積極的平和主義なるものがいかにいんちきで、でたらめな政治スローガン化を示す事例です。彼らは本音を隠し、言葉でごまかす手法を用いています。ナチスの政治手法とまったく同じです。行き着く先も同じになるはずです。1つだけ違うことは時代の流れは、戦争による紛争解決ではなく、外交努力による紛争の平和解決が主要国の主流になりつつあると言う点です。安倍、麻生、高村、公明党などが戦争できる国づくりを目指しても世界の政治潮流とは異なっている点こそが最大の違いです。彼らが靖国神社を参拝し、戦争できる国、戦死しても靖国で会おう!戦死すれば神になるのだと嘯いても、そのことが国内的にも、国際的にも主流になる時代は去りつつあることを自覚すべきです。
<毎日新聞>集団的自衛権 誤りの道繰り返すな 早乙女勝元さん
敗戦から69年。戦争は遠くなった。悲惨さを知る人がもうあまり残っていない中で、実感の伴わない集団的自衛権の論議が進んできた。「自衛権、という言葉はまやかしだ」。大空襲を生き延びた作家、早乙女勝元さん(82)は言う。「戦闘権、というべきです。これはいつか来た道。歴史に学ばなくてはいけません」
「若い人に『銃後』と言っても通じませんよ。数字の15と勘違いされる」と苦笑する。今も「東京大空襲・戦災資料センター」(東京都江東区)の館長を務め、戦争体験の継承に力を注ぐ。だが、実際に継承していくことの難しさを感じてもいる。
戦争になれば、戦場から離れた場所はすべて「銃後」となる。そこで何が起きたか。
12歳だった1945年3月10日、父に起こされて外に出ると、真っ赤な火の海が見えた。リヤカーに家財道具を縛り付け、焼夷(しょうい)弾が降る中を両親たちと逃げ回った。電柱がマッチのように火を噴き、人が火だるまになっていた。死が目の前にあった。この空襲で10万人が死んだ。「聖戦を行う神国・日本」「神風が吹いて必ず勝つ」と教えられていたのに、町は焦土と化し、戦争の実態を知らされないまま民間人が犠牲になった。
どうして戦争を止められなかったのか。母は「いつの間にか始まって、いつの間にか火の粉が降ってくるようになった」と答えた。「見えざる、聞けざる、言えざる」の状態で国民は戦争に動員されたのだ、と思った。
戦後は工場勤務の傍ら戦争体験を本にまとめ、戦災資料センター開設に尽力した。戦争で大切な人を亡くした遺族たちの証言を集め、講演などで「(戦争を)知っているなら伝えよう。知らないなら学ぼう」と訴え続けてきた。
「戦争が恐ろしいのは、その本質が隠蔽(いんぺい)されることです」。議論が尽くされぬまま集団的自衛権の行使へと向かう今が、当時と重なって見える。
安倍晋三首相は、集団的自衛権の類型を説明する際、パネルで母子を守るイメージを前面に出した。「きれいな面ばかりを見せている」と感じた。「自衛隊に死者が出るかもしれないこと、日本の基地が狙われる可能性が出てくることを言うべきです」
国民が知らぬ間に戦争が始まっていた、という事態は阻止したいと考えている。「歴史を知らないと道を誤ります。そうして犠牲になるのはいつも市民、民間人。そのことを私は死ぬまで証言し続けます」
明日へのとびら 安全保障の大転換「失うもの」を見据えよう
<信濃毎日社説>
明日へのとびら 安全保障の大転換「失うもの」を見据えよう
紛争地の現実を直視し、武力行使で「失うもの」の大きさを考慮した議論を求める―。
世界各地で人道支援活動などを展開している非政府組織(NGO)、日本国際ボランティアセンター(JVC)は今月10日、こんな提言を発表した。安倍晋三首相が集団的自衛権の行使容認に向けた議論の加速を与党幹部に指示した日だ。
こうした声を振り切るように、政府・与党は閣議決定に向けて突き進んでいる。
