芭蕉がたくさん植えてある場所を
最近見つけたので寄ってみました。
花がところどころに咲いていました。
木ではなく草なのでこの地域では冬季に地上部が枯死する。
バショウの葉は高さ3mほどあります。
芭蕉がたくさん植えてある場所を
最近見つけたので寄ってみました。
花がところどころに咲いていました。
木ではなく草なのでこの地域では冬季に地上部が枯死する。
バショウの葉は高さ3mほどあります。
今日も雨が降ったりやんだりしてました。
芭蕉の花は以前芭蕉の館で開催された講座に参加した時
10月頃に2回見たことがあります。
事務の方に聞いたところ咲かない年があるそうです。
芭蕉の花は秋に咲くと思い込んでいましたが
散歩道から見える芭蕉が少し黄色く見えたので
近づいてみると、花が咲いていました。
[バショウ科バショウ属の大型の多年草]
バナナの実によく似た果実を付けます。
松尾芭蕉は、門徒から寄贈されたバショウの株が立派に育ち、
自身の庵の名物になっていたことにちなんで芭蕉と名乗ったそうです。
栃木県 新型コロナ 1人死亡 3日連続過去最多の2184人感染確認 7月22日
黒羽城址公園から芭蕉の館を通り階段を下りると芭蕉の広場です。
芭蕉の広場
「おくの細道」で芭蕉が歩いた足跡を辿りながら、
芭蕉の広場から芭蕉の道を通り黒門跡、芭蕉公園へ行きました。
芭蕉の広場句碑「鶴鳴(つるなく)や 其声(そのこえ)に芭蕉 やれぬべし」
芭蕉の道(黒門跡)句碑「田や麦や 中にも夏の ほとヽぎす」
芭蕉公園(浄法寺桃雪邸跡)句碑「山も庭も 動き入るや 夏座敷(なつざしき)」
この後方に芭蕉の道があり大雄寺の方に行けます。
今回はここで帰宅しました。
おりがみ作品とJtrim額縁 まとめてHPにUPしてます。
今日は雨の予報ですが温泉に行く前に黒羽の旧浄法寺邸と芭蕉公園の紅葉を見に出かけました。
「奥の細道」行脚の途中松尾芭蕉と曾良は黒羽を訪れ13泊14日過ごしました。
宿泊先は江戸で芭蕉の門人となっていた黒羽藩城代家老浄法寺高勝(桃雪)邸に8泊、
弟鹿子畑翆桃邸は黒羽余瀬の西教寺近くに住居があったので宿泊した。
旧浄法寺邸の紅葉
庭園には芭蕉句碑 山も庭もうごきいるるや夏座敷 があります。
屋敷は三の丸にあり高台なので景色は良かったそうです。
屋敷に登ってくる前にも芭蕉句碑があり黒羽城跡黒門跡の標識もありました。
芭蕉広場の春はしだれ桜が咲き綺麗です。
芭蕉広場にも芭蕉句碑があり、
階段を上っていくと芭蕉の館があります。
黒羽五峰の湯につくと雨が降り始めました。
おりがみ作品とJtrim額縁 まとめてHPにUPしてます。
塩谷のまるほ船場に白鳥を見に出かけました。
この場所が芭蕉が日光から大田原そして黒羽に行く時渡った場所だと知りました。
ブログに載せた 雲厳寺
HPに載せた 那須野路を往く松尾芭蕉
奥の細道をゆく (ブログをリンクさせていただきました)
今年生まれた白鳥が餌を採る様子
おりがみ作品とJtrim額縁 まとめてHPにUPしてます。
雪の積もった雲巌寺は撮影できませんが行ってきました。
方丈の扁額文字 人面は知らず何れの処にかえる、桃花舊に依って春風に咲(え)む
芭蕉の館学芸員 新井 敦史氏の説明
(以前那須野路を往く松尾芭蕉の歴史探報講座にて)
松尾芭蕉が、奥の細道で最も長く滞在したという栃木・黒羽(くろばね)の地。
芭蕉の俳句の弟子が江戸から戻り城代家老になっていたので歓待され
その弟も江戸から戻り那須余瀬にいたので交互に泊まり13泊14日滞在した。
雲巌寺の奥に、禅の師でもある仏頂和尚の座禅修行庵跡をたずねて
(現在は道が危ないので通れないとのこと)
芭蕉は行ってみてうっそうとした木々の中に和尚が修行した庵を拝見して
木啄も庵はやぶらず夏木立
この句(きつつきが庵を破らないでいる)を庵の柱に記したそうです。
仏頂和尚の句 縦横の 五尺にたらぬ 草の庵(いお)
むすぶもくやし 雨なかりせば
紀行で立ち寄った雲厳寺の当時の住職であった仏頂和尚
、芭蕉が雲厳寺を訪れたときは不在でした。
