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精神体から見た真実

2009-12-01 08:22:15 | 日記
きのう書いた、鳩事件に関して補足。

きのう物事の真実について、表面的なことに踊らされてはならないと書いたけど、
ある意味それもまた、一つの視点からの見方である。

私には、多分に対象に感情移入する傾向があり、それを【愛】と誤解しているふしもある。
それが、私の生来の気質なので仕方ないのだが…。
またこれも、この人生をどう体験するか考えられた上での、【初期設定】の一つなのだろう。

というわけで、鳩の不慮の死について、きのう書いた内容は感情体を主とした真実である。

精神体を主としてみれば、また違う真実?が見えてくる。

その鳩は長年私に慣れすぎていたため、野生を忘れ油断していた。
その理由の一つとして、私がエサを与えたりして、野生のものに干渉し過ぎたことが挙げられる。
そのため鳩は、隙を付かれて、決して俊敏とも言えないペット犬(スピッツ)にしとめられるという事態に見舞われたのである。
体も衰えていたのかもしれない。
この状態では、いつかは何かの餌食になっていたと思われる。

前から思っていた。
野生のものに、可愛いからといって食べ物を与えてはならないと。
それでも、小鳥が好きだったため、
最初は冬の間だけ、メジロなどの姿を見たくて庭にエサを置き出したのだが、
いつの間にか、毎朝、鳩と雀がエサを待つようになっていった経緯があった。

こうして見ると他のテリトリー(野生は野生)の侵害をしないことの大切さが見えてくる。
善意?からであっても、結局それがアダになることもあるからだ。
大きな視点からみればそれも良しなのかもしれないが…。


きのうと矛盾するかもしれないが、ここで私の言えることは、
本当は、【物事には真実などない】ということだ。
その人が選択したこと、信じたことが、
その人にとっての真実になる。
だから、【私は何を真実とするのか】、ということが大切なのかもしれない。
それによって、この世界での体験が、随分違ったものになってくるだろうから。

物事は、事象なのだ。
それに意味合いをつけるのが人間だ。
誰にでも、過剰に反応したり、無視できない領域や分野があるはずだ。
そこに、自分を解放するカギが眠っていることも少なくない。

事象を在りのままにただ受け取ること。
流すこと。
見守ること。

それが、この3次元と呼ばれる世界を超えた者、越えようとしているものの、
普通の姿なのかもしれない。

釈迦は中庸を説かれた。
中庸もまた中々のクセモノと感じる。
シンプルなのだが奥が深い。
それもまた、個人の捉え方次第とも言えるが…。