佐久市 ヤナギダ 趣味の店

長野県佐久市野沢93番地
ヤナギダ☎0267-62-0220

リスクを選んだ時、人は初めて生まれ変われる。

2023-03-01 12:00:35 | 日記
二者択一で迷ったとき、
「どっちが儲かる」
 「どっちが得が」という

利害関係や金銭関係を
持ち込んだら、その選択
は必ず誤ります。

「どっちにすれば自分自身
が生まれ変われるか」とい
う基準で選ぶ人が成功者
です。

自分の中に軍師を持って
いる人です。

ところが、ほとんどの人が
生まれ変わらないほうを
選んでいます。

なぜなら、それは楽で、今ま
でどおりのやり方でできる
からです。

リスクがないからです。

「リスク・テイク」という生き
方を選んだ人だけが、

仕事の幅や力がつき、
人間関係も変わってくる
のです。

人生を変えるために、
リスクのあるほうを、選ぶ
のです。

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『どうやって応えるか』

2023-03-01 11:54:50 | 日記
元禄時代の井原西鶴は、
「不況の乗り切りには、始
末・算用・才覚・信用が大事
である。

不況下でも新しく生まれる
ニーズもある。これに応える
のが経営だ」というようなこ
とを言っている。

江戸時代の大不況に、松坂から
進出し成功したのが三越百貨店
の前身“越後屋”だ。

主の高利はすでに52歳の老齢
だった。

経験を積んだ息子や人を配し、
呉服店を開店させたとはいえ、
当時の江戸にはすでに老舗大店
が幾店も軒を連ねていた。

この難局に対し、越後屋は創意で
心機軸の商法を編み出していく。

1、店前売り(普通は年2回の盆・
暮の二節季払い)で商品の値を
下げた。

2、現金売りによる収入は資金の
回転を二節季払いの倍早めた。

3、呉服業者間では禁じられてい
た「切り売り」の断行。どの店も
一反単位の取引を、客の需要に
応じて切り売りし、江戸町民
の大きな需要を掘り起こした。

お客様第一に考えて知恵を
働かせれば道はあるという
例だ。

それは現代でも変わらない。
ネオン街は灯が消えたという
けれども、

新宿西口の立ち食い寿司屋や
ステーキハウス他、
小便横丁の一杯飲み屋や焼き
鳥などは満員だ。

誰もが一律に伸びることがで
る時代が終わっただけ、

使う人の立場で考え、ひと
工夫するだけで道は開けて
くるものだ。

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誰かを想う気持ち  きっと優しい感情が それを織りなすのだろう「心のシート」を譲り

2023-03-01 11:53:40 | 日記
体罰教師の目にあまる暴行
や就職面接官の下品な発言
など、心ない言動が新聞紙
面上で報じられています。

また、何か問題が起きると、
政治家や経営者が秘書や
部下に責任を押しつけたり
する行為も、下請け会社に

無理難題を押しつける親
会社の姿勢もすべて根は
同じです。

自分よりも弱い者を見下
してつらく当たるのは、
その人の知恵のなさの裏
返しであり、人間性の下劣
さの証でもあります。

わざわざシルバーシート
をつくらないと、お年寄り
や身体の不自由な人に席
を譲るという心遣いもでき
ない―――そんな現代の

貧困な世相を映している
と言えます。

豊かにはなったが、自分の
ことしか考えない人が増えて、
優しさがなくなったなあと、

近頃とみに感じるようにな
りました。物質的な豊かさ
を求める中で、私たちは
心の豊かさを失ってしま
ったのだとしたら、こんな
に寂しいことはありません。

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「勇気を失うこと・・・」

2023-03-01 11:52:48 | 日記
金を失うのは些細なことで、
名誉を失うことは甚大だ。
だが、勇気を失うのは、
全てを失うことだ。
 チャーチル/政治家

チャーチルといえば、世界史
の教科書に掲載されていた、
ヤルタ会談の記念写真を思い
浮かべる人も多いだろう。

イギリス首相としての巨大な
指導力により、連合国側の
勝利に多大な貢献をしたが、

第二次大戦の終わる直前の
総選挙で敗北し、失脚。

大戦勝利の瞬間を首相とし
て祝うことができなかった
のは、歴史の皮肉か。

そんな歴史的政治家の金言
のひとつ。

勇気はすべての礎。
これさえあれば、何度でも
ヒノキ舞台に帰ってこれる。

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心中の前に爪切ることなどとを君に教えし小春日の部屋

2023-03-01 11:45:15 | 日記

心中とは、愛し合う者が一緒に

死ぬこと、つまり情死である。が、

本来は、愛情が本物である証拠を

示し合うという意味だった。江戸

時代の遊里では、その手段として、

放爪(ほうそう/爪をはぐ)、誓紙、

断髪、入れ墨、指切りなどを行っ

たという。

 

肉体的苦痛に耐えることによって、

愛情の深さを示したわけで、その

究極が「死」だった。

 

 歌の「心中」は、死を意味する

ものだが、死ぬ前に爪を切る習慣

があった。たとえば、切腹に作法

があるように・・・・。

 

かなり熱心にあれこれと文献をあ

ってみた。

誓いを書く料紙には熊野の牛生(

ごおう)を使用するとか、血判は

男は左、女は右の、中指または

くすり指で、血をしぼって名前の

上に落とすのだか、爪のはぎかた

や髪の切り方にもいろいろあるの

だとか、入れ墨には「誰サマ命」

と入れるのが一般的だとか、指切

は介錯人(かいしゃくにん)に

頼み、「つぶ切り」と「そぎ切」

とがあるのだとか。そういう興

味深い記述に出会った。

 

一般的に解釈すれば、爪を切ると

いうのは、死ぬ前に体をきれいに

して、という意味なのだろう。

残された人への形見として、とい

ったこともあるのかもしれない。

 

「心中」でだいぶ寄り道をしてし

まったが、歌は、上記にあげた

ような恐ろしい手段に訴えるこ

ととは無縁の若者の恋の歌。

 

小春日の部屋という舞台。季節

は初冬だが、ぬくぬくとした日

差しに包まれている二人。

「あのねえ、心中するときには

ねえ、こんなふうにするのよ」

  • ちょっと大人びた口調で語り

かける彼女。彼はその言葉にド

キッとしただろう。口にした本

人も、ドキドキしたことと思う。

けれど、そのドキッやドキドキ

は、言葉の刺激を楽しむ範囲に

過ぎない。

 

仮に、もしこの二人が、生きる

死ぬのというどろどろした恋愛

をしているとしたら、こんな会

話はありえないはずだ。

 

「あの世で一緒になるかもしれ

ない」と思いつめるほどの障害

は、現代ではあまり見当たらな

い。そんな激しさに慣れる気分

がある。が、もちろんそれは、

現状への不満や苛立ちなどでは

ない。満たされているからこそ、

心中という語がスパイスとして

生きるのだ。

 

 

 

 

 

 


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陽に濡れて駅まで歩く吾と君の近づきすぎて遠ざかるもの

2023-03-01 06:47:02 | 日記

彼女一人に愛情をそそ
ぐ男が、結果、いちばん
モテる。
新しく出会った女から
「彼女はいるの?」と聞か
れた時に、いるのに

「いない」と言っているよう
ではダメ。
ほとんどの男は、勘違いしてる。

勘のイイ女は、目の泳ぎを
見て判断している。
瞳は、ウソをつけない。

好きだからつきあいたいと
いう気持ちは、
恋人がいるとか、
いないとは、別の話です。

なんせ、イイ男には
女がいるものだもの

 


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