Nonsection Radical

撮影と本の空間

高感度モノクロ専用

2010年06月20日 | Weblog
某月某日
コンデジはリコーのGX100を使っているんだけど、カラーでは実質昼間専用だ。
ISO400まで上げると画像が荒れるし立体感もなくなる。
そこでふと逆転の発想(死語?)をしてみる事に。
ISO1600まであげてモノクロモードにしてみた。
モノクロだとノイズもモノクロになるので気にならない。
なにしろトライX世代なもので。
ほとんどGX100では細かい使い方を覚えていないので、Aという印に合わせれば絞り優先モードになるのではと合わせ、最広角24mmで撮影。
これで絞りは開放でf2.4だ。
ビューファインダーで覗いても真っ黒けっけで何も見えず、適当に振り向けてシャッターを切って、モニターで確認。
結構写っている事に感動。
フォトショでいじくるが、シャープネスはかけない方が雰囲気が出る。(かけたけど)

夜の盛り場でなら十分使えそうだ。
と、思いながら帰宅途中での撮影でした。











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非海洋国家

2010年06月19日 | Weblog
某月某日
浜名湖で「ボート」に乗った中学生達が転覆した事故が報じられたけれど、そのボートというのがカッターという種類である事がわかった。
まあ大きな手漕ぎ船だ。
中学生達が利用した施設の案内を見ると、海山へと様々な体験の出来る施設のようだ。
ただしカッターに関しては他には記述がない特徴があった。
他のボートやカヌー、オリエンテーリング、ハイキング、サイクリングなどスポーツとして案内されているが、カッターは「訓練」なのである。
「規律・協力・忍耐の精神を養う」そうだ。
satoboにはカッターはガレー船のようにしか思えなかったのだが、一概にその印象は間違いではなかったわけだ。
カッターというのは、海を楽しむための船ではない。
楽しむのには不向きな構造で、大きなオールを漕ぎ、軽快ではない船を漕ぎ進める姿はまさしく「訓練」だ。
訓練だから目的は楽しむためではなく、精神修行なのだろう。

日本は周囲を海に囲まれているが、海洋国家ではない。
海に出て遊ぶというのは今でも特別な事だ。
最近はジェットスキーなど数も多くなってきたが、これもヨットやボートが簡単に所有出来ない事からの代替えの遊びであるともいえる。
色々と理由はあるようだが、海で船遊びをする事を規制されているのだ。
漁協との関係や、法律などで施設を簡単に作る事が出来ないので、数少ない施設はどうしてもお金持ち相手にに限られてきたが、基本は海での遊びは役所が規制したいという理由からだ。
規制したい理由はわからないが、規制する目的を役所は見つけたために規制している。
こういう規制は万国共通ではないので、その規制に理由があっての事とは思えない。
エンジンをつけた船にはクルマと同様に「船検」というものがあり、これが導入される時に役所の仕事増やしのためだと揶揄された事もある。
この船検はヨットやモーターボートも適用される。
つまり業務用船舶とプレジャーボートを同様に扱うわけだ。
こういう検査は他国では数少ない。いや日本だけかもしれない。
こういう検査のために結構な金額を支出しなければならないし、それが安全とは結びつかないのはクルマと同じだ。

マリーナを作るのも規制され、船を保持するのも規制を受け、これで海に親しむマリンレジャーが一般の人に広まるわけがない。
こんなことは何十年も前から言われ続けてきたが、一向に変わる気配もない。
この基本に「規制」があるのだが、一方で無責任な人の好きな言葉「自己責任」があるのだ。
他人のしでかした失敗には責任を問うが、自らの行動に責任を持つ事がない、と役所が判断しているため、「仕方なしに」役所が規制しているのだと役人は考えている。
もちろんこれには、何かあるたびに役所へ「何をしていたんだ!」と抗議する勘違いがあるための防衛策という一面もあるのだが、役所の体質として自らの仕事を増やす事が仕事の成果であると考える体質もある。
ほとんど民主主義以前の支配体制時の思考なのだが、それがいまだに残っているし、それを望む人もいる。

海に出る事、山へ行くこと、海外へ渡る事、それらはすべて自分の力で行動する事であり、時には事故に遭い、命を落とす事もある。他人に迷惑をかける事もある。
その責任を引き受けて行動しなければならないのだが、残念ながら時代はそのように「進歩」していない。
非常の場合の備えはおろそかだし、すぐ他人に救助を求める。
ケータイを持っても、地図やロープを持たない本末転倒も多い。
いわゆる「シロート」ばかりが増えて、シロートを育てあげるシステムがないのだ。
そんなことをするよりも、規制してしまった方が簡単なのだ。
あるいはカッターのような楽しめない船に乗せて「訓練」する方向へ向かう。
これでは危険の伴うレジャーは広がらないだろう。

海に対するレジャーに理解がない事は、海に対する仕事へも理解が向かない事につながる。
漁業に対して無関心であるのは、海に対して無関心だからだ。
そんな世の中になるとはレジャー施設建設に反対した漁業関係者も思わなかっただろう。
残念だがそういう時代に行き着いてしまった。
その原因の一つにカッターの「訓練」があるとsatoboは思っているが。
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雨音はチョピンの調べ

