世の中にはいろいろ不思議なことがあります。非科学的、偶然の一致、錯覚などと一蹴する人もいるようです。でも、私は、以前にも書きましたが、それらの事実を事実として「不思議なことがあるもんやなぁ」とただ単純に楽しみたいクチ。
で、前々から気になっていた「しかもそれは起った」(フランク・エドワーズ ハヤカワライブラリー 1963年)をふと思い立って、読んでみました。
だいぶ古い本ですが、古今東西の不思議な実話68編が収められています。ご紹介したい話はたくさんありますが、「夢」にまつわる不思議話3つをお届けしようと思います。
<夢が教えてくれた子供たちの行方>
1865年4月24日の朝、ペンシルバニア洲の森に住むコックス夫妻の二人の息子が行方不明になりました。家族はもちろん付近の住民数千人が、10日間必死の捜索を行いましたが見つかりません。
そんな騒動の中、現場から12マイルほど離れたところに住んでいたヤコブ・ディパートという若い農夫が奇妙な夢を、二晩続けて見ます。
夢の中で、彼は一度も来たことがない森の中で、行方不明の少年を捜しているのです。1本の倒木の前方に鹿の死体が横たわっています。鹿が通って来たらしい小道をたどると子供の靴の片方が落ちています。急流に倒れているブナの木を伝って谷川を進むと、小さなせせらぎが流れ込んでいて、そこに行方不明の子供二人が死体となって横たわっているのが見えました。
ヤコブの話を聞いた妻は、自分の兄のハリソンに一部始終を打ちあけます。ハリソンは、子供たちが行方不明になった場所に土地勘があり、ヤコブの夢に出て来た付近の様子に心当たりがありました。そこで、ヤコブと二人で子供たちの捜索に向かうことになります。すると、鹿の死体、靴が見つかり、まさに夢で見た通りのルートをたどって、子供たちの遺体が発見されます。全くの第三者が見た不思議な夢がもたらしたのは、残念ながら悲しい結末でした。
<夢がもたらした発明>
蒸気機関の発明で有名なジェームズ・ワットですが、夢のおかげで、画期的な鉛銃弾の製法を思いついていたというのです。
それ以前の製法は、細かくした小片の鉛を鉄板の下でころがして、整形するという幼稚なもので、品質が悪い上に、歩留まりも低いものでした。
そんな時、ワットは不思議な夢を見ます。本人によると、1週間続けてみたというのですが、夢の中で、彼は豪雨の中を歩いています。気がつくと、降り注ぐ雨粒は小さな鉛玉になって、足元で弾んでいるではありませんか。
好奇心を抑えられなくなったワットは、教会の尖塔に登り、そこで溶かした鉛を下の堀をめがけて撒きちらしました。あとで堀を探ると、鉛はみな銃弾としてはうってつけの大きさ、形の玉になっていたというわけです。世の中的には、蒸気機関の発明だけで十分だったと思いますけど。
<夢で大特ダネ?>
「ボストン・グローブ紙」の記者エド・サムソンは、社の仮眠室で恐ろしい夢を見ました。ジャワ島近くの小島「プラレイプ」が大爆発を起こしたのです。溶岩の流れが山腹沿いに、畑、集落、人々の上に降り注ぎます。信じがたいほどの火、煙、泥が一本の柱となって吹き上がります。
まるで、空中から一部始終を見ているかのようなリアルな夢を、エドは、「記事の少ない日のネタにでもなるかな」とその場で書きとめて、「重要」とだけ走り書きし、机の上に置き、帰宅します。
翌朝、それを見つけた編集長が、前夜に入電したニュースだと思い込み、第一面の二段抜きの記事に採用しました。更に、スクープと信じた編集長は、記事をAP通信社に送り、そこから各紙に配信されて、問い合わせが殺到します。軽率といえば軽率ですが、何かに憑かれたような編集長の行動も不思議です。
さて、困り果てたのは編集長です。当時(1883年)、ジャワ島とは通信手段がありません。なにより、書いた本人が見当たりません。やっと連絡が取れて、本人が創作であることを認めました。本人はただちにクビ、そして、グローブ紙は一面トップでの謝罪広告の準備へと、てんやわんやの騒動となります。
そんな中、大爆発による大津波、地震波など地球規模の異変情報やら、危うく難を逃れた船からの情報が集まり始め、噴火で消滅した「クラカタウ」島の恐ろしい物語が明らかになってきました。のちに「クラカタウの大爆発」と呼ばれることになる大爆発の模様を伝えるリトグラフ(1888年)です。
一転、グローブ紙は、謝罪広告の撤回に努め、第一面に「英雄」エド・サムソンの写真を飾りました。ただし、エドがどうしてこの異変を知ったかは明らかにしないままの手のひら返しです。
「クラカタウ」として知られているこの島ですが、エドがなぜ「プラレイプ」と呼んだのかは謎でしたが、後日、その謎が解けました。エド宛にオランダ歴史学会から送られて来た古地図には、「クラカタウ」島が、原住民の古い呼称「プラレイプ」として記載されていたのです。ただし、その呼称は、150年以上も前に廃れて、使われてなかったというのですからつくづく不思議です。「クビ」から一転「英雄」となったエド記者自身が一番不思議な思いをしていたはずですが。
いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。
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