先日「幸福実現党」という新党が結成され、今度の総選挙に多く立候補するらしい。自由なのでダメとは言えないが、過去の例からすると問題も多い。
宗教団体がバックにある政党は、総じてお金持ちだ。事務所などの会館も立派、街宣車などの設備も金がかかっている。なにしろ非課税なのだから、集めやすい。
本来、政治は理性の世界であるべきだ。当然、好き嫌いや今の政治に対する怒りなどの要素もあるとは思うが、基本的には自分達の将来、社会のあり方という理論・理性の世界だ。それに対して、宗教はどちらかといえば主観・感情の世界である。人間は、感情を持っているのでそのような分野があっても不思議はない。ただ、問題は理屈が通らないということだ。
過去に、ある宗教団体の方と対話したことがある。通常は政治とも距離を置いて、まじめに活動されているようだ。話の大半は理路整然としていて、「なるほど」と思うこともある。対話をするうちに、最後のところで急に主観・宗教観が入り込む。最終的な決め手は「信じるか信じないか」「信じる者は救われる」ということになる。裏から見れば「信じない者は救われない」ということになる。人が客観的にどのような危機にあるか、困っているか、平等とは何かなどの観点は全部どこかに行ってしまっている。そこが、政治に関わる時の決定的な弱点でもある。
仕事で失敗した時、失恋した時、家族を亡くした時など、人間の心が弱っている時に、上手に入り込んでくる。言い換えれば、地域の人たちの「不幸」を観察してして、そのような場面になったときを狙ってお世話・世間話・気分転換への誘いなど、本当に上手に接近してくる。日本では政治的影響力があるので合法的な宗教団体が、外国では「カルト教団」(オウム真理教のような宗教団体)と認定されているところもある。
一人ひとりが、自分の生き方、精神のより所として宗教に関わることはいいが、政治に関わる際は十二分に冷静に観察して判断する必要がある。
宗教団体がバックにある政党は、総じてお金持ちだ。事務所などの会館も立派、街宣車などの設備も金がかかっている。なにしろ非課税なのだから、集めやすい。
本来、政治は理性の世界であるべきだ。当然、好き嫌いや今の政治に対する怒りなどの要素もあるとは思うが、基本的には自分達の将来、社会のあり方という理論・理性の世界だ。それに対して、宗教はどちらかといえば主観・感情の世界である。人間は、感情を持っているのでそのような分野があっても不思議はない。ただ、問題は理屈が通らないということだ。
過去に、ある宗教団体の方と対話したことがある。通常は政治とも距離を置いて、まじめに活動されているようだ。話の大半は理路整然としていて、「なるほど」と思うこともある。対話をするうちに、最後のところで急に主観・宗教観が入り込む。最終的な決め手は「信じるか信じないか」「信じる者は救われる」ということになる。裏から見れば「信じない者は救われない」ということになる。人が客観的にどのような危機にあるか、困っているか、平等とは何かなどの観点は全部どこかに行ってしまっている。そこが、政治に関わる時の決定的な弱点でもある。
仕事で失敗した時、失恋した時、家族を亡くした時など、人間の心が弱っている時に、上手に入り込んでくる。言い換えれば、地域の人たちの「不幸」を観察してして、そのような場面になったときを狙ってお世話・世間話・気分転換への誘いなど、本当に上手に接近してくる。日本では政治的影響力があるので合法的な宗教団体が、外国では「カルト教団」(オウム真理教のような宗教団体)と認定されているところもある。
一人ひとりが、自分の生き方、精神のより所として宗教に関わることはいいが、政治に関わる際は十二分に冷静に観察して判断する必要がある。