夏目漱石は147年前の1867年慶応3年に生まれ、98年前の1916年大正5年に死んだ。
ずいぶん昔の人のようにも思えるが、太平洋戦争が終わったのは69年前だし、日中戦争が始まったのは77年前の1937年だから大昔という感覚ではない。
日本政府が開国したのは1869年で、「吾輩は猫である」が書かれたのは1905年。
開国して36年であんな小説が書かれるようになったのだ。
109年前だ。
開国して76年で戦争に負け、現在とつながるといえる”戦後”は1945年から始まった。
さすがに開国した時の事を知っている人もいないといえるのだけど、戦争の事を知っている人はまだたくさんいる。
つまり同時代人として今同じ時間を生きているわけだ。
だからどうなんだという考えはまったくなくて、ただなんとなく昔と言っても、そんなに昔でもない事がたくさんあるのだと思っただけだ。
1964年の東京オリンピックとか1970年の万博なんてのは、ムダに年を重ねた結果、自分の人生の中では「歴史」ではなく「記憶」なのだ。
それと同様に、連合国に負けた時には、開国した時の「記憶」を持っていた人もいたはずなのだ。
今の感覚からするとちょっと想像出来ないけれど、徳川の時代から明治維新に出くわし、”生きている”漱石が書いた「坊ちゃん」を読んで、アメリカとの戦争に負けた経験を持つ人がいたという事だ。
戦争に負けた時の事を覚えていて、高度成長期を経験し、バブルに酔った人も現在いるわけである。
そうやって考えると、生まれてからずっと不況だと言われ続けてきた若者だって、生きているうちにどんな世の中の変化があるかわからないという事だ。
「若い頃はずっと不況だって言われてねぇ」
「またオジイちゃん、そんな平成の昔話なんかして~」
なんて会話が将来交わされるかもしれないのだ。
その時には、「昔」というのが、いつ頃の事を言うのか興味深いものだが。
喜々津商店街
長崎県諫早市多良見町化屋
撮影 2014年3月23日 日曜日 10時45分
ずいぶん昔の人のようにも思えるが、太平洋戦争が終わったのは69年前だし、日中戦争が始まったのは77年前の1937年だから大昔という感覚ではない。
日本政府が開国したのは1869年で、「吾輩は猫である」が書かれたのは1905年。
開国して36年であんな小説が書かれるようになったのだ。
109年前だ。
開国して76年で戦争に負け、現在とつながるといえる”戦後”は1945年から始まった。
さすがに開国した時の事を知っている人もいないといえるのだけど、戦争の事を知っている人はまだたくさんいる。
つまり同時代人として今同じ時間を生きているわけだ。
だからどうなんだという考えはまったくなくて、ただなんとなく昔と言っても、そんなに昔でもない事がたくさんあるのだと思っただけだ。
1964年の東京オリンピックとか1970年の万博なんてのは、ムダに年を重ねた結果、自分の人生の中では「歴史」ではなく「記憶」なのだ。
それと同様に、連合国に負けた時には、開国した時の「記憶」を持っていた人もいたはずなのだ。
今の感覚からするとちょっと想像出来ないけれど、徳川の時代から明治維新に出くわし、”生きている”漱石が書いた「坊ちゃん」を読んで、アメリカとの戦争に負けた経験を持つ人がいたという事だ。
戦争に負けた時の事を覚えていて、高度成長期を経験し、バブルに酔った人も現在いるわけである。
そうやって考えると、生まれてからずっと不況だと言われ続けてきた若者だって、生きているうちにどんな世の中の変化があるかわからないという事だ。
「若い頃はずっと不況だって言われてねぇ」
「またオジイちゃん、そんな平成の昔話なんかして~」
なんて会話が将来交わされるかもしれないのだ。
その時には、「昔」というのが、いつ頃の事を言うのか興味深いものだが。
喜々津商店街
長崎県諫早市多良見町化屋
撮影 2014年3月23日 日曜日 10時45分