Nonsection Radical

撮影と本の空間

健康法

2016年04月20日 | Weblog
どういうわけか家人は気が向けばなんとか健康法というのを試してみたりする。
そしてすぐに飽きてやめてしまうのだが、健康法に関しては長い経験年数を持つ。
最近ハマっているのは玉ねぎ健康法で、玉ねぎを毎日食べるんだと言う。
それに付き合わされるんだけど、あれを買ってこい、これが必要だと自分は動かずに”リクエスト”をするので、必要材料を揃えなければならない。
まあ健康法など、笑い話にヤクルト飲んでいる人よりヤクルトを配達しているおねえさん(おばさんorレディ)の方が健康だというのがあるように、効果のほどは未知数(曖昧な言い方にしてみました)である。
で、今日は小冊子を眼の前に置き、玉ねぎスープが良いらしいから”作れ”という。
まあ作らないではないが、作って美味しかったらずっと作れと言われるので困ったものである。
基本は玉ねぎの皮に特別な栄養素があるというものだから、玉ねぎの皮を食えばと”提案”すると、それは嫌だという。
それにしても玉ねぎの皮とはどの部分をいうのかと考えるとレタスの葉っぱと同様に悩ましいものがあるが。
何々が何々に効果があるなどという話は昔からあるのだけれど、効果があるからなんなんだという思いを持たないのは、効果を働かしたい原因があるからなんだろうけど、そういう効果があったという話は効能話以外では聞かないのはどうしてなんだろう。
そして効能が得られたからその後の生活はどうなったのかという追跡話はないのだろうか。
それとも度々健康法が様々に取り上げられるということは、モグラ叩きのように次から次へと何か不健康な部分が現れてくるのだろうか。
それならいっそ全ての困りごとに効く魔法の何々などという万能健康法でも出てきはしないのか。
そんなものが出て来れば嬉しいことだが、一方で商売あがったりになる出版社や番組が出てきて困ったりもするのだろうな。



中央本線 贄川-木曽平沢
長野県塩尻市贄川,木曽平沢
撮影 2015年12月29日 火曜日 11時05分
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