病院に付き添って来た。
今回は認知症専門の看護師さんも同席。
いつも通り、まず母に先生があれこれ質問。答えは今までとたいして変わらない。「頭がぼうっとしている」とか。
「ご主人は優しいですか」という質問には「はい」と。父がいる前ではそう答えるしかないだろうし、具体的なことは覚えてもないんだろう。でも、これって私たちが同席しない方が本心が聞けるんじゃなかと思ったりもする。
父からは、相変わらず物を投げたりしていて前回と症状は変わらないと。先生がオランザピンを少し増やしましょうと。
薬に頼り過ぎるのもどうかと思っていたら(私と一緒の時やうちに来た時は物を投げたりとか妄想でおかしくなることはほとんどないので、対応や環境次第な部分もあるんなじゃないかと)、先生も「正論や事実には意味がない」「(母が)今どういう気持ちなのか考える」「心配しなくていいよと声を掛ける」「時には聞き流すことも必要」だといろいろアドバイスはくれる。
父にそれができればいいんだろうけど、私への手紙には「目覚まし時計を投げつけた」とか書いてあったし、一緒に興奮して取り乱しているんだから、難しい。
それから、一緒の時間を少しでも減らすためにデイサービスの回数を増やしたらどうかと提案された。(今は週一)
しかし、父は無理なんじゃないかと渋っている。私への手紙にもあったが、行きたくないと泣くこともあるらしい。でも、迎えが来たら素直に行くとのこと。具合が悪いと途中で帰ったことも3回ほどあるらしい。そういうこともあって父は渋っていたみたいだけど、先生たちからしたら父が母と離れるのが嫌なのか、もしかしてデイサービスに悪い印象があるのかと思われたみたいだけど、そこは父もしっかり否定。私もそれはないと思う。とりえあず回数を増やしてみましょうと。
その後、私に振られたが、前回うちに泊まりに来た時の様子(父の女性関係を疑って取り乱した時の)を話し、母に変わってもらうことは不可能なので、父に少しでも変わって欲しい(ずっと一緒だし大変なのはわかるけど)と伝えた。その時に時折父の方を向いても、目を閉じて黙っている。聞いているのか聞いていないのか(耳が遠いし)。
その後、看護師さんと父とでまず話してから、私と看護師さんとで話す。
今は認知症も初期の段階なので、妄想の症状が出やすいということ。いずれ妄想もなくなり、次の段階へ。そうすると、けっこうあっけらかんとしていると。
それは母にとってはいいことなのかもしれないという安心(辛さ苦しさから逃れられるという意味で)と共に、果たして本当にそうなるんだろうかとうい一抹の不安も。母の父に対する不満や受けて来たストレスは相当なものだし、性格的に自分が我慢してあまり感情も出さずに生きて来た人なので、そういう風にあっけらかんとなる母が全く想像できない。
でも、いつか妄想も終わると言ってもらえただけでも救いだ。その先にはもっと過酷な現実が待っているんだろうけど。今は考えないようにしよう。
そして「お父さんは変わらないですよ」と言われた。私にもわかっている。でも、「1~2年という長いスタンスで見ていきましょう」と。父にも真正面から受け止めないようにといろいろアドバイスはしていただいたらしい。看護師さんから見ても「母が怯えているように見える」とのことで、私の役割としては「愚痴を聞いて欲しい」と。あまり深刻にならずハハハと笑い飛ばすくらいで。やってるつもりなんだけど、母が深刻モードに入ると難しい。
今まで先生と話す時はいつも父と一緒だったので我慢していたのものがついついついあふれ出しそうになる。父は完璧主義だけど思いやりと両立していないとか、母が怯えているのは認知症になるずっと前からだとか、昔本気で離婚させようとしたことがあったとか。しかし、看護師さんはそこには一切踏み込んでこない。さらっと流して、今、これからどうするかを提案してくれる。今まで先生と話していた時とは違う感覚に初めて泣きそうになった。今までは冷静に伝えていたつもりだし、感情的になることもなかったし、逆になんで私こんな平静なんだろうと思うこともあったのに。なんで泣きたくなったのかはわからないけれど。
後になって、父をどうにかしたい、どうにかしなければ、なんでいつまでも変わらないんだという考え方はある意味父と一緒なのかもな…と思ったり。言っても変わらない母をどうにかしようとする父、言っても変わらない父をどうにかしようとする私。(父に関しては、最近は母が具合が悪い時は洗い物をしたりとちょっとは変わって来た部分もあるんだけれど)父をどうにかして変えたいと願う私は先生や看護師さんから見たら、似た者親子に見えたんだろうかとどうでもいいこと考える。
それにしても、父が看護師さんに「いろいろあった。娘にも言えないことがある」と言っていたらしいが、これ以上何があるんだ。恐ろしい。母は私たちにけっこう何でも話していたので、私たちが知らないと思っているだけかもしれないけれど。