Nonsection Radical

撮影と本の空間

好き嫌い

2010年01月15日 | Weblog
某月某日
芸能人の好感度調査など行なわれているが、特に「嫌い」という意見はなんなのだろうと思うのはsatoboだけだろうか。
またそういう芸能人を「嫌い」だとブログなどで「表明」する人がいるが、なんなのだろう。
特に女性芸能人に対して「嫌い」と「表明」する事の理由は?
satoboはテレビも見ないし芸能情報なども見ないので知らない芸能人ばかりなのだが、たまたまネットのリンクのリンクなどで誰それが嫌いだ、生意気だなどと書いているのを見ると、それを文章化して表明する理由が知りたくなる。
書いた人は、たぶんその芸能人と知り合いでもないし、大方マスメディアの情報だけで「ターゲット」を嫌いになっているのだろうが、その嫌いという意識を文字にする自分の意識というものを考えているのだろうか。
satoboもまあ、仲間由紀恵が好きだと書いてはいるが、それはその事が相手に伝わり「相思相愛」になることを目的にしているのだが(笑)、同様に嫌いだという事を相手に伝えたいと思っているのだろうか。
好きという意識はそれぞれ別々な思考があり、タデ食う虫も好き好きで、それゆえ世の中がウマく回っているのだが、同様な事で嫌いという意識も別々な思考があっての事だろうが、それを「表明」することの意味がsatoboには理解出来ないので訊いているわけだ。
直接相対したわけでもない相手にどのような理由で嫌悪の感情を抱き、それを文章化して表明するほどの理由を知りたい。

こんな事を思うのは、ある女性アナウンサーをsatoboは、その話しっぷりや言葉の端々から好感度を得ているのだが、どうやらその人は同様の理由から逆に嫌われているという事を知ったからだ。
嫌いな理由は、生井気だとか、ズケズケものを言うとか、いかにも嫌いな理由としてあげられるものなのだが、テレビとかラジオとかの媒体はもし見たくない聴きたくなければそうすればイイ媒体なので、そうすればイイだけの事ではないのかと思うのである。
それでも目障りだとか聞くに耐えないと思うにしても、直接は知らない相手にそのような感情を抱く心理とは何が原因なのだろうと思うわけだ。
satoboは知りもしない人に嫌いという感情はないのだ。
では知りもしない仲間由紀恵に好きという感情があるではないかといわれるだろうが、それは「幻想」なのである。
幻想の中で遊んでいる。
それがメディアとのつきあい方だと思うのだ。
メディアの中で抱く(いだく)仲間由紀恵像で想像して遊んでいるわけだ。
その裏返しで想像して遊ぶ「嫌い」という感情と自分の中の心理とどのような関連があるだろうかと興味があるのだ。
ありきたりな言い方だと、誰かに攻撃的な文言を吐いてスッキリしたいとか、そういう理由があっての事なのかと・・・
そしてそれが自分にとってどのような「目的」が隠されているのか分析している人はいるのか知りたいわけだ。
コメント (3)
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