天平時代行基菩薩による一刀三札の 「 釈迦如来坐像 」 と伝えられています。
丈六坐像の木彫りで約八尺 ( 2.4mくらいでしょうか ) の大仏像です。
戦国時代、織田信長による比叡山焼き討ちの際、兵火に見舞われたが「一刀三礼の釈迦丈六坐像」は焼けずに残った。
現住職によると、坐像が焼けずに済んだのは、寺が兵火に包まれる前に解体され、どこかに匿われていた可能性が高いからだという。
「佛母井 ( ぶつもせい ) 」 という井戸。
寺の周囲には、行基が造った水利のための4つの池 「 心字の池 」 があったため 「 大池寺 」 と名が付いたといわれます。