Nonsection Radical

撮影と本の空間

ムスメとの会話

2014年02月13日 | Weblog
京都では観光客に着物をレンタルして街を散策してもらう事が流行っているようだ。
ムスメと歩いていると、2人連れのジョシがパステルカラーの着物を上手に着こなして歩いていた。

ムスメ あの子達カワイイねぇ
satobo カワイイから撮影させてくださ~い、って声かけてみたら?
ムスメ だよね~。こういう時は私みたいにジョシだと声かけやすいよねぇ。オトーサンだったら即通報だよ。
satobo わかっているよ。俺なんかが声かけたら、「マジ ヤバい」とか「チョー ムカつく」とか「キモイ」とか「激おこぷんぷん丸」とか「変態」とか言われるんだよ。
ムスメ いやぁそこまでは・・・




今津町住吉2丁目の街並み 2
滋賀県高島市今津町今津,住吉2丁目
撮影 2013年12月28日 土曜日 13時05分
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もし~だとしなかったら

2014年02月12日 | Weblog
おもに誰か相手の事を批判的に取り上げる時に使うのが「もし~だとしたら」という言葉だ。
相手の言説の曖昧な部分に対して、「その意味、意図が、もし~だとしたら」と”仮定”で自分の想像する事をつけ加えて話を展開していくのだが、いつのまにか自分が言い出した”仮定”の話があたかもそうであるように変わり、話がどんどんヒートアップしていき、最終的には決めつけて「だからけしからん」と批判する。
もうそこには自分が言い出した「もし~だとしたら」は存在せず、ひたすら「~だから」だけが残っている。
「もし~だとしたら」という話をするのなら、「もし~だとしなかったら」という”仮定”の話をしてもイイようなものだが、不思議とそういう”仮定”は聞いた事がない。
つまり最初から、曲解、歪曲、ねじ曲げ、でっち上げ、みんな同じような意味だけど、そういう意図を持って、単に気にくわない人にイチャモンをつけているだけなのだが、本人はそれに気がついていないのか、意図的なのかは周囲にはわかりかねる。
またそういう”仮定”の話であったのに、あたかもそうであるかのように受け取ってしまう人も結構いる。

もし周囲でこのような「もし~だとしたら」と話し始めた人がいたら(笑)、「”もし”の話をしているんだぞぅ」とか「もし~だとしなかったら?」とツッコミを入れよう。
それでもヒートアップするようなら「ない話で時間を取るな」とはり倒せばイイ。




放出南商店会 1
大阪府東大阪市森河内西1,2丁目,大阪市城東区諏訪1丁目
撮影 2014年1月25日 土曜日 12時20分
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ムスメと

2014年02月11日 | Weblog
ムスメのダンナが出稼ぎに京都に来ていて、そこへムスメが訪ねてきた帰りに逢う事にした。
京都のガイドブックにチェックを入れていて、そこへ行きたいと言うのでムダのないコースで回る事に。
ついでにいつも通り小さな道をクネクネ歩いて、ちょっと面白いお店なんかを覗きながら行ったのが結構好評。
こちらも普段だと小汚いオッサン一人では入れないようなジョシ向きの雑貨店なんかに”堂々”と入れたのでラッキー。
iPhoneでシャカシャカ写真を撮っているので、こんな感じで撮ればと”写真教室”をすると、俄然街に興味を持ち始めて色々なものに目を向けてちっとも前に進まない(苦笑)。
商店街で買い食いを”教え”たり、街並みの簡単な説明をしたり。
面白いから、休日には寝てるかゲーセンに籠っているダンナも連れ出してよとリクエスト。
そんなんじゃぁ、定年後のダンナのゴミさ加減に思いやられると意見が一致。
新幹線口まで見送りして、その後一人で古本屋さんへ。
ムスメのように若いムスメと半日過ごしてハッスルしすぎたのか夕方帰宅後ネコと寝込んでしまった。




倉敷えびす通商店街
岡山県倉敷市阿知2丁目
撮影 2014年1月11日 土曜日 10時55分
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何も変わらない

2014年02月10日 | Weblog
「日本の官僚」田原総一朗著 文春文庫 は、1979年に雑誌連載された記事をまとめたものだ。
各省庁別に取材をし、それぞれの実像と問題点をあぶり出そうとするものだが、文体は例のテレビのでの口調を思い出させるものだ。
読んでいて頭がクラクラするのは、35年も前とは思えないぐらい世の中はそして人は国は何も変わっていないという事にだ。
極めて人間臭い情緒で国は動き、世の中は作られ、それでいて官僚は「理路整然」と職務に励んでいると思っている。
欲得で動くのは国民と政治家で、それに流されないように理論立てて導いて行くのがエリート官僚の務めだと思っている。
その一方で出世競争に明け暮れ、妬(ねた)み、僻(ひが)み、嫉(そね)みで、理性そっちのけで足を引っ張る姿を田原に見せつける。
そういうものだもの。
人間だもの(笑)。

実はこの本には続編があって、「新・日本の官僚」1986年の日本を描いたもの。
その解説を書いているのが、東京大学助教授 舛添要一!
タイムリーだねぇ。





サンサンタウン 中央通り商店街
和歌山県海南市日方,名高
撮影 2013年12月21日 土曜日 15時30分
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マスコミの一人負け

2014年02月09日 | Weblog
8時1分に当確発表か、なんて言っていたら8時ちょうどに当確発表。
恐るべしマスコミの出口調査。
そして明日から東京都にはこんな問題が山積しています、さあ知事さんどうしますか?と一斉報道するんだろう。
でもさぁ、ホントはそれを選挙期間中に明らかにして都民に判断をさせるべきだったんだよね。
ところが投票前は恐ろしいほどの無言で、争点や問題点を明らかにして候補者にも都民にも問う事をしなかった。
そりゃぁオトナの事情があっての事だろう。
だからその結果は甘んじて受けるんだろうね。
つまり、マスコミは報道機関としての役割りを果たす事がなく、金を払っている者をないがしろにして、強い立場に身を寄せた結果、金を払っている側が意味がないと金を払うのをやめても(受信料、購読料)文句は言えないという事ね。
ネットでただの”ニュース”を見るのと、金を払って見るのと、まったく違いがない程度にしか”報道”の重要性がない事を自らが明らかにしたんだからね。
お金を払っているあなた達に有用な情報を提供はしません。お金はありがたくいただいておきますが。ってことよ。
それぐらい信頼性(そんなものがあったのかは知らんが)を失うようなマスコミの動き(じゃないや、動かなさ)だったね。
今後ますますマスコミの地盤沈下はひどくなり、報道機関の看板を下ろして放送機関、あるいは広報機関、それよりいっそ娯楽機関として生きていくしかなくなる記念すべき選挙となったね。
これからは、どうすればマスコミが黙るかわかったんだから、締めつけが厳しくなるよぅ。
まあ自業自得だけどね。




河原町の街並み 2
兵庫県篠山市河原町
撮影 2014年1月6日 月曜日 10時55分
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