僕がまだ20代の頃の梅雨は、前半はしとしと雨で後半は雷を伴う激しい雨という印象だった。
「やっぱり梅雨の後半は激しく降るね」という会話をしていた記憶がある。
30代に差し掛かり、嘗て嗜んだ釣りを再開してからは、それまで晴れか雨か程度でさほど意識しなかったその日の天気について、否が応でも気になるようになった。
以前とは梅雨が何か違うように感じるのだ。
世間でもそう感じている、言っている人は多かろうが、前半は空梅雨で後半は豪雨というパターンが多いと思う。
2017年の梅雨も前半の降雨は殆どなかった。
益田川は相当な渇水。
今シーズンの魚影の薄さと相まって非常に厳しい釣りを強いられていた。
そんな中で、一度だけ奥飛騨の高原川に釣行した。
例年盛夏の頃に通う高原川だが、川の状況確認のために6月に一度釣行することにしている。
2015年は芳しくなかった、2016年ははっきり「不漁」だと思った。
その2016年よりも良くないと、某所から情報が流れてきた。
オフィシャルではないにしろ、まず間違いなく漁協関係者と思われる方の言で「魚が少ない」というものもあった。
調査釣行をしてみたが実際その通りだと思った。
ヤマメだけでなくニジマスもウグイも少ないのではないかと感じた。
その調査釣行の際、これまで気にはなっていたのだが竿を出さないままだったポイントに入ったのだが、そこが案外好感触だった。
翌日の朝一番でもう一度入ろうかとも考えたが、なんとなくそこは朝一番よりも夕まずめの方が良いような気がして入らなかった。
次回、二日間続けての釣行の際、一日目の夕まずめに入ろうと考えていた。
そのような理由で、実は今回の釣行はずっと高原川に行くつもりでいたのだった。
天気予報をチェックしていると毎日目まぐるしく変わる。
週の初めの予報では、半ばに降雨があり、週末は持ち直すというものだったのが、週半ばは降雨はなく蒸し暑いだけで、金曜から週末にかけて激しく降るというものに変わっていた。
多分高原は無理だろう。
そう思っていたが果たしてその通りとなった。
あれだけ水が出ては釣りどころではない。
ここ何年かで一番の洪水だったと、高原川漁協のフェイスブック・ページ内で記述があったくらいだ。
2017年7月1日、僕は昼過ぎから益田川で竿を出した。
前日の降雨と、職場での飲み会の都合で、夜中から出かけるのはやめた。
所用を済ませ昼過ぎから益田川に向かったのだが、中山七里辺りの益田川の流れを見るとかなり茶色く濁っている。
下呂の街に近付くに連れ、少しずつ濁りは薄くなっていくものの、釣りにはならない濁り度合いだった。
そのままクルマを進めたがどうやら竹原川筋から強めの濁りが入ってくるようで、帯雲橋から上流の益田川本流は寧ろちょうど良い程度の濁りだった。
「今日は中山は諦めよう」。
そう考えた僕は下呂温泉街の上下流で竿を出したが、釣果はウグイのみだった。
今シーズンの益田川なら納得できるかなと思いながらも、この程良い濁りで何も出せない自身の腕や運を呪い、今シーズンの益田川を切なく感じた。
明日になれば状況は変わるかもしれないと淡い期待を抱きながら日帰り温泉に浸かり、僕はまた中山方面に向けて降っていた。
途中激しい雷雨に見舞われたが、下呂の街中を過ぎて中山を走る頃になると嘘のように降雨はなく、路面も乾いていたくらいだったため、「どうせ通り雨だろう」とあまり気にせずそのまま車中泊をした。
2017年7月2日、まだ空が暗いうちに目覚めた。
僅かに白んだ空と頼りない街灯の灯に浮かぶ益田川の流れを見ると、酷い濁りだった。
通り雨程度では済まなかったようだ。
これでは今日も諦めるしかないかなと意気消沈してきた。
もう一度クルマに戻って仰向けになり、何処に入ろうか思案し始めた。
ふと、長良川の白鳥辺りに行ってみようかという考えも浮かんだ。
