Nonsection Radical

撮影と本の空間

新聞を読んでわかること

2014年04月05日 | Weblog
朝方目が覚めてから鼻水、クシャミが止まらず体調不良を理由に家に籠る事に。
毛布を再び出したベッドでたまった夕刊を上を向いて読むのは、鼻からの洪水を食い止めるために違いない。
朝刊は読まずに夕刊だけを読むのは夕刊の方が面白いのと、朝刊はネットでの記事と重複するものが多いからだが、夕刊だけでも結構時事的なものも理解出来る事に気がついた。
というか、その日午前中に起きた事柄は、まず夕刊で報じて、詳細は翌日の朝刊で、という流れになるので、突発的なもの以外は詳しくなくても報じているのだな。
で、ネットでニュースを見ていてもわからなかった事が、というか、ネットでは取り上げられない「全体の流れ」が新聞を読むと理解出来るのだね。
これまでの政権というのは、やりたい事があると中央突破でぶちあげて、批判を浴びて腰砕けになるという事を数多く繰り返してきたけど、安倍政権になって外堀を埋める政策を着々と積み上げているのが見て取れる。
憲法”改正”のために国民投票法を”整備”するみたいに。
中心となる法律が通ったら周辺法をそのあと整備するというものではなく、周りを先に固めておいて、機が熟したら一気に成立させるという”賢い”やり方を狙っている事がわかる。
まあそういうのを憲法とか安全保障以外の原発とか金融とかにもやってくれていたら、こんな世の中にはならなかったのだけど、そういうところには目が向かないのでしょうね。
そして安倍首相より年下世代が一体となってこれらの動きに関わっているので、これからの自民党は”あなどれない”政治を続けていけるようなので頼もしい限りではある。
ただ、そういう世代の連中は一方で情報網という点で片寄りがあるのか、どうも世間も世界にも情勢理解に欠ける認識しか持っていないような行動を起こすキライがあるように思える。
ある種頼もしい行ないを進める一方で、別の点ではからっきし備えもしていないというか。
戦術は整えるが、戦略は考えられないというか。
だから今後の時代の変化に対応出来ないんじゃないのかなぁと心配になってしまう。
そうであっても、新聞を読んでいると自民党は戦後レジュームから脱却を着々と進めている事がわかるのです。
たとえそれが時代の変化に対応出来ないものであってもね。




天満町の街並み
長崎県諫早市天満町
撮影 2014年3月23日 日曜日 10時15分
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クヤシイから

2014年04月04日 | Weblog


クヤシイからなんとか桜を撮ってやろうと思って頑張ったけど、やっぱりダメだった。




寺町通から夷川通を
京都府京都市中京区久遠院前町,要法寺前町,丸屋町,達磨町,笹屋町,布袋屋町,木屋­町,大炊町,鍛冶屋町
撮影 2014年3月8日 土曜日 13時20分
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長崎のエスカレーター

2014年04月03日 | Weblog
長崎市のショッピングセンターに行ったら、エスカレーターにぞろぞろと左右区別なく乗り込んでいて嬉しくなった。
いつの間にかエスカレーターの片側を急いでいる人のために開けましょうなどと、歩く事によってぶつかったり、振動でエスカレーターの動きが不安定になったり危険な要素が増えるのを無視して”ルール”とか”マナー”などと言い出す風潮が蔓延してしまった。
そんな”ルール”とか”マナー”などというのがまがい物なのは、エスカレーターの横に階段があっても、階段を利用せずにエスカレーターを歩くというようなバカな事が行なわれたり、階段ではいっぱいに広がって我先に歩くという”ルール”とか”マナー”を無視するような事が平気で行なわれている事からもわかる。
片側を空けているのでエスカレーター待ちの行列が長く続くというような、「ちょっとは状況を判断して柔軟に出来ないのかよ」と、もちろん柔軟に判断出来ない”国民性”を知りながら思う愚行にも度々出くわす。
それが長崎のショッピングセンターにはなかったのだ。
老人や子供達がつかまりたい方の手で手すりを持ち、安全安心に上り下りしている。
極めて自然な姿だ。
そこで人を押しのけてズンズン歩いていく”ルール”や”マナー”違反の傍若無人な者はいなかった。
そんなシーンを見て「長崎っていいなぁ」と思ったのである。




サザンモール・スカイドーム小阪
大阪府東大阪市小阪本町1丁目
撮影 2014年1月25日 土曜日 15時55分
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桜満開だけど

