雑賀孫市(まごーん)の中の人ブログ

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特務機関員の名刺

2014年09月22日 00時32分58秒 | 収集品
ども、こんにちは、まごーんや。
今日は特務機関について。
特務機関というのは諜報やらなんやらする機関です(ざっくばらん)
代表的なのは土肥原賢二の奉天特務機関や藤原何某よF機関、岩畔少将の岩畔機関、光機関あたりでしょうか?
今回紹介するのはその特務機関に所属してた人たちの名刺です。
まず、河北省特務機関に所属してた人たちの名刺。鈴木繁二と永井潤一。

鈴木繁二は当時陸軍大佐~少将でした。経歴は以下の通り(サクラタロウDBとアジア歴史史料センターのデータを基に作成)
大正3年5月28日 陸軍士官学校卒業
(第26期)
大正3年12月25日 陸軍歩兵少尉
大正8年12月1日 陸軍大学校入校
大正11年11月29日 陸軍大学校卒業
(第34期)
昭和12年4月6日 津軽要塞参謀兼大湊要港部参謀(歩兵中佐)※就任月日ではない
昭和13年3月1日 陸軍歩兵大佐・第4独立守備隊参謀兼大本営海軍参謀被仰付
昭和14年4月10日 留守第7師団参謀長
昭和15年10月4日 河北省特務機関長兼河北省顧問
昭和16年8月25日 陸軍少将
昭和18年8月2日 第19歩兵団長
昭和19年1月7日 留守近衛第2師団兵務部長
近衛第3師団兵務部長
昭和19年5月10日 独立混成第44旅団長
昭和20年6月22日 沖縄で戦死・陸軍中将進級

独立混成第44旅団は沖縄戦での激戦でもあるシュガーローフの戦いの主力でした。そしてこの部隊は鈴木少将が最初で最後の旅団長でした。
個人的に海軍参謀を被仰せ付け(正式な配属ではなく)なのが興味深いですね。海軍参謀を兼務してたのは
島村矩康大佐 士36・大43恩賜
大本営陸軍参謀兼連合艦隊参謀兼中部太平洋方面艦隊参謀 (戦死・少将)
後任に瀬島龍三陸軍少佐

田村義富少将 士31恩賜・大39恩賜
大本営陸軍参謀兼中部太平洋方面艦隊参謀副長

谷川一男少将 士33・大41
大本営陸軍参謀兼連合艦隊参謀副長(大佐)

の四人だけかと思ってました。

因みに永井潤一中尉は情報不明でわかりませんでした。

さてもう一つは山西省の崞県にあった特務機関の人の名刺。こちらは軍人ではなく、高等官軍属です。

軍属ですので詳しい事は不明です。

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