某月某日
サッカーは会心の勝利だったようですね。
あまり興味がないのでよく知らないのですが、新聞やラジオでは(テレビは観ない)勝利の「分析」をし、街の「声」をひろい、次の「勝利」を期待するようですね。
こうやって盛り上がっていけばいくほど引いてしまいます。
なにも斜に構えてカッコつけているわけじゃありません。
そんなカッコわるい事はしない。
ただ、このような盛り上がり方が、民主党に政権を取らした盛り上がり方や、小泉ブーム、ホリエモンブームの時と重なって見えるだけなのです。
バッと燃えて、アッという間に落ち、その際に散々悪態をついて非難する。
その繰り返しばかり観ていると、支持したのはお前らやろ!と悪態をついて非難される覚悟が必要だと思えてくるのです。
そんな覚悟はsatoboには出来ないだけです。
勝った勝ったと提灯行列。
すすんでお国のために御奉公したのに、負けるとまるで被害者のように振る舞う。
そんなことを明治開国以来してきたのを歴史の「教科書」で学んでいます。
スポーツなどそれ自体を楽しんで見ればいいのだと思うのですが、そこに教訓を学んだり、武士道や経営哲学、人生、戦争などをオーバーラップさせて何がしかの「答え」を出そうとする態度に荷が勝ちすぎていると思うのです。
○○ブームだって、それ自体が本質ではないはずなのに、ブームに乗る事が目的化してしまう。
民主党が政権奪取したことも、それによってこれからの日本をどのように変えていくかを考えなければならないはずなのに、各自はそれをせずに、「答え」がすぐに出ないからと切り捨ててしまう。
そんな「使い捨て」ばかりしていても何も「変わらない」と思うので、燃えないでボッと立ち止まっているのです。
satoboにはわからない事ばかりなので、生半可な言動をおこして、あとで恥をかかないようにしているともとれます。
あまり誰かに、あるいは何かに期待をかけすぎて、あとでガッカリするぐらいなら、自分で出来る範囲の事をしているほうがガッカリ度は少なくて済みます。
どんなにカワイイジョシから愛されていても、そこに何も期待をせずに、クールに振る舞っているのも、実はそういうところから来ているのです。
サッカーは会心の勝利だったようですね。
あまり興味がないのでよく知らないのですが、新聞やラジオでは(テレビは観ない)勝利の「分析」をし、街の「声」をひろい、次の「勝利」を期待するようですね。
こうやって盛り上がっていけばいくほど引いてしまいます。
なにも斜に構えてカッコつけているわけじゃありません。
そんなカッコわるい事はしない。
ただ、このような盛り上がり方が、民主党に政権を取らした盛り上がり方や、小泉ブーム、ホリエモンブームの時と重なって見えるだけなのです。
バッと燃えて、アッという間に落ち、その際に散々悪態をついて非難する。
その繰り返しばかり観ていると、支持したのはお前らやろ!と悪態をついて非難される覚悟が必要だと思えてくるのです。
そんな覚悟はsatoboには出来ないだけです。
勝った勝ったと提灯行列。
すすんでお国のために御奉公したのに、負けるとまるで被害者のように振る舞う。
そんなことを明治開国以来してきたのを歴史の「教科書」で学んでいます。
スポーツなどそれ自体を楽しんで見ればいいのだと思うのですが、そこに教訓を学んだり、武士道や経営哲学、人生、戦争などをオーバーラップさせて何がしかの「答え」を出そうとする態度に荷が勝ちすぎていると思うのです。
○○ブームだって、それ自体が本質ではないはずなのに、ブームに乗る事が目的化してしまう。
民主党が政権奪取したことも、それによってこれからの日本をどのように変えていくかを考えなければならないはずなのに、各自はそれをせずに、「答え」がすぐに出ないからと切り捨ててしまう。
そんな「使い捨て」ばかりしていても何も「変わらない」と思うので、燃えないでボッと立ち止まっているのです。
satoboにはわからない事ばかりなので、生半可な言動をおこして、あとで恥をかかないようにしているともとれます。
あまり誰かに、あるいは何かに期待をかけすぎて、あとでガッカリするぐらいなら、自分で出来る範囲の事をしているほうがガッカリ度は少なくて済みます。
どんなにカワイイジョシから愛されていても、そこに何も期待をせずに、クールに振る舞っているのも、実はそういうところから来ているのです。