日記

日々のあれこれ

京都、高瀬川の源流を訪ねる

2023年12月07日 | 旅行

すべての始まりは懇親会場。居酒屋風の名前だけど、角倉了以の屋敷で、山形有朋が別荘にしていたこともある由緒正しい場所。

そういえばブラタモリで紹介されていたのもこちらのお屋敷。懇親会の出欠の返事は「ハイハイ行きます。何があっても行きます」の一択。いゃあ、機織りしていてよかった。してなければ一生御縁がなかったかも。

展示会場から懇親会会場まで徒歩10分というところでしょうか。

場所は簡単。もう日も暮れましたが、御池通を鴨川に向けて歩き、手前の細い川=高瀬川を渡って北上するとすぐ。

着きました。居酒屋風の名前。チェーン店のようです。

石碑があります。

会が始まる前に、仲居さんに声を掛けられ、希望者数人が庭を見学しました。

ライトアップしています。

庭の奥の巨大な石灯篭を、下まで行って見上げます。建物から見てもよく目立ちます。

庭から宴会場が見えます。

橋を渡ります。

池(=鴨川から高瀬川へ通じる水路)を水が淀むことなく流れています。

手前が鴨川側、向こう高瀬川方向、かなりの水量です。

シャバシャバシャバ、ザワザワザワ・・・

水は左から右へと流れています。

行く川の水は絶えることなく、しかも元の水にあらず。

気が付けば庭を一周したのは私だけ。他の方は早々に引き上げています。

ライトアップの光が目に入るとまぶしくて、足元は真っ暗。転ばないよう、流れに落ちないよう気をつけました。

豪華なお庭でした。向こうは築山になっていて、屋敷周りは石で囲ってあります。


本日の八寸。

美味しくいただきました。

参加者は40人くらいでしょうか。作品数は50です。翌6日から展示が始まりました。

後は話に夢中で写真撮ってません。

4人掛けのテーブルは女性ばかり。神奈川2、三重1、広島1。

4人の出品作の内訳は金工、染色、紙芸、それに織りです。ジャンルは違いますが個人で道具揃えて工芸をする大変さ。いろいろ話が聞けて良かったです。


翌日は用事を終えて、今度は昼間の高瀬川を見に行きます。

橋の上から高瀬川上流を見る。桜の木、多数。

左はホテルオークラ。元は長州藩の京都屋敷。いい場所ですね。

ちなみに尾張藩邸は今は京都大学に。京都も大名屋敷がいろいろあったようです。

鮮やか。今年見た中で一番かも。

佐久間象山そのほかの遭難碑あり。

つい150年前、人を刀で切り殺していた時代。

高瀬川の最上流。

高瀬川は水運のために開削された運河。

伏見で淀川と合流。船で物資が運ばれました。

もちろん人も。森鴎外の「高瀬舟」など。

あの橋の下が川の起点。

道の下は暗渠になって、右の角倉了以の屋敷跡から流れてくることに、今回やっと気が付きました。

私はずっと長い間、伏流水が地上に出てきたとばかり思っていました。

島津製作所の資料館。社員がノーベル賞を受賞して一躍有名になった企業はこの地で創業。

鉄道や道路の未発達な時代、この地は交通の便がよかったのでしょう。

資料館は15年くらい前に行ったので今回は省略します。

13時になりました。お昼にしましょう。

最後は東西の鍵型の分岐があります。長州藩邸から直接船に乗るための専用水路だったのでしょうか。

水はきれいでした。

いろいろなことがやっと一つにつながり、勉強になりました。

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