八高線のDCといえばキハ30・35形が主力でしたが、その中でも1991年の相模線電化開業で八高線に流れてきた車両たちを載せてみる事にします。
キハ30 26・・・・
1992.01.19 箱根ヶ崎-金子 間にて撮影
車歴を調べてみると新製配置が1965.06.福井とありました。同僚キハ30 25とともに1969年に相模線に転属してきたようです。雪国での運用の影響からか 正面にタイフォンを装備しているのが特徴の車両ですが 25 のほうはシャッター付タイフォンで こちら26のほうはスリット付タイフォンカバーと それぞれ異なっていたのが興味深いところです。 相模線を追われ八高線にやって来ましたが 若番車というのもあったのでしょう・・・・然程 長くは使用されず、1993.03.に廃車となったようです(写真のように正面の方向幕部が紙貼りとなっているところにも 余命の短さを感じさせます・・・・)。 車歴上で 最終配置が茅ヶ崎となっているところをみると 正式な転属ではなく 貸出扱いだったのかもしれません。
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キハ30 77・・・・
1992.02.01 箱根ヶ崎-金子 間にて撮影
相模線からの転入車の中には 早々に正面貫通扉を交換したものがあり、正面から見ると 扉の朱色が ちょっとしたアクセントとなっていました。八高線のキハ30・35形というと 思い出されるのが 冬の隙間風対策・・・・。 運転席部分の通風孔部分にガムテープを貼った隙間風対策は車両外観からもよく判り ある意味「冬支度」といった感じでした。 この貫通扉の交換はその対策の一環だったのか定かではありませんが その後の工場入場時に 車体共々朱色5号に塗装変更されてしまい 他のキハ30・35形と同様になってしまったのは趣味的に残念でした・・・。
参考・・・塗装変更後のキハ30 77・・・・
1992.09.12 金子駅にて撮影・・・。 顔が跨線橋の影に覆われていますが車体が首都圏色となった姿です。よく見てみると交換された貫通扉以外の正面窓は 灰色Hゴムのままとなっていました。 77の廃車は1996.05.とあり 八高線のキハ30・35の終焉期まで活躍していたようです。
参考その2・・・・通風口にガムテープのキハ30 39
1990.01.21 箱根ヶ崎-金子 間にて撮影
運転室部分と貫通扉上にある通風口がガムテープで封しされています。冬季の八高線ではごく当たり前の装備?だったように記憶しています・・・。 そういえば上の画像のように交換した貫通扉には上部の通風口が無くなっていますね・・・・。
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キハ30 97・・・・
1992.01.26 箱根ヶ崎-金子 間にて撮影・・・・
これも77同様、貫通扉を交換したもののようです。
首都圏色に変更後の姿・・・・
1992.12. 箱根ヶ崎-金子 間にて撮影
この97は 1996.10.廃車とあり 77同様、八高線のキハ30・35終焉期まで活躍を続けていました。
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キハ35 212・・・・
1992.02.01 箱根ヶ崎-金子 間にて
1992.09.12 金子駅付近にて
この212の車歴をみると 廃車は1992.12.となっていたので 恐らくは首都圏色とならず このままの姿で廃車に至ったものと思われます。
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相模線を追われたキハ30・35の八高線時代の画像をあげてみました。 興味深いのは車歴上の最終配置が茅ヶ崎だったり八王子だったりする車両があった事。 相模線の電化開業後、八高線に流れてきた仲間の中には 正式な転属扱いをとらず 貸出扱いで運用されていた車両も含まれていた点が興味深いところです。 また 首都圏色への塗装変更も大部分が1992年中に完了していたようで 今に想えば 僅か1年足らずの期間だった事も我ながら驚きました・・・。