Nonsection Radical

撮影と本の空間

パチモン

2016年04月21日 | Weblog
今日も焦げのつかないガスレンジグリル、焦げつくフライパンでの調理に手を焼く。
どうしてこうもイイ加減か適当なものを作って販売するのだろうか。
それは我が家のように安いからと買う懲りない面々が後を絶たないからだ(笑)。
安いからそれなりですよと言われればその通りなのだが、悪貨は良貨を駆逐するの法則通り(グレシャムの法則)”まともな”フライパンなどその辺の量販店でなど売ってはいない。
それはそんなもの買わないからだ。
しかたなく通販で”普通”のフライパンを発注した。
届くのに数ヶ月かかるらしい。
でも値段はそれなりのフッ素コートのフライパン並みだし、一度買うとずっとずっとずっと使える。
手入れも世間で言うような手間をかけずとも、石鹸でガシカシ洗っても、あとで油を塗っておけばいいのだし、錆があっても使う前に洗えば済む問題だ。
その程度のことさえ面倒だと思う人が(家人のように)ナンチャラコートのすぐ焦げるフライパンを買うのだけれど、買ってからの手間など変わりはしない。
きっとそういうウチでは、包丁も研がないのだろうし(家人のように)、魚も焼いたりはしないのだろう。
そういう人向けに焦げないフライパン、研がない包丁が開発されたのだろうが、同時にパチモンもあらわれるわけだ。
でもパチモンは値段だけで勝負するのが普通で、品質などで勝負する気がさらさらないと思われるのはそういう品質だからだ。
そういう品質なのはわかるけど、そういう品質のものをどうして売るのかはわからない。
ただ単に儲けたいだけとしか想像できない。
そういうことでイイのですかね。
まあ絹のおパンティは高価で手間がかかるからナイロンのおパンティが開発されたように、どこにでも代替品というものを考える人は現れるのだけれど、今時ナイロンおパンティをはく人などいないでしょ。
それはやっぱりパチモンだったからで、次第に他の化繊や木綿のパンツに取って代わられた。
もっとも絹のおパンティ自体も勝負時以外にはもうはかないだろうけど。
そんなおパンティの話をしているのではなかった。
パチモン作っているところは、それなりに卑下してモノづくりをせよと言いたいのだ。
本物を作れるけどパチモンを作っているのなら許せるが、パチモンしか作れないのならパチモンらしく振る舞えと言いたいのだ。
そうすれば買う方も判断がつく。
それを言っちゃあオシマイよ、とは思うが、パチモンだと思えばそれなりの評価もできる。
パチモンにはパチモンの良さもあるだろう。
でもそういう場合は、どこか胡散臭さを発していて欲しいのだよ。



木曽平沢駅前
長野県塩尻市木曽平沢
撮影 2015年12月29日 火曜日 11時15分
コメント
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