芭蕉とは、深川の臨川寺(りんせんじ)から親交があったそうです。
一つの碑に和歌と俳句が並んで刻まれている。
筑前の聖福寺、越前の永平寺、紀州の興国寺と並んで、
禅宗の日本四大道場と呼ばれ、
代表的な伽藍配置となっています。
正面にある朱塗りの反り橋を渡って石段を登ると山門があり、正面に釈迦堂、獅子王殿が一直線に並んでいる
↓ 獅子王殿前からの釈迦堂と山門 芭蕉句碑は右端の山門脇に
は
雲厳寺:臨済宗妙心寺派
開基:大治年間(1126年~1131年)叟元和尚
開山:弘安6年(1283年)仏国国師
天正6年(1578年)無住妙徳禅師が住職となり臨済宗妙心寺派
三仏堂には仏光国師像、仏国国師、仏応禅師像を安置。
仏殿(釈迦堂)右横の階段を上がる脇に福寿草が咲いていました。
梅はまだ固い莟です。、
おりがみ作品とJtrim額縁 まとめてHPにUPしてます。
昨日は薄葉ほほえみセンターから沢観音寺まで片道約2㎞のコース
自然、歴史、探訪の募集があり参加しました。
ウオーキング途中で温泉神社が見えます。
温泉神社に立ち寄り皆でお参り
かさね橋の薄葉側から男体山、女峰山、高原山が見えます。
沢側からの景色で箒川の上流には新幹線、4号線、東北道があります。
下流には東山道、秀衡街道があったとのこと
藤沢用水路は沢観音寺の下を通っているとの話でした。
手前に道路があり丸山坂で芭蕉が通ったとの話がありました。
沢観音寺 桜の間に観音様が見えます。
ミツマタの花が桜の下で沢山咲いていました。
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ブログ訪問有難うございました。
月一度開催されるおたっしゃクラブに参加しました。
いつもは第2金曜日ですが来週はお盆なので今日になりました。
野崎駐在所の斉藤さんがきてくれました。
今の役員の方いろいろ講話があります。
今回は六道の話でした。
六道(ろくどう、りくどう)とは、仏教において迷いあるものが輪廻するという、6種類の迷いある世界のこと。
そのあと紙芝居で九尾のキツネ物語
那須篠原の玉藻稲荷神社の鏡池で三浦介がキツネを討ち取った話
その後殺生石にキツネが往って悪さしたという話
ブログに載せた 殺生石芭蕉も訪れました。
紙芝居 黒羽にようこそ芭蕉さん
芭蕉が元禄2年に沢観音寺近くの道から黒羽で過ごした14日間の話
ブログに載せた 奥の細道紀行句碑 かさねとは八重撫子の名なるべし
おりがみ作品とJtrim額縁 まとめてHPにUPしてます。
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殺生石は那須岳に行く途中にあります。
何度も行ってますが歌舞伎役者が九尾の狐の興行があるとき来るという話は覚えてますが
芭蕉の句碑はよく見ていませんでした。
講座を受講してからどこにあるのか探しました。
先日行った時の写真纏めました。
↓ 画像大きくなります。
奥の細道紀行…芭蕉と那須野が原
手作りうちわB5テンプレートで作成したものをページレイアウトで
サイズをA4に変更して用紙に印刷
古いうちわの紙をはがし作り変えました。
おりがみ作品とJtrim額縁 まとめてHPにUPしてます。
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那須岳の峠の茶屋でサラサドウダンが満開でした。
額縁はsachiさんの自由気儘に作る枠Ⅱ 08(w626)で作成しました。
年に何回か一緒にドライブしますが急に今の車で行ってみたいと話すので那須岳に出かけました。
車買換えですが明日下取りで持って行き代車借りてくるそうです。
那須八幡つつじの花見は今年は行きませんでした。
行く道所々に山法師の花が満開に咲いて綺麗でした。
頂上の駐車場は一杯だったので少し待って止めることが出来ました。
雷注意のアナウンスがありましたが雨も降らず良かったです。
ラジオ聞いてたらサッカーのコートジボワール戦で日本は負けてしまいました。
