拙著道草探検隊 で、お世話になったBAN隊員が逝ってしまわれた。享年56歳。
訃報は隊長からもたらされた。電話なぞ滅多にしてこない隊長からだったからすぐにピンときた。
道草探検隊で遊んでいいた頃、私は引きこもりぎみだった。
あれから10年近く経っている。
当時のつらさはほとんど忘れたが、楽しかった道草探検隊と隊員のみなさんの温かさは忘れない。
当時は確か仕事をやめ、早期胃癌後の体調回復のため散歩だけはしていたが、それ以外は外に出ることも少なかったように記憶している。
そんな私を不憫に思ってくださったのか、短い期間だったが、一緒の職場で働いたことのある隊長が、自然と触れ合うと、きっといいと考えてくださったのか道草探検隊の仲間に加えてくださり、そこでBAN隊員とみつこ隊員とご一緒することになった。
遊んだ所は京都市左京区の久多という自然しかないというような場所で(民家もありましたが)、道草の天ぷらを作ったり、パエリアを食したり、ホントに楽しい集いでした。
お二人はご夫婦で、BAN隊員は会社で言葉を交わしたこともあり、顔見知りでしたが、プライベートでご一緒するのは初めてでした。
何度か一緒にアウトドアで遊んでいるうちに、奥さんのみつこ隊員に勝手になついた私。
三重に引越してからも、メールなどで時折近況の報告をしていましたが、みつこ隊員からBAN隊員の体調不良を聞いたのは昨年11月、病状発覚から1年で帰らぬ人となってしまわれました。
BAN隊員はいつも笑顔で、アウトドアの働き手でした。引きこもりぎみで心が深く傷ついていた私に、励ますでもなく、助言をするでもなく、腫れ物に触るようでもなく、普通の人を相手にするようにごく自然に接して下さり、どれだけ安心してその場に望めたか。
みんなで楽しむにはどうしたらいいか、他人を楽しくさせるにはどうしたらいいかを会得されていたと思います。内助の功もおおいにあったと勝手に推察してはいましたが。
今日のお葬式でも、男泣きされておられる方が多数おられました。会葬者の中でみかけたほんじょー隊員も大泣きでした。
ご焼香の時、お坊さんと見える方もおられ、その方は持参の香を取り出し焼香されていました。
あたりに良い香りがただよったので沈香をご持参されたのではないかと思いました。
お見送りを待っている間、新聞を見て驚いて飛んで来たと言っておられる人もおられ、会社関係だけでなく、多くの方に慕われておられたんだなと、会葬者の方々を見て思いました。
久しぶりに会った隊長も「BAN隊員のことを悪く言う人は一人もいない」と言っておられ、私は私の出会ったBAN隊員しか知りませんでしたが、みなさんの心にもBAN隊員の笑顔が沁みついているのだと思いました。昨夜のお通夜も大変多くの方が見えていたそうです。
遺影は笑顔満開のBAN隊員そのまんまで、何度も涙を誘われました。
ご遺体にありがとうと言い、別れを告げました。
人は嫌なことはいつまでも覚えていますが、楽しいことはわりと早く忘れます。
でも、道草探検隊ではイヤなことは一つもなく、そしていつまでも忘れることができない楽しい時間ばかりでした。
BAN隊員ありがとう。感謝を込めて。合掌。
みつこ隊員にはかける言葉がわかりません。頑張ってねとか、お疲れがでませんようにとか、そんな言葉はなぜか言いたくないのです。
感情的には何も言わずに、ただハグしたかったです。
ただ、お馬鹿な私は、BAN隊員に別れを告げた時「ありがとう」と言い、その時目のあったみつこ隊員にも、口が勝手に「ありがとう」と動いてしまいました。
どこの世に、お葬式で奥さんに「ありがとう」と言うおバカがいるでしょう。
ちょんぼの私 ごめんなさい。
気持ち的には、久多でお世話になったお二人に感謝の気持ちだったのです・・・。
私には、BAN隊員とみつこ隊員はいつも二人一緒で、どちらかが欠けることはありえなかったし、いつも二人に感謝の気持ちを持っていたから。そしてみつこ隊員が一番仲良くしてくれたから。
私の頭の中の映像は久多の楽しいことばかり。
訃報を聞いてから心に空白が生じていた3日間でした。
それでも人は生きていくのですね。そして、この空白もいつか時が埋めてくれるのを知っているだけ生きてきました。
