Nonsection Radical

撮影と本の空間

デザインと写真

2016年04月29日 | Weblog
アタシのように好き勝手にテキトーな写真を撮ってテキトーに口絵に使って満足している人間には関係ないことなんだけど、ショーバイとして完成度の高い写真を商品として撮るプロフェッショナルな仕事というものが、このご時世でどうも満足に力を発揮できない状況が続いていて、当然ショーバイとしての質にも影響が現れている。
ネットでちょっと検索した程度なんだけど、巷ではいかに安上がりにショーバイとして写真を扱い、見栄えのいいデザインで魅きつけるかという話があふれていて、バブル期に湯水のごとく予算を使って高上がりにショーバイとして写真を扱い、見栄えのいいデザインで魅きつけるかという話があふれていた頃とは大違いである。
一部の好事家を除いて新聞雑誌もネットも金を払うことを嫌う人が多くなったので、当然のごとく広告などというものの効果が薄れてしまったのだが、それにしたがい”実用的”な広告ばかりが目につくようになって”面白み”という点で遊びがなくなってしまった。
通販の健康関連の広告ばかりみても興味を持つのは年寄りばかりで、どういうわけか年寄りといっても若い頃に十分西洋化が進んだはずなのに昔の年寄りと変わらないセンスの古さがにじみ出るからか、広告に遊びも楽しさもセンスの良さも感じられない。
これでものが売れるものかと思うんだけど、背に腹はかえられない時代なので、ますます寝て食って働くだけの味気ない生活習慣病社会が続くことになる。
それを美徳とする風潮もある一方で、景気が良くならないとと矛盾することを口にするのだから困ったことである。
そういう社会だからとは言わないが、パッと見だけの派手さのデザインがあふれていて、それでいてそこかしこに安っぽさが見受けられる、そう100均での商品みたいな広告が多くて、それで満足している世の中に楽しさがあるわけもない。
当然のようにそういうシーンに使われる写真というものも、ありきたりな見栄えの良さと、やはり安っぽさが見え隠れするものであったりして、それでいてそれで結構おしゃれと思う人も多くて、その程度でいいんダァとガッカリするんだけど。
かといって”高名”なカメラマンが撮ったというものでも、どこか既視感が感じられることが多くて、今更そんなの?と思うことも多いので、金を払えばいいというものでもないことがわかる。
なんかデザイナーもカメラマンもそれを取り巻く世界の人たちも、完成されてしまった世界でだけしか遊べなくなくなっているのかなと思い、つまんねえなぁと思うんだな。
世の中にはそんな人たちのアンテナに引っかからないもっと素敵なものがあるのになぁ。
選手が固定されたプロ野球チームじゃぁつまらないと思う感じかな。
もっとも大多数の平均的感覚を効果的に集約すればその方が広告も野球も”勝つ”ことができることを承知して言っているんだけど。
広告も野球にも興味がない者には、それがつまらないだけなんです。



奈良井宿 1
長野県塩尻市奈良井
撮影 2015年12月29日 火曜日 12時55分
コメント
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