Nonsection Radical

撮影と本の空間

チャーシューはどうも

2010年06月08日 | Weblog
某月某日
ジョシにも含めてメンクイなのでうどん、ラーメンなど好きなだけど、ラーメンのあのチャーシューはどうも好きではない。
お店によっては、鉢の周りをチャーシューで囲むようなチャーシューメンを売りにしているところもあるけれど、そんなものは願い下げだ。
昔ながらのラーメン屋さんでは薄くて硬いチャーシューで、肉の味もあまりしない。
最近の行列の出来るラーメン屋さんではスープに溶け込むような軟らかいチャーシューが多いようだ。
どちらも感心しない。
理由は簡単で、歯間に挟まるからだ。
加齢とともにカレーの肉も同様に歯間に挟まるようになった。
だから食後は糸楊枝で「シーシー」しなければならないのが面倒だ。
どうやら肉全般に当てはまるようだが、特にチャーシューの場合は「歯ごたえ」が肉らしくないからか、できれば食べたくないと思ってしまう。
もちろんラーメンに入っていれば食べるのだけど、チャーシューメンにまでして食べたいとは思わない。
今ふと思ったのだけど、ソーキそばの三枚肉は好きだな。
きっと歯ごたえがあるからだろう。
でもやはり「シーシー」しなければならないので面倒だ。

あと、ラーメンには海苔も入っているけど、あの海苔の「正式」な食べ方はどうするのだろう。
satoboは、スープに漬け込んでグチャグチャになったのを食べるのだ。
おにぎりでもそうだが、パリパリの海苔は好かん。
理由は簡単で、歯にへばりつくからだ。
だからおにぎりも海苔がベチャベチャした方がいいし、ラーメンでも出来ればグズグズに溶けそうなのが好みだが、ラーメン屋さんの海苔は最近溶けないのだ。
スープに浸かっているうちにグズグズ溶け出す海苔は高いのか安い海苔なのかどちらなのだろう。

などと文句を言っているが、ラーメンを食べる時にはスープを最後まで飲みきる。
完食である。
理由は簡単で、スープを残すとそれは廃棄物になるから。
最後まで飲んでゴミを減らすのが現代人の役目である。
それに、作った人への感謝の気持ちでもある。
コメント (3)
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世の中 平等(たいらひとし)主義

2010年06月07日 | Weblog
某月某日
電車の向かいに座る新人社員(白い襟を出しているので)はゆうこりんに似た高校生でも通用するような幼顔のジョシである。
疲れているのか、まもなく寝てしまったのだが、その幼い寝顔を盗み見しながら、オジさん(satoboの事だよ)は「寝物語」を聞かせたのだ。

入社して、上司からさっそく客に売り込め、結果を出せ、とセッツカレているだろうけど、焦る必要はないんだよ。
エラソーな事を言っているが、「ウエ」のヤツらだってロクなもんじゃないんだ。
入社前に読んだ自己啓発本や成功物語なんか、イイ事しか書いてないんだ。
実際の世の中はテキトーな線で済ませているんだよ。
見てご覧よ、大企業が出している商品を。
出した新製品がすべてヒットしているかい?
都心に立ち並ぶ再開発ビル群を見てご覧。
コンセプト通りの成功を収めているかい?
テレビや雑誌をにぎわす「成功者」はすべてのプロジェクトを成功させているかい?
有名監督はすべての映画を成功させているかい?
パチンコや競馬と同じなんだよ。
当たった事だけ大きく言うんだ。
多くの場合は、ちょっと違うんでねぇかい?とか、ン~まあまあカナ?とか、こんなもんですかね~、なんだ。
ゆうこりんの上司だって社長だって、そこそこの事をして、こそこそして成り上がっただけなんだよ。
工場には100%の品質保証を求めても、売り出す製品は10にひとつも当たらないんだ。
当たっても宝くじのように1等3億円はダメで、せいぜい3000円なんだ。
そんなセコいことを積み重ねて世の中は成り立っているんだ。
でも、誰もそんな事を言わないから、あたかも世の中は100%の成功を目指す緻密な社会だと勘違いしてしまうんだ。
ゆうこりんは知らないだろうが、たいらひとしという人の映画が昔流行ったんだ。
テキトー、いい加減なお調子者のC調野郎があれよあれよと出世するコメディさ。
これをサラリーマンの息抜き映画と捉える事も出来るが、こんないい加減な感じで成り立って行くのがホントなんだと教えるドキュメンタリーともとれるんだ。
ゆうこりんのまわりを見渡してご覧よ。
自己啓発本やビジネス書に書いてあるような会社かい?
教科書通りの仕事の世界かい?
口先だけの指示で何も進んで行かない事ばかりが渦巻いている仕事場じゃないのかい?
それが「フツー」なんだと、しばらくしたらわかるよ。
だからそれまで根を詰めずに様子を見るんだよ。
そこでゆうこりんが馴染むか、拒否反応を示すか、初心を貫くかは君次第だ。
君次第だけど、どんなにあがいても、現状は変わらなく、テキトーに進んで行くんだ。
そういう世の中で、幼い顔をしたゆうこりんが汗水垂らして成功を目指してガンバルのだろうと思う一方で、社内コンパで飲み過ぎて、これはと狙ったダンシにハメられて、出来ちゃった婚で来年は幼い顔に母としての強さとしたたかさを滲ませた姿を見せるのではと想像しないわけでもないんだ。
コメント (8)
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猫ぢゃ猫ぢゃ

