アカペラな日々 - "Sakata Coro a Cappella" Since April 9, 2009

合唱団"Sakata Coro a Cappella"で指揮の傍ら作曲・編曲,たまに歌に励むOyaji。の活動&日常

またいただいたぜ>孟宗

2018年05月19日 | 日常生活

温海産の孟宗をまたいただいた。

先日の孟宗のお礼に,頂きもののワラビと家に生えたフキをお返しに行ったら「今日も実家で採ってきました」とのこと,山を持つ人はすごい。

またお返しを考えると「無限ループ」になりそうなので当分保留。
素直にいただきます。

名曲「岸壁の母」に涙しつつ、、

2018年05月19日 | 音楽系(合唱,作曲・編曲など)
かなり久しぶりに二葉百合子さんがTVに出てきて岸壁の母を歌った。
86歳で,あれだけ歌えるのは素晴らしいことだし,毎回だけれど,その詩や歌に涙ぐんでしまった。
私は,よく父に引き上げ船のことや,前に歌っておられたオリジナルの菊池さんの歌で中身を聞いていた。
 
その後を引き継ぐように二葉さんが歌われるようになった時,生来の浪曲調のセリフが加えられたと後で聞いた。
余りに原曲が良すぎるため,セリフが長々としすぎていて,違和感を持っていた。
セリフが長い,といよりは無駄に長い説明文を聞かされるようだ,無くてもわかるのに,と。

「歌詞が理解されなくなってきた」ということのようだ。
戦争のことを語りつながれていないため「母がなせ岸壁に来たのか」という問いに歌詞だけで答えられない,ということなのだろう。

けれど,それは聞き手や読み手に判断を委ねれば良いのではあるまいか。
一度聴いただけで理解できる歌など数少ない。

私は,一時話題になった森進一の「おふくろさん事件」を思い出す。
彼が勝手にセリフをつけたために,作詞家の逆鱗に触れたものだ。
歌手が越えてはならない一線を勝手に超えてしまったと思うし,表現を足すことで芸術性を失ったのだと思う。

日本人の「引き算の美学」ということをよく聞く。
また俳句の番組でも良く聞くが,無理に詰め込んだものは「散文的」と。

本来の歌の美しさを考えると,やはり元通りが良い気がする。

最上川河川ライブカメラ

2018年05月19日 | 日常生活
家の裏にある「小牧川水門」からのライブ映像
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今回は洪水警報まで出ていたが,いきなりヤバいということはなかった。
水位も土手の向こう側まで上がってきてはいたが,前に経験した「目の前濁流」というのでもなかった。

そう,最上のほとりにはいるけれど,まだまだ大丈夫みたい。

(注)今回も出ましたが,過去に「川の様子を見てくる」と言って帰らず亡くなったじいさまが沢山います。
今回のはライブカメラの活用例でしたが,ともかく雨天時の無理な外出は避けましょう。

真面目にやれ!漢字と丁寧語不足のNHK

2018年05月19日 | 中高年の主張(そろそろ高年?)
過去よりも先が短くなったこの頃,言葉の乱れがやたらと気になる。
特に,書いても語っても,NHKの「罪」(ざい)は大きいように思う。

若者言葉というのが時代の先端かは別に,言葉自体を変えていく力であることは否めないし「言葉は生き物だから」という学者の言葉ももっともで,言葉に揺らぎがあるのは仕方ないと思う。

特に気になるのは「~なんで」,というぶっきらぼう言葉。
「~なので」と言うべきを紋切り調に「~なんで」とという位は我慢してあげても良いが「~ですので」と丁寧であるべき場面ですら「~なんで」と言われると閉口する。

ところが,これにNHKが乗っかり,わざわざ活字で表すあたりは「なぜそれを我々に洗脳したいか」と言いたくなる。

次に,厳格すぎる常用漢字の運用。
とかく少し難しい漢字はひらがなにしてくるが,単純にふりがなという方法もあるのではないか。

読み言葉をそのまま,ひらがなにされるのは読みづらい。
そして,きっとこのままでは日本人の国語力を圧倒的に退化させるであろう。

ルールだけでなく,広い視野で考えれば,読みやすく分かりやすいものができるのでは?と思っている。