帰りに殺生石に寄ったのですが雨が気になり温泉神社も行かず帰宅しました。
この前の説明で芭蕉句碑があると聞いてたので探すと2か所にありました。
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5月29日大田原市ふれあいの丘主催歴史探訪
那須野路を往く松尾芭蕉講座に参加しました。
黒羽芭蕉の館学芸員の新井敦史氏が同行し説明がありました。
黒羽芭蕉の館 研修室で6月3日迄
『那須野路を往く松尾芭蕉』テーマ展をやっています。
HPにUPしてあります。
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昨日道の駅那須与一の郷にいって講演を聴いてきました。
那須神社 国重要文化財指定記念
奥の細道の風景地図 名称指定記念事業
奥の細道では雲厳寺等が知られていますが那須神社は芭蕉訪れたことが検証できたが
他のところはこれから検証していくとの話でした。
那須神社(金丸八幡宮)本殿と楼門が平成26年1月27日に国重要文化財に指定されました。
寛永18年黒羽藩主大関高増が施主となり八幡宮を建立、
石灯籠と手水舟の石材は芦野石を用いてるそうです。
午後から那須神社祭礼で与一太鼓と永代々神楽(余瀬の白幡城築城のとき地鎮として舞われた)がありました。
『おくのほそ道』 黒羽
黒羽の館代浄法寺何某のかたにおとづる。
おもひがけぬあるじの喜び、日夜語り続けて、その弟桃翆(正しくは翆桃)などいふが、
朝夕務め訪ひ、自らの家にも伴いて、親族の方にも招かれ、日を経るままに、
一日郊外に逍遥して、犬追物の跡を一見し、
那須の篠原を分けて、玉藻の前の古墳を訪ふ。
それより八幡宮に詣づ。
与一宗高扇の的を医師射し時、『別してはわが国の氏神正八幡』と誓いしも、
この神社にてはべると聞けば、威応殊にしきりにおぼえらる。暮るれば桃翆宅に帰る。
修験光明寺といふあり。そこに招かれて行者堂を拝す。
夏山に足駄を拝む首途かな
ブログ訪問有難うございました。
芭蕉と曾良の旅した奥の細道紀行文
那須の黒ばねと云所に知人あれば、是より野越にかゝりて、直道をゆかんとす。
遥に一村を見かけて行に、雨降日暮る。農夫の家に一夜をかりて、明れば又野中を行。
そこに野飼の馬あり。 草刈おのこになげきよれば、野夫といへどもさすがに情しらぬには非ず。
「いかゞすべきや。されども此野は縦横にわかれて、うゐうゐしき旅人の道ふみたがえん、
あやしう侍れば、此馬のとゞまる所にて馬を返し給へ」と、かし侍ぬ
ちいさき者ふたり、馬の跡したひてはしる。
独は小姫にて、名をかさねと云。聞なれぬ名のやさしかりければ、
かさねとは八重撫子の名成べし 曽良
頓て人里に至れば、あたひを鞍つぼに結付て、馬を返しぬ。
この近くに句碑が3か所にあります。
松尾芭蕉と曾良が元禄2年4月3日(陽暦5月21日・1689年)黒羽の余瀬に住む
弟子の鹿の子畑翆桃を訪ねたが居宅は西教寺近くにありました。
昨日は電話で問い合わせ税務署にバイクのナンバー持って行きましたが
排気量が大きいので陸運事務所に行ってくださいと言われました。
社会保険事務所の手続きに必要な戸籍抄本等を申請して受け取り行ってきました。
午後はパソコンのoffice勉強会で名刺の作成でした。
1枚作成すると1発で名刺の枠にコピーされました。
以前は何回もコピー貼り付けしていたのですが便利な機能を教わりました。
今日は朝8時40分に確定申告に行きましたが10時半に終わりました。
午後パソコン黒水の定例会に顔を出しました。
今会計を担当していますがあと少しで交代します。
ブログ訪問有難うございました。
古い写真ですが澤観音寺を纏めました。
芭蕉と曾良は日光北街道の矢板から沢村を通り余瀬に行き弟子の鹿の子畑翆桃宅を訪ねる。
奥の細道紀行に書かれている句碑があります。
かさねとは 八重撫子の 名なるべし
↓ 画像大きくなります。
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