雑賀孫市(まごーん)の中の人ブログ

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収集品をネット展示してみる~山本芳輔陸軍少将写真~

2015年03月16日 03時54分17秒 | 収集品
こんにちは、まごーんです。
今回紹介するのはこちら。

ある陸軍大佐の写真です。
このように閉じられており、山本少将旧蔵品の可能性が高いです。
開いたところです。
3枚まとめて1500円ほどで手に入れたうちの1枚です。
ウチはこの顔、どっかで見たことあるなぁ、と思って手に入れたのですが、その思いあたりがある顔はこちら。
ちょっと老けましたが、似ているでしょう?(山本芳輔少将写真/個人蔵)
そう、この写真の人と先ほどあげた人物は同一人物でした。
この人は山本芳輔陸軍少将という方です。
しかし、これだけでは根拠に薄いので何か確実なものは無いかと探しました。
まず、最初の写真には、襟の部分に「11」がついてます。これは陸軍歩兵第十一連隊所属を表します。階級は大佐なので連隊長です。次に軍服。これは明治45年制式ないしは昭和5年制式なので明治45年~昭和12年までの連隊長の人と絞れます。
次に腕につけてる喪章。つまり偉い人の葬儀があった時の時期ということです。
ウチはこの人は山本芳輔とうすら確信してたので、この喪章は大正天皇大喪の礼の時と推測されます。
そして、アジア歴史資料センターで調べるとそれに見事当てはまった資料がありました。
「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C10050073400、昭和1~2年 大正天皇陸特綴 其1 4/4(防衛省防衛研究所)」より
この表の大佐の欄の右端から3番目、第十一連隊のところに山本芳輔の文字が見えます。根拠がありました。上記の写真は山本芳輔氏が当時第十一連隊長で大正天皇大喪の礼の時に撮った記念写真となります。
山本芳輔陸軍少将経歴を以下に紹介しますが、資料が少ない(アジ歴にも関係資料が4点しか無い模様な)ので、ザックリとなります。(主にアジア歴史資料センター所蔵資料を元に作成)
↑山本芳輔少将の陸士卒業証書(個人蔵)
山本芳輔 陸軍少将 陸士12期 歩兵
某県にて誕生
歩兵第四十一連隊付候補生
明治33年11月21日 陸士12期卒業
任 陸軍歩兵少尉
任 陸軍歩兵中尉
明治37年 日露戦争に従軍
任 陸軍歩兵大尉
明治40年 第六師団
同師団より陸大推薦を受ける(結果は不合格)

↑「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C09123157000、明治40年 陸軍大学校候補人名 庶人秘附属(防衛省防衛研究所)」より
任 陸軍歩兵少佐
大正6年12月頃 陸軍歩兵中佐
臨時軍事調査委員会委員
委員時代の呉海軍工廠見学についての申請書。
「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C03024866800、大正07年 「歐受大日記 1月」(防衛省防衛研究所)」より
陸軍も海軍工廠を見学してたというのは興味深いですね。果たして海軍側が何処まで手の内を見せたか…ですが。
その後は
大正11年 欧州出張
↑「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C03025335600、大正11年 「歐受大日記 自04月至07月」(防衛省防衛研究所)」より
任 陸軍歩兵大佐
大正14年 京都連隊区司令官
大正15年/昭和元年 歩兵第十一連隊長

勲等は勲三等瑞宝章。功五級金鵄勲章。

現時点で履歴を見る限り、山本芳輔少将は陸軍大学校に入れなかった人によくある、連隊長を最終軍職とし、少将昇進と同日に待命、後日予備役編入と推測されます。
もし、大尉時代に陸大に合格していれば、少なくとも少将になっても軍職配置があったでしょう…と思いたいですが、勿論、陸大出身者全員がそうではないので、厳しいですね。