今シーズンのサツキマスアングラーたちは相当辛酸を舐めた筈だから、この降雨による増水は絶好のタイミングだと考えるだろう。
それが普通だろう。
ならば、郡上のポイントを殆ど知らない僕は混み合うフィールドはやめた方がよさそうだな。
にわか仕込みにはよい釣りはできない日だろう。
そんなことを考えながら何処に入ろうか決めあぐねたまま、僕は再び眠ってしまった。
再度目覚めたのは既に空が完全に明るくなってからのことだった。
7時を回っていた。
もう一度未練がましく中山の益田川を流れを見ても、状況は夜明けの頃と変わらない。
到底釣りができるとは思えない。
上流に向かってみようか。
入る場所を決めかねたまま取り敢えずクルマを走らせた。
益田川沿いを上流に向かいクルマを走らせていると、昨日と同じように少しずつ濁りは薄くなっていく。
帯雲橋まで来てもそれは同じで、やはり益田川本流筋は程良い濁り、水位は殆ど上がっていない。
ところどころ鮎釣りで川に入っている人も居るくらいだった。
ゆっくり朝食を摂って着替えなどの準備ができるところが良いなと思い昨日と同じポイントに入った。
国道からは見えない少し奥に入った場所で、去年までの実績はあるが今シーズンは1匹もアマゴを出していない。
準備を終えて仕掛けを流してみても、ウグイの活性すら昨日より落ちているように感じた。
「こんないい濁りと水量で何もアマゴが出ないなんて重症だなあ・・・」と、一体次は何処に入ろうかと思案し始めた。
ふと、少し下流のポイントのことが脳裏を過った。
色々と理由があって、一昨年までは頻繁に入ったポイントだが去年は一度も入らなかった。
今シーズンも国道や橋の上から流れを見ていて入ろうかと思ったこともある。
もっと水が出た後なら期待できるのだが、この程度の水では望みは薄いだろうと諦めそうになったが、それでも何か気になり結局そのポイントに向かった。
2年振りに入るポイントは新鮮だった。
川底には人工構造物が入っており、底を取りながら流すのは至難の業だ。
底に入ったと思ってそのまま流せば、忽ちにしてコンクリートにハリスが擦れる、鈎先が擦れる、引っ掛かるということになる。
自ずと中層辺りに出ている高活性の魚を狙うことになる。
そしてその狙うべく筋は立ち位置から遠い。
水深や流れの関係でそれ以上は立ち込めない。
投餌点付近の表層の流れは早いものの、川底の人工構造物の影響もありすぐにその勢いが弱まる。
それでも尚、その緩くなった流れに乗って遠くまで流したい。
そのようなポイントで使う竿は勿論僕が所持する中で最長である10.5mの二代目エアマスター。
それに手尻を1m取った仕掛けを繋ぐ。
水中糸はナイロン。
緩い流れを少しでも遠くまで流すには、フロロよりも比重の軽いナイロンが好都合だと僕は考える。
更にその性質はフロロよりも伸びる。
遠くまで流すということは、思いっきり腕を伸ばして、竿を寝かせて、要するに下竿の状態になるまで流すということだ。
その状態で大物が掛かったとき、少しでも緩衝作用のある材質を用いた方が有利だとも考えている。
ただしハリスはフロロ。
コンクリートに擦れることを想定して、擦れに強い材質の糸を使いたい。
以前は事情があって小遣いが少なく、比重云々よりも単純に安価という理由だけでナイロンを用いていた。
しかしある程度自由が利く小遣いを持てるようになってからは水中糸にナイロンを用いることは限られた場面だけになった。
だから常に仕掛けの予備をストックしておくということはしていない。
ベストのポケットに入れておけば、立ち込み時や降雨で濡れることもあるかもしれないし、そうなると水分を吸って強度が落ちる。
2年振りに入るポイントで新鮮な気分になった僕は、早く仕掛けを流したいと逸る気持ちをぐっと堪え、丁寧に仕掛けを作ってから流し始めた。
