができたからほめてもらいたかっただけなのに!」
と言い返したこともあった。
でもいまは、単純にほめてくれなかった親の心がよくわかる。
そして、人として認めてもらいながら育ててもらったと思っている。
自分の心も他人の心もよく見えた上で、
なおかつおだやかな人間でありたいと思っている。
そして、その先に他の人を傷つけない人間になりたいと思う。
それにしても、なんで日本の日常は、こんなにも重いのか。