2014年04月02日 | Weblog
桜の花はじっと見る事が出来ない。
常に焦点が揺れ動き、ひとつの花を見ようとしても結局全体としての桜としかとらえられない。
落ちた花をじっと見ると、なんてことのない作りの花なのに、枝に咲き誇る姿はとらえどころのない空気の流れのように感じられる。
だから桜はそっと横目で一瞬見る事でしか確認する事が出来ない花なのだ。
天気の良い昼間にのんびり歩きながら、あるいは街灯に照らされた夜桜を通りすがりに、ほんのわずかの時間目をやりながら咲いている事を確認するのが桜の見方になっている。
そういう事が関係するのか、写真に桜を撮ろうとしても、どうしてもイメージが実物と違ってしまいお蔵入りとなる。
引いて全体を撮ってもどうも違う。
ではと、アップで撮ってもそういう感じじゃない。
写真じゃないんだ。
細部を省略した日本画の桜が見るイメージなのだ。
ではそんな感じで撮れないかと思うが、どうにもならない。
桜は撮るものではなく、見るものなのだ。
それが本物であっても、絵筆で描かれたものであっても。
そしてやはりじっと見ても、どこかとらえどころのないイメージの世界でしか感じられないものなのだ。




船倉町の街並み
岡山県倉敷市船倉町
撮影 2014年1月11日 土曜日 13時50分
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一寸の虫にも五分の工夫

2014年04月01日 | Weblog
仕事先の工場に品質監査が入るというので、直接は関係ないものだから「コストと品質は比例するんだ、と言ってやれ」とか無責任な事を言っていたのだが、「5S(整理、整頓、清掃、清潔、しつけ)」なんてマニュアル本を読んでいたりするのでかわいそうになり、少しお手伝いする事にした。
確かに「5S」は大切な事だけど、多くのケースで見栄えやスローガンだけになっていて、実際の作業に照らし合わせて効率的でなかったりする場合が多いので、いかに自分たちの仕事を効率的に効果的に出来るかという視点で茶々(アドバイス)を入れる事にした。
そこの工場は、ひとつの仕事を一人だけが担当する零細企業なので、大企業の求めるような「誰にもわかるような表示」とか「マニュアルの作成」など本当は必要ないのだけれど、監査の人のためだけに書類づくりをしたりしなければならない。
「俺がマニュアルだ」って言ってやれとか言いながらも、仕事の流れの記録化などを簡単に整理する方法とか考えたりするんだけれど、すべてお金の問題と結びついてしまう。
なんでもデータベース化して保存しておけば、あとで調べるのが楽になると言っても、古いパソコンしかなくてソフトがないとか、何かの代用品で間に合わせているものが多いので、フォームの統一化にもお金がかかるとか、そもそも何が必要で不要かも調べてみないとわからないとか、手のつけようのないほど乱雑になっているのは多くの零細企業に共通の事だと思う。
時間のない中で、せめて見栄えだけでも良くしようと、レイアウトを考えたり、掃除機をかけたり、雑巾がけをしたり。
こういう普段しない事をするきっかけになって良かったね、と慰めているのだけれど、お金をかければ出来る事も零細企業だから出来ないのを知っているので、無理しないようにしている。
そもそも専属の担当者を置ける会社と、そうでない規模の会社の違いなど理解されないのが現実だ。
マニュアル本も画一的なやり方しか考えられていない。
かといって、そこに独自の工夫をしてやりなさいとは書いていないので、本を読み終わった瞬間に「こりゃあ、ウチでは出来ない」になってしまうんだな。
そして品質管理をする事が「楽をすること」という”真実”を伝えていないのが、一番の問題だと思う。
楽をするためにトータルで考えるという基本を押さえない限り、多くがそうであるように管理のための管理に陥ってしまうんだな。
だから監査に来る人間など、何か粗を探すのが自分の仕事だと勘違いして、高飛車に指摘して思い通りにやらせようとする。
本当なら、こういう改善をすれば、これだけの効果が得られて、仕事が楽なりますよと、一緒に考える姿勢が必要なんだけどね。
そういう人には会った事がないので、きっと一般的ではないのだろうが、監査に来る人間というのは、高飛車で意地悪でやる気を削ぐ人間であるというのも、また一般的であるというのも困ったものだと思うのである。




呉服町の街並み
兵庫県篠山市立町,呉服町
撮影 2014年1月6日 月曜日 13時05分
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