“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

ヨウ素被ばく0.2~4.6ミリシーベルト 浪江

2013年01月13日 11時00分00秒 | 臼蔵の呟き
昨夜のNHK番組でも11年3月の福島第一原発事故に関する報道を行い、ヨウ素131の飛散、被爆状況を研究者が行っていることが報道されました。3月11日から3月末までの残っている記録データを拾い集めながら、地域別のヨウ素131の被爆量を推定しています。ヨウ素は甲状腺にたまることから甲状腺がんの発症率が高まるのではないかと推定されています。実態がよく分からないことから、飛散量の多い地域に住んでいた住民の不安も大きく、実態を明らかにすることは大切であると思います。その上で、必要な医療対策、支援を最大限行うことではないかと思います。

自公政権が原子力発電所再稼動をさせる方向で、動いていることが報道されています。国会事故調査委員会、政府調査委員会、民間事故調査委員会の調査報告が出されていますが、何1つ、国会の場で、この事故調査の報告に基づくまともな検証がされていません。民主党野田政権の大飯原発再稼動、再稼動を迫った関西電力、原発再稼動を求める電力会社、経団連などの政治的な圧力の前に腰砕けとなり、まともな、事故原因の究明が出来ないでいます。このようなことを前提として、自民党安倍政権は、自らが過去続けてきた、原子力政策を反省することなく、意識的な無視を決め込み、原発再稼動に出来るだけ早く踏み出そうとしています。そのためにも、原発事故に関する報道を減らし、原発エネルギー政策を復活させようとしています。原発問題は放射能汚染問題ではなく、電力受給問題、電力料金問題、経済成長問題としての視点から、再稼動を容認せざるを得ないと仕向けています。

11年3月から2年がたとうとしていますが、たった二年で原子力発電所事故を風化させ、過去のものとして葬ろうとの政治的な思惑が見えています。自民党安部政権の閣僚の多くは原子力発電所再稼動、原子力エネルギー政策推進派で占められています。緊急経済対策も、原子力政策も過去の自民党政治の反省を行うことなく、「亡霊」ように自民党型政策を復活させています。憲法改悪、公共事業への巨額資金投入、富裕層への減税、大手企業研究開発費への補助金、原子力発電への回帰、日教組攻撃と歴史教科問題など、規制緩和と竹中平蔵復活、小渕、小泉政権時代の顔ぶれと政策の復活が特徴になっています。

昨年12月のそう選挙結果はこのようなことを許す、期待した投票でも、結果でもありません。

<ヨウ素被ばく0.2~4.6ミリシーベルト 浪江>

 弘前大被ばく医療総合研究所の床次(とこなみ)真司教授のグループは11日、福島県浪江町の住民の福島第1原発事故で放出された放射性ヨウ素131による被ばく線量が、0.2~4.6ミリシーベルトと推定されると発表した。

 国際原子力機関が甲状腺がんを防ぐため安定ヨウ素剤を飲む目安とした50ミリシーベルトを大きく下回り、床次教授は「被ばく線量が増えればリスクは増えるが、健康的な影響は極めて小さいのではないか」と話した。
 調査対象は2011年7月11日~8月31日、日本原子力研究開発機構(JAEA)や放射線医学総合研究所(放医研)のホールボディーカウンター(WBC)で測定した0歳~60代の2393人。
 ヨウ素131は半減期が短く、事故後すぐに測定しないと被ばく線量が分からない。浪江町民の被ばく線量もほとんど不明だったため、昨年11月、2393人のうちセシウムが検出された399人について分析した。
 床次教授らは11年4月12~16日、浪江町と南相馬市の計62人の被ばく線量も測定。うちヨウ素とセシウムを検出した5人のデータから、セシウムに対するヨウ素の比率を求め、浪江町民の被ばく線量を計算した。
 62人のうちヨウ素が検出された46人の被ばく線量の中央値は4ミリシーベルト(最大33ミリシーベルト)で、床次教授は「推定値と大きな差はなく、信頼できる結果になった」と説明する。
 弘前大は来月以降、被ばくによる染色体の異常の検査を希望者に実施するという。
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経済構造の転換について