首相は行使容認の必要性を国民に訴えた先月の会見で、世界各地で活動する日本人ボランティアが武装集団に襲われても現状では自衛隊が助けることができないことを理由の一つに挙げた。
JVCの谷山博史代表には、それは自衛隊の海外活動の制約を緩めるための方便で、民間の国際協力活動の現実を踏まえているとは思えなかった。
▽リアリティーの欠如
谷山さんはJVCに入って30年近い。米国が2001年に軍事力で当時のタリバン政権を倒したアフガニスタンでは、その翌年から4年以上にわたって現地事務所の責任者を務めた。
滞在中、米軍による強引な家宅捜索や誤爆などで住民の反米感情が年々募っていくのを目の当たりにした。北大西洋条約機構(NATO)に加盟する欧州諸国は集団的自衛権を理由に参戦し、泥沼の戦闘に巻き込まれた国が少なくない。一方、日本はインド洋での給油支援にとどめた。
政府が武力を使わない姿勢を示したことが、現地で反感を買わずに支援を続けられた要因―。谷山さんはそう考えている。
首相の言葉や与党協議がいかに現場の実情を軽んじているかを浮き彫りにするものだ。
谷山さんらJVCのスタッフは安倍政権の安全保障政策の転換に危機感を強め、異議を唱えることにした。その中に具体的に書き込んだ理由はこうだ。
(1)多くのNGOは安全対策を徹底して行動している(2)自衛隊による救出は現実的でなく、多く場合交渉で解決している(3)武力を使えば武装グループから攻撃の対象とされ、防御が攻撃に転じてエスカレートする(4)軍との関係が疑われればNGOも支援対象の住民も危険にさらされる(5)日本の平和協力の独自性が失われる―。
JVCが発足して今年で34年になる。長年にわたる紛争地での支援活動から導き出された理由だけに、説得力がある。
リアリティー(現実)を欠いたこれまでの論議は、集団的自衛権の行使容認で任務拡大を求められる自衛隊員や、「専守防衛」をたたき込まれてきた元隊員をも複雑な思いにさせている。
1992年、自衛隊にとって初めてとなるカンボジアでの国連平和維持活動(PKO)に参加した元自衛隊員に話を聞いた。
「首相が事例として挙げた邦人を乗せた米艦防護も、海外で活動するボランティアの駆け付け警護も、実際にそんなことがあり得るのか、といえば可能性は極めて低い」。元隊員は言い切る。
自衛隊は来月1日に発足60周年を迎える。カンボジア派遣をめぐっては国民の反対も強かった。派遣の根拠となるPKO協力法は三つの国会にわたる審議を経て、ようやく成立した経緯がある。
賛否はあっても自衛隊の海外活動が国民の一定の理解を得るようになったのは、憲法9条に照らして武力行使をしないなど、歯止めを踏み越えることなく、犠牲者も出さなかったことが大きい。
けれど、集団的自衛権の行使容認で、仮に自衛隊が海外で武力行使をすることになれば、加害も被害も覚悟しなくてはならない。
▽武力に頼る危険性
「そんな事態が実際に起きれば3・11の災害救助など60年かけてようやく得た国民の理解を一気になくすことになりかねない。国民の信頼を失えば、自衛隊員は誇りを持って活動できなくなる」と苦言を呈した。
谷山さんや元隊員が共に疑問視するのは、安倍政権が行使容認ありきで、その問題点を徹底的に掘り下げないことと受け止めた。厳しい国家財政、少子高齢化、紛争を防ぐための外交の弱体化など、日本が抱える課題を踏まえ、どのような国を目指すのか、具体策も示そうとしない。
JVCの提言は最後に、軍事力に頼る国際貢献は自国民を守る上でも国際紛争を解決する上でも効果を発揮しないと訴える。
軍事によらない日本らしい安保政策や外交戦略を練り上げることこそが国民の安全に必要なのではないか。平和国家とみなされなくなったらどうなるか。失うものの大きさを国民一人一人が真剣に考えなくてはならない。