こんにちは。シニア担当のYokoです。
GW・・・終わっちゃいましたね。
みなさんどう過ごされましたか?
私はちょっとのんびりオフしてました。
とはいえ、久しぶりに実家に行ったり程度ですが。
今日から切り替えてオンモードです。
そろそろ「母の日」ですね。
日経新聞のコラムに高倉健さんが「母心」と題して、お母様の事を書かれていました。
健さん(高倉さんと呼ぶより、この方が馴染みがありますよね)は、現在81歳。
コラムからお母様は、明治31年生まれのようです。
わたしが行っているシニアアートワークの現場の平均年齢は大体85歳。
お生まれは大正~昭和ひとけたの皆さんが多い。
健さんと同じ、明治生まれのお母様となる訳です。
明治の女性・・・思い浮かぶのはわたしの祖母 「おさらぎのおばあちゃん」です。
漢字で書くと、「大佛」です。 そう「だいぶつ(大仏)」なのです。(汗)
(実はフルネームが凄いのですが、それはまた次回にでも・・・)
思い出すのは着物・きゅっと詰めたお団子の頭 まあるい眼鏡
母のお母さん
母は兄弟の多い中の末っ子ですから、おばあちゃんは健さんのお母様よりもう少し早い生まれだと思います。
最近よく見かけるおばあちゃんと孫という朗らかで何でも買ってくれるなどという楽しい思い出ではあまりなく
なんとなく厳しそうで子供心に近づき難い感じがあったのを覚えています。
「三丁目の夕日」当りにおんぎゃーと産まれた私と明治半ば
どうしたって教育が違いすぎてて、どう接していいのかわかりませんでした。
子どもに大仏の良さがわからないとでもいいますか。。
また今のようにおじいちゃん・おばあちゃんが孫を呼ぶ為に「Wii」を買うなんて時代でもありません。
(あの当時は「人生ゲーム」かな・・・??)
親戚の家で暮らしていた時、時々遊びに行きました。
「人生ゲーム」はありませんでしたが(笑)
元気だった頃は「うなぎかお寿司」これがおばあちゃんがご馳走してくれる定番
いじきたない私は、怖そうだけれどもこの事だけで「いいおばあちゃん」に昇格です。
そしてこの時の事から、私は未だにご馳走は「うなぎかお寿司」です。(笑)
また晩年介護が必要になった時、私たち孫達がかわりばんこにお世話に行けた事は
今この仕事をしていて大変ありがたい経験をさせて頂いたと思っています。
さて、そんな明治生まれのおばあちゃんと母のお話。
母と話をしていると、時々登場する「おさらぎのおばあちゃん」
その会話の中で今も母の中で生きている事がわかります。
私や兄弟などとおばあちゃんの思い出を話すときは「おさらぎのおばあちゃん」
でも、自分が娘の立場で話をする時の母は
何かうれしい事を話すかのよう。。
ちょっと自慢をするかのよう。。
またいいつけを守るかのよう。。
そうして決まって「お母様」と呼びます。
母は気づいていないかもしれませんが、話の中で「お母様」と呼んでいるのです。
「お母様はね・・・」と言って会話が始まるのです。
そうして、母は娘になっている。
おさらぎのおばあちゃんが米寿のお祝いだったかは忘れましたが、
子ども達(母と姉達)が一冊の本を出版しました。
おばあちゃんの詠んだ俳句(だったかな?)と、それぞれ娘たちが思い出を書いた自費出版。
うる覚えなのですが、私の母が書いた思い出。
母は今年79歳。 戦争中は茨城や群馬のお寺に疎開していました。
その時の思い出をこう書いていたように覚えています。
~お友達のお母さんは、自分の子どもに食べ物などを持って来て、子どもと一緒の時間を過ごす。
だけれども、わたしのお母さんは違っていた。
「うんこらしょと沢山みかんを東京から持って来て、疎開先のわたしのお友達みんなに配った」
一緒に過ごしてくれる時間は他の子達に比べるとうんと少なくてさびしいのだけれど
でもみんなにみかんを配る姿を見ていて、うれしく、そして誇らしかった。~
たしかこのような内容でした。
この「誇らしかった」
そんなお母様(おさらぎのおばあちゃん)が母の中では輝いている。。大切にしている。
そう感じるのです。
これまでもシニアワークで「母の日」をテーマにした事はあります。
やっぱりどこかシニアの皆さんがお母様の話をれる様子は、母と同じように
うれしそうにそして誇らしげで輝いて見えます。
大切なんていうのは当たり前過ぎなのですが、
そんな簡単な事ではなく、
自分の世界そのもののような。。。
もっと大いなるものに包まれているかのような。。。
もしその事を言葉で表すのに適しているものがあるとするならば
語彙力がないので、誠に平凡ですが
「愛」です。
シニアの皆さん自身も家族を持ち、子どもにも恵まれ
男性なら一家の長 女性ならばお母さんになった人生であっても
唯一自分が「子どもに戻れる場所」
それが「お母さんとの思い出」
厳しくでもあたたかい そして大切な忘れがたい
心のふるさとのような場所
それが「お母さんの愛」なのかもしれません。
今月のワークはこれをテーマにしようかな・・・・
月末に母と姉と三人で旅行に出かけます。
「おさらぎのおばあちゃん」のお墓参りです。
母にはぜひ娘に戻ってもらって、いろんな思い出を聞こうかなって思っています。
GW・・・終わっちゃいましたね。
みなさんどう過ごされましたか?