初めは自身に近い筋から流し、少しずつ遠くの筋を探っていく。
ある程度流すと、僕は益田川の流れに立ち込み更に遠くを探っていく。
もう限界というところまで来ると、上半身を屈めて腕を思いっきり伸ばし、これ以上は無理だというところまで遠くを流す。
しかし、アタリはウグイだけ。
時折尺近いウグイが掛かる。
その瞬間は激しく抵抗し首を振るため、一瞬アマゴと勘違いすることもある。
「あれ?今のはウグイのアタリだったはずだがえらく激しく引くなあ」と思っていると、急にへばってずるずるっと水中から引き上げられてくる。
「ああ、やっぱりウグイだ」。
これの繰り返しだった。
突如ガツーンと引っ手繰るようなアタリがあった。
あわせる間もなかった。
仕掛けを引き上げると、餌のミミズが齧られて残骸だけが鈎の軸に残っていた。
「ウグイじゃないな」。
そう判断した。
ただし、そんな派手なアタリは往々にして小物が多い。
或いは高活性でやんちゃなニジマスだろう。
とは言え、昨日も今日も脂鰭の付いた魚を獲っていない僕は正体を確かめたくてもう一度同じ筋を流した。
しかし、川からは何も返ってこなかった。
今日は川虫は採取していない。
手持ちの餌はミミズとブドウ虫。
しかし、ブドウ虫は持ってはいるものの殆ど使わない。
目先を変える程度にしか使わない。
むしろ僕はミミズのサイズや鈎への掛け方を変えながら流す方が有効だと考えた。
小さめのものを房掛けにする、2匹掛けで2匹目を鈎先から長めに垂らす、大きめのものをチョン掛けにしたり、ミミズ通しを使って掛けるなどしながらしつこく流してみた。
しかし、脂鰭を持つであろう魚からの反応はなかった。
あるのはウグイのアタリだけ。
見事にウグイだけ。
カワムツのアタリも無い。
少しずつ気持ちが萎えてきた。
僕は少し休んだ。
調子の良かった2014年のシーズンのことを思い出していた。
その頃は釣れない気がしなかった。
自分が見込んだポイントには必ず大物が着いていると思えた。
それが今はなかなかそうは思えない。
「どうせいい魚は出ないだろう」。
いつもそう思う。
あと少しやって今日は帰ろうかと考え、遠くの筋を流していた。
上半身を屈めて、腕を思いっきり伸ばした下竿の状態で、何の前触れもなく突如あたった。
ガツーンと引っ手繰るようなさっきのあのアタリだった。
今度はアワセを入れることができた。
正確に言うと「合わせた」「呼応した」という表現の方が適切だと思う。
竿は煽らなかった。
流れに合わせて仕掛けを送るのを止めて、両手で竿尻を握った。
ガツーンというアタリの後のその動作で、両腕にずしりと重みを感じた。
確実に乗った。
仕掛けが殆ど伸び切っていたため、鈎に掛かった直後に相手が水面に顔を出してもがいた。
僕は竿を更に寝かせ水中に相手を引き戻した。
ふと竿が軽くなるような感覚があった。
バラしたかと一瞬焦ったが、魚の方から水中に潜りこちらに近付いてきたのだと分かった。
僕は少し竿を立てて絞った。
そのまま自分の右斜め前方に弧を描くように導いた。
ある程度距離が縮まると、僕は竿尻の持ち手の上下を入れ替えた。
今度は自分の左斜め前方に向かって魚を導いた。
「導いた」と書いたが、そう簡単には寄せられない。
首振りは殆どなかったがズシリと重く底付近を這うように泳ぐ。
これはニジマスではない、アマゴのデカイやつだと確信した。
不用意に絞り過ぎて抵抗されても厄介だ。
こんなとき先代エアマスターなら、元から曲がるようなその調子で魚を騙すようにいなせた。
時間はかかるが、必要以上に魚を暴れさせず、魚自身も知らないうちにへばってきたなという感じで寄せられた。
しかし、二代目は違う。
竿自体は強くなった。
そのため先代の持っていた良い意味での「ぐにゃぐにゃ感」がなくなったため、調子に乗って絞ると魚が暴れる。
