♫まりあ☆の、ちょっぴりスピリチャル♬

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東日本大震災について思うこと。 (終わり)

2011-04-19 13:22:16 | 日記
ここまで、
何だかんだ書いてきたけれど…。

私が最近高次元のマスター達から言われたことは、

【深刻になりすぎないように】

ということだ。


『物事を憂うのをやめなさい。
 すべては神(創造主)の采配です。
 そこに完全が顕われているのを見なさい。
 最終的にはすべてが祝福です。』


これらは、私の【自我の癖】の一つである、
【悲観するのが好き】という所を、
たしなめられたものだと思われる。



私は未だ、
小さな自己である【自我】と、
本当の私である【魂】の間を、
行ったりきたりして生きている。

それらを【ひとくくり】にする、
【兆し】が見えた辺りを、
現在進行中らしい。


私たちは一般的に、
人間であるうち、
肉体に宿る存在であるうちは、
結局、限定された世界でしか、
生きることはできない。


例えば、大切な人が病で苦しんでいたとする。

そのあまりの苦しみを、
どんなに見るに見かねたとしても、

その人に成り代わって、
自分が病を、
引き受けてあげることはできない。

そして、そのまた逆も然りである。


私たちは、
自分と、
自分の手の届く範囲の小さな世界を、
懸命に生きる他ないのである。


また、
私たちが、

【私たちは、ひとつ。】と言う時、

それは、
私達ひとりひとりが、
ひとつの大きな体の、
1細胞だということに他ならない。


その体とは、【日本人】
という体かもしれないし、
【地球人】あるいは、【人類】
という体かもしれない。


自分が今、
例えば右手の親指の細胞だったとして、

体が腹痛を起していたとしたら、
当然、自分にはその痛みはわからない。

なぜなら、
自分はお腹じゃないから。

それが、限定された世界に物理的に生きているということだ。


でも全体を見た時には、
自分は
一つの体の一つの構成要素なわけだから、
お腹が壊れていれば、
親指だって、
絶対何らかの影響を受けている。


もし、
お腹の痛い時に、親指までケガしたら、
2重に別の痛みを感じるだろうし、
そうなれば、その分体も余計に弱る。

また反対に、
親指が健全であり、
他の指と協力して、
お腹の薬をつまんで口に飲み込ませるなら、
腹痛は、少しは早く治るかもしれない。


他人とみえているものは、
実は他人ではなく、
他の細胞の一つと考え、
その働きや役割は、
本人でさえ、
自覚できていないことが殆どなのだと思うと
理解し易いかと思う。


そして、その体の主であるのは、
【創造主】と呼ばれるもの。

すべてを把握し、
すべてを的確に動かしている、
計り知れないほど広大で、
【絶対なる愛】のエネルギー。
【生命】でもあるもの。


『あなたに、【命】は見えますか…?』







話は変わるが、
人間として地上に生れるということは、

【経験する】

ということだと考える。


この世界は、
【善悪】、【光と影】などの、
【2極性が絶対ルール】の世界なので、
それでしか、全てが存在しない。
(少なくとも今までは…)

だから、【陰陽】(喜び、悲しみなど)
両方を経験する。
両方の経験をするために、
【ここに来た】ともいえる。

魂にとっては、
【経験値】こそが【宝】なのかもしれない。


だから、最初に書いたように、

【すべては良し】なのであり、
本当は、ここに書くべきことも、
特にないと言える。

みんな、自分の目の前にあることに、
真摯に向かい合っていくことこそが、
宇宙の、神の、細胞の一つである自分を、
生かすことなのだと思う。


  ☆


わたしたちは皆、
【創造主との合一】に向かう旅の途中にいる。

霊性の高さ云々ということも書いたが、
それは、その道のどこに、
今自分がいるかということだけで、
先に進んでいるから偉いわけでもなければ、
歩み始めたたばかりだから、
劣っているわけでもない。

大きな視点からみれば、
皆、自分に合った速さで、
丁度のところを歩んでいるだけなのだ。


ただ、少しばかり先に進んでいるものは、
自分が苦労したところや、
場合によっては、
その道の、
大変さがわかるばかりに、
何とかしてあげたいと思うこともあるわけで…、
…だがそれも、
実は、なんともならない。

誰もが、自分の足で歩くしかないから。

『【救済】はならず。』
なのだ。


できることは、
(どのような高次の存在でさえも、)

【支援】だけなのだ。



  ☆



わたしたちは、皆【神の子】だ。
誰でもひとり残らず、
創造主と同じ【神の光】を、
自分の内に宿している。

その【強さ】を、
その絶対なる【愛】のエネルギーを、
私は信じたい。

そしてみんな、
それぞれが思うように、生きてほしいと願う。



  ☆


私がブログを書くのは、これでおしまいだ。

読んでくれた人に感謝。

大いなる祝福が、あなたにありますように。

またご縁があれば、お会いしましょう。

 



※ 最後に【つけたし】…

私はちまたで言うところの【スピリチャル】に、
全く興味がない。

しいて、スピリチャルを、
私なりに定義するなら、
それは、
【人間として、まっとうに生きること】で、
そういう風に生きている人のことを、
真にスピリチャルな人という。

サイキック(霊能力など)は、
スピリチャルであるという、
指針にはならない。

浮ついたスピリチャルは何の役にも立たず、
かえって、
自分の成長を妨げる罠にもなりうる。


そういう才を与えられている人は、
よくよく、注意してほしい。

普通より、大きな落とし穴のある道を、
自分は行くのだと。