こんにちは
今日、群馬県にある世界遺産、富岡製糸場を見に行った帰りに陸軍中野学校跡を見に行きました。
富岡製糸場はついで、こっちが本命です。
富岡市はまだあまり街づくりがすすんでいないのか、田舎の印象でした。富岡製糸場へ至る道には飲み屋街が見受けられ、閑散としておりました。
また時が経てば、整備され、繁栄するのでしょう。
さて、閑話休題。
陸軍中野学校は戦争末期、この富岡に移転してきました。旧制富岡中学校(旧七日市藩陣屋所在地)の校舎を利用した模様です。
現在は市立富岡高校となっており、七日市藩邸の黒門、藩邸を保存しております。
七日市藩邸黒門
藩主は加賀前田家の利家公五男を初代としており、梅鉢紋の瓦があります。
こちらが陣屋。中は入れませんでした。
この陣屋の目の前に広がる庭園の隅にひっそりあるのがこの陸軍中野学校終焉の地石碑です。高校正門を入って左にあります。
裏には何も彫られておらず、誰が建てたのかもわかりません。
なお、この正門を高校側から出て左に進み、右側に富岡高校のセミナースクールがあり、ここには東京の中野学校から一緒に持ってきた楠公社の社名碑が残っています。
セミナースクールの中、門を入って左側にあります。
石碑の裏には初代中野学校校長の北島卓美陸軍少将の書と彫られています。
北島卓美氏は陸士25期、陸大37期で佐賀県の出身。陸軍大学校教官、近衛師団参謀を経て中野学校初代校長となり、東部軍参謀長に就任。昭和17年9月29日に死去し同年10月2日に陸軍中将に昇進しました。(「サクラタロウDB」http://sakurataro.org/db/北島卓美)より
今日、群馬県にある世界遺産、富岡製糸場を見に行った帰りに陸軍中野学校跡を見に行きました。
富岡製糸場はついで、こっちが本命です。
富岡市はまだあまり街づくりがすすんでいないのか、田舎の印象でした。富岡製糸場へ至る道には飲み屋街が見受けられ、閑散としておりました。
また時が経てば、整備され、繁栄するのでしょう。
さて、閑話休題。
陸軍中野学校は戦争末期、この富岡に移転してきました。旧制富岡中学校(旧七日市藩陣屋所在地)の校舎を利用した模様です。
現在は市立富岡高校となっており、七日市藩邸の黒門、藩邸を保存しております。
七日市藩邸黒門
藩主は加賀前田家の利家公五男を初代としており、梅鉢紋の瓦があります。
こちらが陣屋。中は入れませんでした。
この陣屋の目の前に広がる庭園の隅にひっそりあるのがこの陸軍中野学校終焉の地石碑です。高校正門を入って左にあります。
裏には何も彫られておらず、誰が建てたのかもわかりません。
なお、この正門を高校側から出て左に進み、右側に富岡高校のセミナースクールがあり、ここには東京の中野学校から一緒に持ってきた楠公社の社名碑が残っています。
セミナースクールの中、門を入って左側にあります。
石碑の裏には初代中野学校校長の北島卓美陸軍少将の書と彫られています。
北島卓美氏は陸士25期、陸大37期で佐賀県の出身。陸軍大学校教官、近衛師団参謀を経て中野学校初代校長となり、東部軍参謀長に就任。昭和17年9月29日に死去し同年10月2日に陸軍中将に昇進しました。(「サクラタロウDB」http://sakurataro.org/db/北島卓美)より