朝方目が覚めてから鼻水、クシャミが止まらず体調不良を理由に家に籠る事に。
毛布を再び出したベッドでたまった夕刊を上を向いて読むのは、鼻からの洪水を食い止めるために違いない。
朝刊は読まずに夕刊だけを読むのは夕刊の方が面白いのと、朝刊はネットでの記事と重複するものが多いからだが、夕刊だけでも結構時事的なものも理解出来る事に気がついた。
というか、その日午前中に起きた事柄は、まず夕刊で報じて、詳細は翌日の朝刊で、という流れになるので、突発的なもの以外は詳しくなくても報じているのだな。
で、ネットでニュースを見ていてもわからなかった事が、というか、ネットでは取り上げられない「全体の流れ」が新聞を読むと理解出来るのだね。
これまでの政権というのは、やりたい事があると中央突破でぶちあげて、批判を浴びて腰砕けになるという事を数多く繰り返してきたけど、安倍政権になって外堀を埋める政策を着々と積み上げているのが見て取れる。
憲法”改正”のために国民投票法を”整備”するみたいに。
中心となる法律が通ったら周辺法をそのあと整備するというものではなく、周りを先に固めておいて、機が熟したら一気に成立させるという”賢い”やり方を狙っている事がわかる。
まあそういうのを憲法とか安全保障以外の原発とか金融とかにもやってくれていたら、こんな世の中にはならなかったのだけど、そういうところには目が向かないのでしょうね。
そして安倍首相より年下世代が一体となってこれらの動きに関わっているので、これからの自民党は”あなどれない”政治を続けていけるようなので頼もしい限りではある。
ただ、そういう世代の連中は一方で情報網という点で片寄りがあるのか、どうも世間も世界にも情勢理解に欠ける認識しか持っていないような行動を起こすキライがあるように思える。
ある種頼もしい行ないを進める一方で、別の点ではからっきし備えもしていないというか。
戦術は整えるが、戦略は考えられないというか。
だから今後の時代の変化に対応出来ないんじゃないのかなぁと心配になってしまう。
そうであっても、新聞を読んでいると自民党は戦後レジュームから脱却を着々と進めている事がわかるのです。
たとえそれが時代の変化に対応出来ないものであってもね。
天満町の街並み
長崎県諫早市天満町
撮影 2014年3月23日 日曜日 10時15分
毛布を再び出したベッドでたまった夕刊を上を向いて読むのは、鼻からの洪水を食い止めるために違いない。
朝刊は読まずに夕刊だけを読むのは夕刊の方が面白いのと、朝刊はネットでの記事と重複するものが多いからだが、夕刊だけでも結構時事的なものも理解出来る事に気がついた。
というか、その日午前中に起きた事柄は、まず夕刊で報じて、詳細は翌日の朝刊で、という流れになるので、突発的なもの以外は詳しくなくても報じているのだな。
で、ネットでニュースを見ていてもわからなかった事が、というか、ネットでは取り上げられない「全体の流れ」が新聞を読むと理解出来るのだね。
これまでの政権というのは、やりたい事があると中央突破でぶちあげて、批判を浴びて腰砕けになるという事を数多く繰り返してきたけど、安倍政権になって外堀を埋める政策を着々と積み上げているのが見て取れる。
憲法”改正”のために国民投票法を”整備”するみたいに。
中心となる法律が通ったら周辺法をそのあと整備するというものではなく、周りを先に固めておいて、機が熟したら一気に成立させるという”賢い”やり方を狙っている事がわかる。
まあそういうのを憲法とか安全保障以外の原発とか金融とかにもやってくれていたら、こんな世の中にはならなかったのだけど、そういうところには目が向かないのでしょうね。
そして安倍首相より年下世代が一体となってこれらの動きに関わっているので、これからの自民党は”あなどれない”政治を続けていけるようなので頼もしい限りではある。
ただ、そういう世代の連中は一方で情報網という点で片寄りがあるのか、どうも世間も世界にも情勢理解に欠ける認識しか持っていないような行動を起こすキライがあるように思える。
ある種頼もしい行ないを進める一方で、別の点ではからっきし備えもしていないというか。
戦術は整えるが、戦略は考えられないというか。
だから今後の時代の変化に対応出来ないんじゃないのかなぁと心配になってしまう。
そうであっても、新聞を読んでいると自民党は戦後レジュームから脱却を着々と進めている事がわかるのです。
たとえそれが時代の変化に対応出来ないものであってもね。
天満町の街並み
長崎県諫早市天満町
撮影 2014年3月23日 日曜日 10時15分