Nonsection Radical

撮影と本の空間

懐かしがってはいけない

2016年05月09日 | Weblog
色々と過去のことに興味を持って調べたりするんだけど、昔は良かったなんてことは思わない。
昭和を懐かしがる人もいるだろうが、良かったかというとそんなことはないと思う。
今の方がずっと”まし”だ。
懐かしく思う人には「成功体験」があると思う。
世の中がだんだんと良くなっていく時期に生きている人は、それが自分の力でつかんだ成功であると思う人も多いだろう。
だからそういう人は、同じように今も努力して頑張れば同じように成功体験を味わえると考えているようだ。
ということは、現在はあまり成功している世の中とは思っていないということか。
頑張って作り上げた成功した世の中のはずではないのか。
はずだと思っているから、昔よりは良い世の中だと思うのだけど。

昔は良かったという声は多けれど、昔は悪かったという人はあまり多くない。
それはどうしてなんだろう。
何が良かったのだろう。
生活がだんだんと良くなっていくことが良かったのか。
貧乏だったから良かったのか。
だったら今でもずっと貧乏でいれば良いことだ。
過去を振り返ってみる余裕がある人が考えるのが”ノスタルジー”なのか。
なにか”成功組”に入っていた自分たちという甘美な酔いがあるような気がする。
頑張って成功した日本国の一員というレベルでの。

でもそのレベルでいえば、バブル期に働いていた人たちが一番の成功者たちだと思うのだけど、あまり良い評価は受けないのはどうしてだろう。
最高のレベルの経済状態だったではないか。
たとえそれが数年で終わってしまったとしても、高度成長期が終わって長い不景気が続いた時代となんの違いがあるというのだ。
戦後の成長は1970年代で終わってしまったではないか。
それがその時代に働いていた人たちの”成果”だろ。
もし本当の成功なら今においても成功し続けているはずだろう。
そうではないということは、成功と言っても一時的なものであったと言わざるを得ない。
そんなものにいつまでもしがみついていたり、懐かしがっていても仕方ないではないか。
中国経済がそうであったように、必ず成功体験は終りを告げるのだ。
それを身にしみてわかっているはずである。
だから好景気が続いても、必ず終りがあることがわかっていて、「中国もすぐに破綻するさ」と”負け惜しみ”をぶつけていたではないか。
そして現実にそうなったわけだ。
あの頃は良かったというのは、その一時期にその場所にいたというだけのことであり、自分の力云々の問題ではないだろう。
でなければ、その後の”敗戦”も自分の力不足ということを認めなければならない。
そのことは自分の責任ではない、というのは身勝手な言い分である。



由比の街並み 3
静岡県静岡市清水区由比今宿
撮影 2016年1月1日 金曜日 14時40分
コメント
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