ども、まごーんやで。
今日は意外とみたことないやつ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/ce/737c0cd39c1d0df67154efc647db90e4.jpg)
写真は騎兵第1旅団
陸軍少将の生命保険証券です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/62/29452cf8997f0992788c0f3a432c2bde.jpg)
こちらがその生命保険証券(養老保険)の表。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/eb/75c7064a34d72e27c73f75c6c3d48f37.jpg)
こちらが裏。
この養老保険の契約者は陸士18期、陸大31期の黒谷正忠少将です。
黒谷少将は山形出身。位階勲等は正五位勲三等功四級です。
略歴
明治19年4月17日 生
明治38年 陸士卒
明治39年 騎兵少尉
明治41年 騎兵中尉
大正8年 陸軍大学校卒(このころ騎兵大尉)
騎兵少佐
騎兵中佐
騎兵大佐
騎兵第5連隊長(時期不明)
昭和6年 騎兵第26連隊長として満州事変に出動。
昭和11年3月7日 陸軍少将・騎兵第1旅団長
昭和12年3月1日 待命
昭和12年3月29日 予備役
です。その後は愛知県豊橋市に住んだようです。
さて生命保険証券は昭和18年8月のもの。額面は2千円です。
被保険者には息子の正俊の名前があります。
陸軍将官の生命保険証券なんて人生一度は見るか見ないかの貴重な資料でしょう。
黒谷少将は昭和37年3月20日に亡くなってます。
黒谷少将について、『日本陸軍将官辞典』では「満州事変時に騎兵第二六聯隊長(騎兵第四旅団)として出動、さらに上級司令部として騎兵集団が創設されて、満州の原野に匪賊を追った。ついで騎兵第一旅団長(騎兵集団)として関東軍の捜索および機動打撃部隊の中核的任にあたった。」と説明しています。(289p)
参考文献
夏目哲『故郡司中尉を偲ぶ』田端屋印刷所、1937年
福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房、2001年
今日は意外とみたことないやつ。
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写真は騎兵第1旅団
陸軍少将の生命保険証券です。
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こちらがその生命保険証券(養老保険)の表。
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こちらが裏。
この養老保険の契約者は陸士18期、陸大31期の黒谷正忠少将です。
黒谷少将は山形出身。位階勲等は正五位勲三等功四級です。
略歴
明治19年4月17日 生
明治38年 陸士卒
明治39年 騎兵少尉
明治41年 騎兵中尉
大正8年 陸軍大学校卒(このころ騎兵大尉)
騎兵少佐
騎兵中佐
騎兵大佐
騎兵第5連隊長(時期不明)
昭和6年 騎兵第26連隊長として満州事変に出動。
昭和11年3月7日 陸軍少将・騎兵第1旅団長
昭和12年3月1日 待命
昭和12年3月29日 予備役
です。その後は愛知県豊橋市に住んだようです。
さて生命保険証券は昭和18年8月のもの。額面は2千円です。
被保険者には息子の正俊の名前があります。
陸軍将官の生命保険証券なんて人生一度は見るか見ないかの貴重な資料でしょう。
黒谷少将は昭和37年3月20日に亡くなってます。
黒谷少将について、『日本陸軍将官辞典』では「満州事変時に騎兵第二六聯隊長(騎兵第四旅団)として出動、さらに上級司令部として騎兵集団が創設されて、満州の原野に匪賊を追った。ついで騎兵第一旅団長(騎兵集団)として関東軍の捜索および機動打撃部隊の中核的任にあたった。」と説明しています。(289p)
参考文献
夏目哲『故郡司中尉を偲ぶ』田端屋印刷所、1937年
福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房、2001年