2013年01月13日 07時12分13秒 | 臼蔵の呟き
法政大学田中優子教授が非常に優れた提案、分析をしていますので紹介します。この提案の少しでも実現できれば、日本の政治経済の閉塞感は減少し、未来への展望も開けるのだと思います。節電する社会、再生可能エネルギーの開発などはこの田中教授の分析と一致します。また、東京と地方、地域間格差を解消することにも道が開けるように思いますが。

<田中優子教授のコラム>紹介

浪費で経済が上向くか?
どうもわからない。定額給付金でなぜ世の中が良くなって人が幸福になるのだろう? 財政が逼迫している時、なぜ「お金を使わない」ことで乗り切るのではなく、使うことで乗り切ろうとするのか。そこでこれを、江戸時代の改革から考えてみることにした。

 江戸時代では藩政改革であろうと幕政改革であろうと、第一におこなうのは「倹約」であった。倹約の方法は合理的だ。無駄をなくす、ということだけである。たとえば藩政改革史上もっとも知られた米沢藩主上杉鷹山の場合、まず賄賂や不正をやめさせた。そのために世襲代官制度を廃止したのである。世襲は不正を生みやすい。幕藩制はそもそも世襲で成り立っているのだから根本から手をつけるわけにはいかなかっただろうが、不正と職種のつながりを切ることはできた。

 次に自分自身の倹約である。鷹山は自ら絹の着用をやめ、木綿を着て一汁一菜を実行し、行事や祝宴贈答を中止して冠婚葬祭を縮小した。こうして生活費を七分の一にした。さらに江戸藩邸の奥女中を他の屋敷で雇ってもらって五分の一に削減する。自分の生活を変えることで、藩士たちが質素倹約を実行しやすくしたのだった。江戸時代のほとんどの下級武士は貧しく、現役の武士でも内職で生きていた。しかし武士は使用人を雇わねばならず、その使用人の数は地位によって決められていた。藩主が倹約をすれば、藩士たちはそういう決まりや慣習にこだわることなく、収入に見合った生活を実行できるのである。

 倹約とは、未来を見通し、今の無駄を無くして合理的に暮らすことである。たとえば家をつくるとき、先のことを考えず贅沢に木材を伐採すれば山は裸になり、洪水が起こる。植林しなければ日本中の山が丸裸になり、燃料にもこと欠くことになる。そこで幕府や藩は、各地で伐採の規制をおこない新築は極力抑えるようにした。ここまでが倹約である。しかしこれだけでは足りない。山の管理も藩政改革も、規制の次には積極的な育成が必要だ。無駄な伐採をやめた後、育林がなされた。今でも日本の山が緑に蔽われているのは、江戸時代以来の育林政策の結果である。

 藩政改革も、倹約で無駄な出費を抑えた後は、ものを産み出す必要がある。産業の中心は農民である。財政が逼迫している藩は往々にして年貢率を上げてしまう。今でいう増税である。しかし当時は増税に対して農民はただちに一揆で応えてくるし、解決できなかったら逃散してしまう。冷害などで飢饉が起こったとき藩が援助をしなければ逃散に拍車がかかる。米沢藩ではそれが起こった。人口は減少し農村は荒廃した。藩財政は悪循環に陥ったのである。鷹山は農民が漆の苗木百万本などを植えるように促し、実が生るごとに市場価格で買い取った。桑によって養蚕を盛んにすると、次には絹織物技術を導入して織物まで作る。コウゾからは和紙を漉くなどして、五十種類以上の新しい商品開発をおこなった。商品開発のために農民は新しい技術を手にした。こうして農村は荒廃から立ち直った。

 浪費と消費とは違う。人々が虚しい浪費をしないよう促すことは、逼迫した社会を改革するための第一歩ではないだろうか。江戸幕府は賭博を再三禁じていたが、これも浪費と犯罪を防ぐためである。定額給付金をもらって賭博やパチンコをしたり、煙草を吸い、酒びたりになり、意味もなく車を乗り回し、要りもしないものを買ったりすることも、今の政府は大歓迎に違いない。空費や浪費であろうと、金を使うことで良い社会になる、という大きな勘違いをしているからだ。浪費は結局、次の仕事も次の生活も変革も生み出さない。鷹山は一時的に金をばらまくのではなく、減少した農村に人が住み着くよう、武家の次、三男に田畑と家屋を与えて三年間無税にした。帰村者や入村者を歓迎した。

 刹那の空費のためではなく未来の社会に投資することこそ、改革の方法であり、税金の使い方なのではないのか。
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