自らの政策に反対する自治体を恫喝し、排除するかの発言は、自民党の独善性、暴走を良くあらわしています。そもそも選挙でも、国会でも全く集団的自衛権行使容認についての国民的審判は受けていません。自治体が憲法を守れと要求し、決議を上げることがなぜ悪いのでしょうか。おごりもここまで来ると狂っているとしか言いようのない独善振りです。国民が要求をしてもいないことを安倍、高村、自民党中枢の思惑で、一方的に閣議決定をしようと狙い、画策をしています。おろかな、政治集団です。
自民党の高村副総裁「日本人なら勉強しろ」
「地方議会であっても、日本人であれば慎重に勉強してもらいたい」
自民党の高村正彦副総裁は27日の記者会見で、岐阜県議会と那覇市議会で自民党議員が集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈の変更を批判する意見書を提出、可決されたことを批判した。
高村氏は「いまだかつて一つの閣議決定に当たり、これだけ慎重にやったことは私の経験では知らない」と強調。さらに「自国の存立を全うするため必要な自衛の措置をとることを憲法は禁じていない」とした昭和47年の自衛権に関する政府見解に言及し、「この見解を出したときも与党の事前了承はなかった」と述べ、丁寧な議論を積み重ねているとアピールした。
岐阜県議会は24日、「慎重な検討を求める」意見書を、那覇市議会は20日に「安倍内閣への抗議」の意見書をそれぞれ可決した。
自衛権の行使 海外で認めてはならぬ
これでは歯止めにならない。「集団的自衛権の行使」を認める政府の新しい憲法解釈案である。公明党も軟化し、安倍内閣は来週、閣議決定する構えだが、海外での武力行使を認めてはならない。
集団的自衛権の行使容認に反対する国民や地方議会の声は結局、踏みにじられるのか。憲法改正を堂々と提起し、国民投票で判断を仰ぐのならまだしも、これまで政府自身が違憲としてきたことを、一内閣の判断で合憲とねじ曲げる異常さに気付かないのは、政権与党の面々だけである。
「解釈改憲」による行使容認に慎重だった公明党は、山口那津男代表が容認に転じ、週末には地方組織幹部を集めた会合を開く。支持者に近い立場の声をくみ取り、政府や自民党にぶつけるというよりは、説得が主眼なのだろう。
山口氏は、これまで十回開かれた与党協議を経て「二重三重の歯止めが利き、拡大解釈の恐れはないと思っている」と語っているが、果たしてそうだろうか。
政府の新解釈案は、憲法九条の下で「武力の行使」を認める三要件を示している。その本質は専守防衛を転換し、自衛隊の海外での武力行使を認めることである。
他国への攻撃でも自衛隊の武力行使が認められる「日本の存立が脅かされる」とはどんな事態か、必ずしも明確でない。
政府の判断次第というのでは、海外での武力行使に歯止めが利かなくなる恐れがある。政府が挙げた米艦防護など十五事例の妥当性も十分検討されたとは言い難い。
政府の対応は一貫性を欠いていた。多国籍軍支援を認める新しい基準として四条件を示したが、公明党の反発でわずか三日後に撤回し、別の条件に置き換えた。
安倍晋三首相は「武力行使を目的として湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことはこれからも決してない」と明言しながら、中東ペルシャ湾などを念頭に、武力行使に該当する機雷除去は行うと主張する。
この一貫性のなさは、対応が必要な切迫した事例がないまま集団的自衛権の行使を認め、自衛隊の海外での武力行使に道を開くという「結論ありき」で議論を強引に進めたからではないか。
戦争の多くは自衛名目の派兵で始まった。歴史の教訓をかみしめるべきだろう。一内閣の判断で専守防衛という戦後日本の根幹を変えていいのか。与党だけの密室協議や連立政権維持という政局的判断で、国を誤ってはならない。