竿自体は綺麗な弧を描いて曲がっている。
しかし元竿と元上の長さが先代よりも増えているため、先代の調子に慣れていると、曲がる支点が穂先側に移動しているように感じるのだ。
「エアマスター」を名乗るのだから、先代も二代目も同じ調子だろうと決めてかかっていた。
でも実際は違うのだ。
二代目エアマスターでは先代と同じように絞ったり支えたりしていてはいけない。
このことは昨年までで充分承知した。
バラシたり糸が切れたりと、悔しい思いもした。
今シーズンの益田川、なかなかいい魚に出会えない益田川で、そんな失敗はしたくない。
竿を絞る力を慎重に調整しながら、僕は自分と魚の距離を少しずつ縮めていた。
岸近くの弛みに相手が入ってきた。
腰付近まで立ち込んでいた僕は、少しずつ水深の浅い岸辺に移動した。
そして岸際で水面から頭を出している岩の上に立った。
ここなら川面を見渡せる。相手の動きも見える。
思った通りだった。間違いなく相手はアマゴだった。
背が盛り上がっている。
逞しい体躯の雄だろう。
逃せない。
僕は岩の上から魚を寄せた。
手尻は1m。
相手の大きさ、重量・・・右腕を天に突き上げたとき、果たして左腕は魚に届くだろうか。
少し不安に感じながら至近まで寄せた時に玉網を差し出した。
その途端に相手が走った。
魚の目の前に急に網を差し出したのが良くなかったのだろう。
しかし、右腕の動きにある程度専念しないと、玉網を構えた左腕を差し出したままではこの手尻では寄せることはやはり難しい。
次で決めよう。
バラシは断じて許されない。
もう一度寄せてきた。
右斜め前方から魚を寄せてくる。
そのまま僕の前を横切らせようとする。
魚が自分の目前に来る少し前に玉網を水中で構えた。
右腕を自身の頭の真後ろまで引いたとき、左手の玉網で受けた。
入ったのは各鰭の先端がとがらない、パーマークが残る居付きの益田川本流アマゴだった。
釣り場でメジャーを宛がうと、体長は35cmだった。
その体長以上に、ずっしりと重い引きで楽しませてくれた。
昨日と今日で、君以外に会えたアマゴは居ないんだよ。
対峙してくれてありがとう。
先代のエアマスターを使っていたとき、「この竿でないと獲れなかった」と思えた魚はたくさんいた。
0.5号のハリスで45cmのアマゴを獲ったときにはそれを痛感した。
「これはエアマスターだから獲れた魚だな」と思った。
二代目のエアマスターを使い始めてからは、そう感じたことはこの日までなかった。
でも今日は感じた。
「この魚は、二代目のエアマスターだから獲れたのだ」。
あの遠くの筋まで届く竿が他にあるだろうか。
あの筋を狙うには、この竿でないと届かないのだ。
だから、元から曲がらない調子だから云々なんて言ってられない。
この竿で獲れるような仕掛けにしなければならないのだ。
だからナイロンなのだ。
水中をより遠くまで漂わせることができるだろうナイロン。
伸縮性のある素材であるナイロン。
下竿で腕を伸ばした状態で掛かったとき、それでも切れたりバレなかったのはナイロンの性質によるものだと思う。
今日の主役は竿、即ち二代目エアマスターだろうと思う。
それを支える名脇役がナイロンの水中糸だったのではないか。
フロロの方が優れているわけではない。
使い分けが重要だと思う。
思い返すと、ポイント選定、竿の選定、仕掛け選定、全てが首尾よく運んで獲ることができた魚だと思う。
偶然ではない。
「釣れた」ではない。
「釣った」「獲った」魚だと思う。
自身で凄く満足して達成感のある釣りができた日だった。
【釣ったときのタックル】
竿:ダイワ 琥珀本流エアマスター 105M
水中糸:ナイロン(岩太郎) 0.8号
ハリス:フロロ(シーガーエース) 0.6号
鈎:オーナー スーパーヤマメ 7.5号
餌:ミミズ