Nonsection Radical

撮影と本の空間

通って来た道

2016年05月30日 | Weblog
不景気な国内経済の助けとなったのは海外からの観光客で”あった”のは間違いないことで。
大阪の心斎橋筋の商店街などは、”ブーム”の前には東南アジアからの観光客などには胡散臭い目を向けていたんだけど、あっという間に中国のクレジットカード取り扱いを始めたりして”柔軟”に対応した。
ニュースなどでは「爆買い」などを話題にしたのもすでに過去の話にもなろうとしている。
一方でそういう海外観光客の振る舞いに厳しい目を向ける声も取り上げられているけど、オッサンとしては頭ポリポリなんだよね。
平成生まれの若人(わこうど=死語)は知らないだろうけど、同じような、あるいはもっと顰蹙をかうようなことを昭和の日本人はしてきたんだよ。
海外旅行が一般化するのはほんの数十年前のことで(若人はうまれていないけど)、テレビ番組や商品の景品にハワイ旅行があったりして、それはそれで憧れだったんだから。
だいたい国内から持ち出すドル紙幣に制限があった時代もあるんだから。
東名高速道路が自前のお金では作れなかった時代もあったんだから。
それがようやく気を引き締めながらも海外へ行けるようになったのは50年ぐらい前からじゃないのかね。
それが80年代になると誰もが海外へとブームになったわけだ。
それには固定相場制の1ドル360円(!)の時代から、変動相場制で円高になり、1ドル200円台、100円台へと変わってお金に余裕ができたことが大きいんだけど。
そうなると田舎のオッサン連中も団体でツアーを組んで海外旅行へ行ったりしたわけだ。
田舎のオッサンというのは、まあ当時はノーキョーのオッサン連中が揶揄されてそう言われていたわけで、もちろん英語なんか喋れないからツアコンつきの団体旅行なわけで、世界各地で小旗を持ったツアコンを先頭に背広を着たオッサン連中が徒党を組んでパリやアメリカ、東南アジアに繰り出したんだよ。
ホテルなんか泊まったことがないから、バスタブの外で身体を洗って下階に風呂水を漏らしたりなんてことがやはり揶揄されて言われていたんだね。
もちろん日本人だから、旅にお土産はつきもので、各地の免税店で餞別のお返しに”爆買い”したのね。
そしてお伊勢参り以来の伝統で、旅の恥はかき捨てしてきたんだよ。
もっとも非難されたのは”女買い”で、言葉も通じないのにパリで自称まどまあぜるをホテルに連れ込んですったもんだしたり、”白人買い”を自慢したりしたんだね。
そして物価水準の違いから東南アジアへの旅行が”ブーム”になって、各地でやはり”女買い”をして顰蹙をかったんだ。
一方女性はというと、ananとかの影響で欧米への旅行が憧れだった時代があって、やはり1980年代からバブル期にはブランド品目当てでパリなんかへ行ったわけだ。
その頃には日本にも欧米のブランドショップができてはいたんだけど、”海外価格”といってやたら値段が高かったものだから、円高の影響もあって海外で買ったほうがずっと安く買えたりしたんだな。
で、綺麗に着飾ったおネエさんたちが、パリのブランドショップになだれ込んで”爆買い”していたんだよ。
そういう”景色”を見てきた者としては、昨今の爆買い、あるいは旅行者の振る舞い批判には、「他人のこと言えた義理じゃねえよ」って赤面しながら思うんだよ。
もちろん今の若人は、もっとスマートに海外旅行し、あるいは海外旅行など興味を持たない世代かもしれないけど、ひとつだけ言っておきたいのは、そんな若人がお気楽に批判している、そして結構自慢にしている現在の日本って、そんな海外で顰蹙をかい続けてきたオッサン、オバサンたちが汗水垂らして作り上げてきたんだってこと。
同じように現在の世の中を躍動させている東南アジアのオッサン、オバサン達が爆買い、顰蹙を繰り返しているのも後年には「通って来た道」となるんだと思うよ。



クレアモール 3
埼玉県川越市新富町2,1丁目
撮影 2016年3月31日 木曜日 13時35分
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