Nonsection Radical

撮影と本の空間

オトナの事情について

2016年05月16日 | Weblog
オリンピックの”コンサルタント料”でもそうだけど、”報道”は通り一遍の状況説明しかしなくて、その陰には”オトナの事情”が見え隠れするんだけど、そこをキチンと報じなくて単なるスキャンダルとしてしか伝えない。
パナマ文章にしても同様で、5W1Hでいえば”なぜ”と追及しないので、報道を見聞きしても「なぜ?」というところがわからない。
そういう話を家人にしても「みんなそういう欲深いものだから」と簡単に済ませてしまう。
その先の、なぜそんなに欲深くなったのかとか、なぜそういうシステムが作られたのかとかがわからなくて、単なるスキャンダルで終わらせることでオトナの事情が知らされることがない。
だから同じようなことが起こり続けても、どうして続くのかもわからないし、どうやったら起こらなくなるのかも考えられない。
オトナの事情にだって、それぞれ個別の事情があるのだから、それを報じることはスキャンダルではなく人間ドラマとして関心を引くと思うのだが。
しかし最近は単に「心の闇」とか闇シリーズで簡単に済ませてしまい、安易にそれで納得してしまう。
コンサルタント料にしても、なぜD社(笑)はそのようなお金を払ったのかの背景の説明はないし、それに納得するJOCはじめ各所の背景の説明もない。
あるのは単なる”事実”報道だけだ。
犯罪報道などでは、心の闇という馬鹿げたフレーズではなく、そこまでに至った背景、経緯、心理などを調べることによって”なぜ”という疑問を解こうとするのが本筋である。
そうすることによって新たな再発を防ぐ助けになるかもとの思いが”あった”はずだ。
その役割を放棄して、単に表面上のスキャンダル報道に終始し、わからないことは簡単に”闇”として放置するようでは、どうしてオトナの事情が生まれたのかわかるはずもない。
簡単に国民はスキャンダルが好きだからでは、そんな報道を続ける意味などない。
床屋談義や井戸端会議ではないオトナの事情を報じるのが、マスコミに課せられたひとつの”義務”ではないのか。



由比の街並み 10
静岡県静岡市清水区由比北田
撮影 2016年1月1日 金曜日 15時30分
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