2010年06月06日 | Weblog
某月某日
小説雑誌を読んでいたら話の中に「猫ぢゃ猫ぢゃ」と謡い踊るシーンが出てきた。
てっきり話の中で創られた唄であろうと思い、適当な節回しで招き猫の手を真似て唄い踊っていた。
ところが別の雑誌で三味線の習い唄でこの「猫ぢゃ猫ぢゃ」の事が出てきて、ホントにある唄なのだとビックリした。
さっそく検索屋ケンちゃんをすると、動画サイトにもアップされていた。
それで今度は端唄で猫ぢゃ猫ぢゃを唄い踊っているわけだ。

唄の意味はこんなところらしい
うめ吉さんの唄もあったが削除されたようだ。


猫じゃ猫じゃ 関おひろ
コメント (4)
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Iのむきだし

2010年06月05日 | Weblog
某月某日
こんちや~す(笑)
いきなり今期のボーナスは出ないと言われ、おまけに会社も倒産寸前ということで、バタバタしておりましたです。
業績が悪いわけでなく、シロートのマネーゲームで大損してとのことで笑うしかない内容です。
仕事では10円20円を積み重ねて利益を出しているのに、数百万円単位で損失を出し続けるというのです。
それで呆れはしたがショボクレていたワケではなく、何やってんだかとつぶやきながら、「猫ぢゃ猫ぢゃ」を唄ってすごしていましたよ。
会社に自分の「夢」や「自分探し」「人生」「自己実現」など実業家ではないので求めたりしないsatoboですから、やるだけの仕事をやってコツコツ立て直していくしか方法がないとすぐに判断して相変わらず働いているのですが、そうは考えない人もいる(苦笑)。
仕事には生活費を稼ぐという目的しかなく、いかに効率的に楽しく楽に金儲けをするかと考えているのだけど、仕事に「人生」を持ち込む人達は、この期に及んで「俺は知らない」「あいつの言う事が気に入らない」「やる気がしない」「面倒だ」とエゴをむき出しにして仕事そっちのけで「事件」に向き合っているんですね。

しかし、そこでバカバカしくてヤッテラレナイと投げ出すのは考えものだと思いました。
これまで歴史上そうやって投げ出した人と駄々をこねた人の「生存率」を比べた場合、断然駄々っ子の方が生き延びている。
会社を飛び出し生活苦におちいる人が多いが、グズグズ文句を言い続けて居残る人はしぶとく生きている。
そういうグズグズの会社でさえ成り立っている。
一身に引き受けた人は過労死したりするが、死んだ後も会社がつぶれる事はなく、なんとなく毎日が過ぎていくのです。
つまり世の中はグズグズが当たり前なんですね。
それがイヤだと自分だけ潔癖であっても生きていけないようです。
グズグズの生存率は高い!
こんなのは日本だけで、かの資本主義の本場、利益を追求する事だけに全員一致して働くアメリカ、というのは「幻想」で、かの地でも嫉妬、ねたみ、足の引っ張り合いが渦巻いているとどこかに書いてありました。
地球上に「俺はイヤだ」「私は気にくわない」と「I」をむきだしにして駄々をこねる人のいない場所はないようです。

そういうところからは距離をおいて生きていきたいsatoboですが、それは良くないことだと思いなおしました。
そこで生きていくほうが得策だと。
とは言っても明日をも知れぬ会社の運命。
誰か仕事をくださ~い。(笑)

そんな時に総理退陣のニュース。
きっとこんなときにも、「俺は知らん」「嫌だ」「聞いていない」「気に入らない」と駄々をこねている人が民主党内にもいるのだろうと思うと微笑ましくなり、久しぶりにちょっと書いてみようかなという気になりました。

コメント (2)
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