三権分立を否定し、行政権の優位、暴走を許すかどうかの瀬戸際に立たされています。三権分立、憲法の制定、基本的人権などは世界各国の共通した制度であり、体制の違い、内容の相違があったとしても現代社会における基本的な考え方の基本になる政治思想ではないかと思います。安倍、自公政権、高村などの自民党中枢が血道をあげる解釈改憲が、世界各国の評価、歴史の評価に耐えうるのかどうか分かりきったことのように思います。
現段階で最高裁の司法判断が出なくても、訴訟が提起された時点で、避けて通ることができない判断が要求されます。最高裁がその判断を回避すれば、自らが司法の存在を否定し、三権分立を否定する行為と評価されることになるでしょう。福井地裁が行った大飯原発差し止め訴訟の判断は画期的といわれています。考えてみれば、憲法の規定に基づき、行政から独立し、純粋に司法としての判断を行えば、当然の判断でした。司法への行政の関与が強まり、正常な司法判断がゆがめられていても、三権分立が制度として死滅、否定されない限り、必ず、憲法を無視した解釈改憲は否定されるはずです。
<毎日新聞社説>集団的自衛権 司法の審査
□憲法判断を侮るな
集団的自衛権に基づき自衛隊が派遣されるような事態を迎え訴訟が起こされれば、司法判断が出ることになる。安倍晋三首相は「政府が憲法を適正に解釈するのは当然」と強調するが、行使を可能にする解釈変更が憲法上「適正」かどうかを最終判断する権限(違憲審査権)は最高裁にある。その時、違憲判決が出ないとは言い切れない。
政府・与党には、三権の一角を占める司法の場で、いずれ事後チェックを受けることを見据えた慎重で冷静な論議が欠けているのではないか。
他国を守るための武力行使を認める集団的自衛権は、国際紛争解決のための武力行使の放棄や戦力の不保持、交戦権否定をうたった憲法9条に反するとの学説は憲法学者の間に根強い。
木村草太・首都大学東京准教授(憲法学)によると、国民の生命・自由を国が最大限尊重すると定めた憲法13条などを根拠に政府が従来認めてきた個別的自衛権と異なり、集団的自衛権は憲法に行使を認める根拠規定も手続きの規定もなく、想定されていないという。「政府解釈を変えても違憲は違憲。認めるには憲法改正が不可欠」と話す。
ドイツの憲法裁判所などと違い、日本では具体的な紛争が起きて初めて訴訟として裁判所に認められる。集団的自衛権の場合、自衛隊派遣命令などが出た時に差し止め請求が起こされたり、武力行使に伴い生命・財産などの被害を受けた当事者や家族から国家賠償訴訟が提起されたりすることが想定される。
今の裁判所に違憲判決を出せるはずがないと、政府・与党は高をくくってはいないか。
「憲法9条はわが国固有の自衛権を否定していない」と初判断した砂川事件最高裁判決(1959年)は、日米安保条約について「高度の政治性を有しており、一見極めて明白に違憲無効と認められない限り、司法審査権の範囲外」との見解を示した。いわゆる「統治行為論」だ。
集団的自衛権をめぐる訴訟になれば初の憲法判断となる。最終的には15人の裁判官による最高裁大法廷で審理され、結論が示されるはずだ。もし「統治行為論」が再び持ち出され、審査の対象とされないようでは司法の消極姿勢が問われるだろう。
そして、違憲判決が出た場合の影響は計り知れない。自衛隊活動の正当性に疑念が深まり、賠償責任を負うなど政府が抱え込む訴訟リスクはあまりに大きいと、木村氏は警告する。
司法の憲法判断をあなどってはならない。政府・与党には、憲法学者らの意見に耳を傾ける謙虚さが足りない。