2010年06月18日 | Weblog
某月某日
NHKラジオを聴いていたら、リクエストで小林麻美「雨音はショパンの調べ」がかかった。
リクエスト曲名を聞いた時にはドキッとした。
「えっ?かけられるのこれ」
ドキドキしながら歌を聴き続けた。
ちゃんと「麻薬」が流れた。
OKになったんだ。
ほっと安堵の溜息を漏らした。

いずれの御時にか、この「麻薬」が問題になり、言い換えか空白かあるいは放送禁止か、そんな対処がされた事があった。
さてどんな対処であったかと検索してもハッキリとした事はわからない。
だからネットは当てにならない。

NHKでは、このような言葉、企業名などに関するキマリゴトが多いようだ。
山口百恵のプレイバックpart2でもポルシェがトヨタに替えられたり・・・(ウソ)

ところがニュースなどを聴いていると、そのキマリゴトの基準がハッキリしないと感じる事もある。
「都内の百貨店(デパート)で・・・」とかで催し物を紹介するのだが、その百貨店の名前を言ったり言わなかったり。
企業の名前も同様だ。
その基準はどのようになっているんだろう。
また、ショパンやモーッアルトなども日本ではこう呼ぶが、どうしてチョピンやモザートじゃいけないのだろうか。
バッチでもイイではないか。
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ビデオカメラで夢を考える

2010年06月16日 | Weblog
某月某日
フィルム現像を出しに行ったついでに店内をうろついて物色した。
最近はデジカメでの動画撮影が流行っている一方、ビデオカメラはお寒い限りだ。
10年以上前のminiDV仕様ソニーのPC-1を時たま使っているのだが、このカメラは縦型で持ちやすい。
でも最近のはほとんど横型で、メーカーが違ってもカタチはほとんど同じだ。
縦型はソニーとサンヨーにあるだけだ。
しかしこの縦型はデザインはカッコいいのだろうが好きになれないし、色々と制限がある。
何かに使う理由があって見ているわけではないので、性能とかそういうものに注目はしないのだが、想定する使用法が大画面液晶テレビで見るというのが当然主流でアクセサリーもそれ相当のものがある。
しかしユーチューブで流す程度の使用にはもったいないようだ。
そうなるとコンデジの動画機能で十分となってしまい、夢がなくなる。
そうなのだ。
昔はカメラや8ミリ、ビデオカメラを買うというのは夢を買う事だったのだ。
夢を買うのだから昨今のように高級品に対して「高い」と文句を言うものはいなかった。
今はライカにも高いと文句を言う。
夢がない話だ。
高いから買えなくて憧れるのだ。
今は高いから買えないと文句を言うのだ。
そんなわけでビデオカメラもそんなに高くはない値段のものばかりとなり、10万円を超えるものは一部だけだ。
PC-1でさえ10万円以上したはずだ。
現在の状態がイイのか悪いのかわからない。
でも、これが欲しいという欲望を抱かせるものはないのだ。
iPhoneが人気なのは、これがあると何かができるかもと「夢」を持たせてくれるからだろう。
実際には様々な欠点があるのだろうが、岡目八目、あばたもえくぼ、渡る世間は鬼ばかりだ。
実用品は韓国や中国製に任せておいて、日本はこれから夢のあるものを作るしか憧れを引き寄せる事は出来ないと思う。
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研究家

2010年06月15日 | Weblog
某月某日
記事を読んでいたらプロフィールに「料理研究家」とあった。
この「研究家」って便利そう。
satoboの周りにも個人の名刺を持っている人は多く、「写真家」「ガラス作家」など「家」がつく肩書きを使う人が多い。
satoboは失業したら「家なき子」になるので「家」がつくような名刺は持っていないのだけど、この「研究家」にはちょっと魅かれるものがある。
あくまでも、まだ研究中ですという「逃げ」の姿勢がイイ。
何かを成し遂げましたというのではなく、また道半ば、研究中です、という感じがするではないか。

ではsatoboにはどんな研究が似合うのだろうか?
エロ研究家?
研究していません。好きなだけです。
悪口研究家?
研究してません。好きなだけです。
写真研究家?
研究してません。好きなだけです。
何がいいかなぁ。
ブラブラ徘徊して、街角の写真を撮っているだけだし。
それを怪しまれないようにカモフラージュするイイ名前は?
街並み研究家?
これだと怪しまれないか?

街角でカメラを構えていると、「そこで何しているんだ!」と声がかかると、すかさず名刺を出す。
そこには「街並み研究家」佐藤某。
声をかけた人は「ああ、街並みを研究している人なんだ。怪しい人じゃないんだ」と思ってくれる。
「街並みを研究しているのはわかったけど、なんでアンタ干してあるジョシの下着を撮っているんだ!」
と、ならないように行動には気をつけなければならないか・・・
コメント (4)
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