私はちょっとのんびりオフしてました。
とはいえ、久しぶりに実家に行ったり程度ですが。
今日から切り替えてオンモードです。
そろそろ「母の日」ですね。
日経新聞のコラムに高倉健さんが「母心」と題して、お母様の事を書かれていました。
健さん(高倉さんと呼ぶより、この方が馴染みがありますよね)は、現在81歳。
コラムからお母様は、明治31年生まれのようです。
わたしが行っているシニアアートワークの現場の平均年齢は大体85歳。
お生まれは大正~昭和ひとけたの皆さんが多い。
健さんと同じ、明治生まれのお母様となる訳です。
明治の女性・・・思い浮かぶのはわたしの祖母 「おさらぎのおばあちゃん」です。
漢字で書くと、「大佛」です。 そう「だいぶつ(大仏)」なのです。(汗)
(実はフルネームが凄いのですが、それはまた次回にでも・・・)
思い出すのは着物・きゅっと詰めたお団子の頭 まあるい眼鏡
母のお母さん
母は兄弟の多い中の末っ子ですから、おばあちゃんは健さんのお母様よりもう少し早い生まれだと思います。
最近よく見かけるおばあちゃんと孫という朗らかで何でも買ってくれるなどという楽しい思い出ではあまりなく
なんとなく厳しそうで子供心に近づき難い感じがあったのを覚えています。
「三丁目の夕日」当りにおんぎゃーと産まれた私と明治半ば
どうしたって教育が違いすぎてて、どう接していいのかわかりませんでした。
子どもに大仏の良さがわからないとでもいいますか。。
また今のようにおじいちゃん・おばあちゃんが孫を呼ぶ為に「Wii」を買うなんて時代でもありません。
(あの当時は「人生ゲーム」かな・・・??)
親戚の家で暮らしていた時、時々遊びに行きました。
「人生ゲーム」はありませんでしたが(笑)
元気だった頃は「うなぎかお寿司」これがおばあちゃんがご馳走してくれる定番
いじきたない私は、怖そうだけれどもこの事だけで「いいおばあちゃん」に昇格です。
そしてこの時の事から、私は未だにご馳走は「うなぎかお寿司」です。(笑)
また晩年介護が必要になった時、私たち孫達がかわりばんこにお世話に行けた事は
今この仕事をしていて大変ありがたい経験をさせて頂いたと思っています。
さて、そんな明治生まれのおばあちゃんと母のお話。
母と話をしていると、時々登場する「おさらぎのおばあちゃん」
その会話の中で今も母の中で生きている事がわかります。
私や兄弟などとおばあちゃんの思い出を話すときは「おさらぎのおばあちゃん」
でも、自分が娘の立場で話をする時の母は
何かうれしい事を話すかのよう。。
ちょっと自慢をするかのよう。。
またいいつけを守るかのよう。。
そうして決まって「お母様」と呼びます。
母は気づいていないかもしれませんが、話の中で「お母様」と呼んでいるのです。
「お母様はね・・・」と言って会話が始まるのです。
そうして、母は娘になっている。
おさらぎのおばあちゃんが米寿のお祝いだったかは忘れましたが、
子ども達(母と姉達)が一冊の本を出版しました。
おばあちゃんの詠んだ俳句(だったかな?)と、それぞれ娘たちが思い出を書いた自費出版。
うる覚えなのですが、私の母が書いた思い出。
母は今年79歳。 戦争中は茨城や群馬のお寺に疎開していました。
その時の思い出をこう書いていたように覚えています。
~お友達のお母さんは、自分の子どもに食べ物などを持って来て、子どもと一緒の時間を過ごす。
だけれども、わたしのお母さんは違っていた。
「うんこらしょと沢山みかんを東京から持って来て、疎開先のわたしのお友達みんなに配った」
一緒に過ごしてくれる時間は他の子達に比べるとうんと少なくてさびしいのだけれど
でもみんなにみかんを配る姿を見ていて、うれしく、そして誇らしかった。~
たしかこのような内容でした。
この「誇らしかった」
そんなお母様(おさらぎのおばあちゃん)が母の中では輝いている。。大切にしている。
そう感じるのです。
これまでもシニアワークで「母の日」をテーマにした事はあります。
やっぱりどこかシニアの皆さんがお母様の話をれる様子は、母と同じように
うれしそうにそして誇らしげで輝いて見えます。
大切なんていうのは当たり前過ぎなのですが、
そんな簡単な事ではなく、
自分の世界そのもののような。。。
もっと大いなるものに包まれているかのような。。。
もしその事を言葉で表すのに適しているものがあるとするならば
語彙力がないので、誠に平凡ですが
「愛」です。
シニアの皆さん自身も家族を持ち、子どもにも恵まれ
男性なら一家の長 女性ならばお母さんになった人生であっても
唯一自分が「子どもに戻れる場所」
それが「お母さんとの思い出」
厳しくでもあたたかい そして大切な忘れがたい
心のふるさとのような場所
それが「お母さんの愛」なのかもしれません。
今月のワークはこれをテーマにしようかな・・・・
月末に母と姉と三人で旅行に出かけます。
「おさらぎのおばあちゃん」のお墓参りです。
母にはぜひ娘に戻ってもらって、いろんな思い出を聞こうかなって思っています。
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