訃報は隊長からもたらされた。電話なぞ滅多にしてこない隊長からだったからすぐにピンときた。
道草探検隊で遊んでいいた頃、私は引きこもりぎみだった。
あれから10年近く経っている。
当時のつらさはほとんど忘れたが、楽しかった道草探検隊と隊員のみなさんの温かさは忘れない。
当時は確か仕事をやめ、早期胃癌後の体調回復のため散歩だけはしていたが、それ以外は外に出ることも少なかったように記憶している。
そんな私を不憫に思ってくださったのか、短い期間だったが、一緒の職場で働いたことのある隊長が、自然と触れ合うと、きっといいと考えてくださったのか道草探検隊の仲間に加えてくださり、そこでBAN隊員とみつこ隊員とご一緒することになった。
遊んだ所は京都市左京区の久多という自然しかないというような場所で(民家もありましたが)、道草の天ぷらを作ったり、パエリアを食したり、ホントに楽しい集いでした。
お二人はご夫婦で、BAN隊員は会社で言葉を交わしたこともあり、顔見知りでしたが、プライベートでご一緒するのは初めてでした。
何度か一緒にアウトドアで遊んでいるうちに、奥さんのみつこ隊員に勝手になついた私。
三重に引越してからも、メールなどで時折近況の報告をしていましたが、みつこ隊員からBAN隊員の体調不良を聞いたのは昨年11月、病状発覚から1年で帰らぬ人となってしまわれました。
BAN隊員はいつも笑顔で、アウトドアの働き手でした。引きこもりぎみで心が深く傷ついていた私に、励ますでもなく、助言をするでもなく、腫れ物に触るようでもなく、普通の人を相手にするようにごく自然に接して下さり、どれだけ安心してその場に望めたか。
みんなで楽しむにはどうしたらいいか、他人を楽しくさせるにはどうしたらいいかを会得されていたと思います。内助の功もおおいにあったと勝手に推察してはいましたが。
今日のお葬式でも、男泣きされておられる方が多数おられました。会葬者の中でみかけたほんじょー隊員も大泣きでした。
ご焼香の時、お坊さんと見える方もおられ、その方は持参の香を取り出し焼香されていました。
あたりに良い香りがただよったので沈香をご持参されたのではないかと思いました。
お見送りを待っている間、新聞を見て驚いて飛んで来たと言っておられる人もおられ、会社関係だけでなく、多くの方に慕われておられたんだなと、会葬者の方々を見て思いました。
久しぶりに会った隊長も「BAN隊員のことを悪く言う人は一人もいない」と言っておられ、私は私の出会ったBAN隊員しか知りませんでしたが、みなさんの心にもBAN隊員の笑顔が沁みついているのだと思いました。昨夜のお通夜も大変多くの方が見えていたそうです。
遺影は笑顔満開のBAN隊員そのまんまで、何度も涙を誘われました。
ご遺体にありがとうと言い、別れを告げました。
人は嫌なことはいつまでも覚えていますが、楽しいことはわりと早く忘れます。
でも、道草探検隊ではイヤなことは一つもなく、そしていつまでも忘れることができない楽しい時間ばかりでした。
BAN隊員ありがとう。感謝を込めて。合掌。
みつこ隊員にはかける言葉がわかりません。頑張ってねとか、お疲れがでませんようにとか、そんな言葉はなぜか言いたくないのです。
感情的には何も言わずに、ただハグしたかったです。
ただ、お馬鹿な私は、BAN隊員に別れを告げた時「ありがとう」と言い、その時目のあったみつこ隊員にも、口が勝手に「ありがとう」と動いてしまいました。
どこの世に、お葬式で奥さんに「ありがとう」と言うおバカがいるでしょう。
ちょんぼの私 ごめんなさい。
気持ち的には、久多でお世話になったお二人に感謝の気持ちだったのです・・・。
私には、BAN隊員とみつこ隊員はいつも二人一緒で、どちらかが欠けることはありえなかったし、いつも二人に感謝の気持ちを持っていたから。そしてみつこ隊員が一番仲良くしてくれたから。
私の頭の中の映像は久多の楽しいことばかり。
訃報を聞いてから心に空白が生じていた3日間でした。
それでも人は生きていくのですね。そして、この空白もいつか時が埋めてくれるのを知っているだけ生きてきました。