Nonsection Radical

撮影と本の空間

日本死んでる

2016年05月28日 | Weblog
家人と話しているといつも「それは暴論だ」と言われる。
今日もその”暴論”を一席。
マゴが来年小学校に上がるというので、すでにランドセル購入活動(略してラン活)が勃発している。
ランドセルはジジババが買うものだと世間の常識ではされていて、ババが可愛いマゴちゃんのためにとハッスル(死語)しているんだけど、その値段たるや常識を外れたものとなっている。
世間相場では5万円を中心にしたものだそうで、売れ筋もその上下近辺だという。
これを異常なことだと思わないのだから、日本は死んでいる。
ジジババが好き好んで買うのだからイイじゃないか、という問題ではない。
その金銭感覚が日本を滅ぼしていると思うのだ(当然暴論)。
自分のために5,6万円するカバンを日常使いのために買う人は論外に置いておいて、子供のカバンにそんな高価格のものを用意しなければならない世間体というのが狂っていると思うのだ。
そんな金があるんだったら、今騒がれている教育ローンだって、躊躇なく支払ってやればイイんだ。
なにしろ一生に一度のことでは同じなんだし、ランドセルよりもずっと高等教育を受けるということの方が重要であるのだから。
だから政府が検討している無利子奨学金など必要ない。
学校に行くには金がかかるんだというのなら、ランドセルも学費も同列だろう。
生活保護を受けるレベルの人だけに奨学金を用意すればイイのだ。
そもそも義務教育であるなら、そして必要とされる教材、用品であるというのなら学校側が用意して支給すればイイのだ。
それは中学校の制服(標準服)だって同じだ。
普通に考えれば(自分にとっての普通だけど)、企業で制服が指定されていれば支給されるだろうし、義務として軍隊に入れば当然制服その他は支給される。
それを自腹で用意しろとは言わないだろ。
だけど学校教育現場では、それを要求されるのだからおかしいだろう。
ましてや、それを準備するのにランドセルだけでも何万円もするというのは、おかしいと思わない方がおかしい。
あんなバッグや制服が何万円もするのは暴利を貪っていると言えるだろう。
貪っていないというのなら原価を提示してほしい。
ただでさえ同調圧力の強い、当然いじめや差別の蔓延している日本の社会で、買わずに済ませられない状況に子供を置かなければならないことを問題にしないで、なにが教育問題だと言えるのか。
義務教育からそうやって金を費やすことに無自覚な人間が、大学資金、あるいは高校資金がどうのこうのという資格はない。
大学授業料はもっと安く、そして無償援助制度を拡充するべきだと思うから、そんな馬鹿な”無駄遣い”の高額ランドセルなどという”制度”をなくしてしまえと言いたいのだ。
高校授業料だって無償でイイんだ。
それぐらい国が親に代わって援助することになんの躊躇があるというのだ。
だからこそ、義務教育では無駄な金を使う”慣習”などやめてしまえというのだ。
やめないのなら、子供が、あるいはマゴちゃんが働いて金を稼ぐまで金を最後まで面倒見てやれと言いたい。
こんな金の使い方をしている日本に将来などない(当然暴論)。



クレアモール 1
埼玉県川越市脇田町
撮影 2016年3月31日 木曜日 13時25分
コメント
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