Nonsection Radical

撮影と本の空間

桜満開だけど

2014年04月02日 | Weblog
桜の花はじっと見る事が出来ない。
常に焦点が揺れ動き、ひとつの花を見ようとしても結局全体としての桜としかとらえられない。
落ちた花をじっと見ると、なんてことのない作りの花なのに、枝に咲き誇る姿はとらえどころのない空気の流れのように感じられる。
だから桜はそっと横目で一瞬見る事でしか確認する事が出来ない花なのだ。
天気の良い昼間にのんびり歩きながら、あるいは街灯に照らされた夜桜を通りすがりに、ほんのわずかの時間目をやりながら咲いている事を確認するのが桜の見方になっている。
そういう事が関係するのか、写真に桜を撮ろうとしても、どうしてもイメージが実物と違ってしまいお蔵入りとなる。
引いて全体を撮ってもどうも違う。
ではと、アップで撮ってもそういう感じじゃない。
写真じゃないんだ。
細部を省略した日本画の桜が見るイメージなのだ。
ではそんな感じで撮れないかと思うが、どうにもならない。
桜は撮るものではなく、見るものなのだ。
それが本物であっても、絵筆で描かれたものであっても。
そしてやはりじっと見ても、どこかとらえどころのないイメージの世界でしか感じられないものなのだ。




船倉町の街並み
岡山県倉敷市船倉町
撮影 2014年1月11日 土曜日 13時50分
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする