エスせんブログ

ラノベ好きなB級小学校教師のエスせんが、教育中心に色々語るブログです。少しでも面白ければ「いいね」御願いします。

一日入学で色々と気付く・前編

2025-03-03 04:30:00 | 教育
 月・火曜は学校教育話。今回は、一日入学で気付いた事を色々と書きます。
 令和7年2月某日、勤務校では一日入学がありました。一日入学と言うのは、次年度(今回の場合だと令和7年度)に入学する予定の子供たちが、30分程度、学校で授業を受けると言う行事です。
 この行事、子供たちが学校に慣れる事で、不安なく入学してもらおう…と言う表の理由とは別に、裏の理由もあります。それは、問題を抱えたお子さんを事前に把握しておこう…と言うものです。こだわり行動の激しい子や落ち着きの無い子、教員の指示に従えない子、乱暴な子…など、入学してからトラブルを引き起こしそうな子を把握し、特定の学級へ集中しない様にしなくてはなりません。
 これ、業界の方なら分かっていただけると思います。うっかり特定の学級に集中してしまうと、下手すりゃ5月末には学級崩壊です。そこから立て直すのは、もう至難の業ですから、事前対策は必須なのです。
 今回、私が担当する子供たちは36名。1名の欠席もなく14時15分から開始しました…が、正直に告白します。スミマセン。1名、まだ来てないのに気付いてなくて、「はい、みんな、イイ姿勢をして御覧。(姿勢が良くなったら)いいね。じゃ、先生と一緒に勉強しよう…」まで指示を出してしまいました。
 幸い、補助に入っていた方が合図してくれたので、直ぐに気付いて、「あ、ごめんね。まだ全員揃ってなかった。でも、折角だから、ちょっと協力してもらおうかな」と修正指示を出しました。ふひゅ~、危ない、危ない。
 因みに、この時は簡単な拍手ゲームをしてもらいました。私の左手をグーにして「これ、月です」と説明し、右手は人差し指を立てて「この指の先に、目には見えないけどロケットがあります」と見立てさせます。それで、人差し指の先がグーを横切ったら拍手させる…と言う単純なゲームです。単純ですが、人差し指の動かし方(或いは止め方)で子供たちの拍手のタイミングを外す事で、とても盛り上がるゲームです。子供たちが緊張した表情だったので、気持ちをリラックスさせる為にやりましたが、予想通りに盛り上がり、場の雰囲気がイイ感じになりました。
 全員揃ったら、改めて自己紹介をしてから挨拶し、いよいよ一日入学開始です。う~ん…少し長くなったので、続きは次回とさせていただきます。
 …と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。
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聖地巡礼の旅in函館・おまけ

2025-02-28 04:30:00 | 自分
 金曜は月~木曜のテーマに含まれない記事です。今回は、2月に入ってから連続して書いている、私たち夫婦が「聖地巡礼」をした話をします。
 もちろん、今回も取り上げる聖地は「函館」です。重要なネタバレがありますから、「ネタバレは困る」と言う方は、この先を読まない方が良いです。



  ※念のための空白



 では、ネタバレばんばんいきますよ! …と言っても大事な場所は、既に記事で書いてしまっています。そこで最後に、「おまけ」的に最終決戦へ触れておきます。
 土地権利書の争奪戦で、列車内が最終決戦の場所となります。その最後は、主人公・不死身の杉元と鶴見中尉の一騎打ち。二人を乗せた機関車は、函館港の海に突っ込んで最終決戦終了となります。
 実は、旅行中、この事を完全に忘れていて、函館駅で線路の端っこを確認するのを忘れていました。もう~、この忘れんぼさん!
 でも、何回か函館に来ているので、線路の端っこは見ています。その先には、海があるのも分かっています。何せ、昔は青函連絡船に列車を乗せていましたからねぇ。当然、線路から直接、青函連絡船に乗れる様になっていたはずです。
 全然関係ないですけど、中学と高校の修学旅行で、私は青函連絡船を利用しました。その頃は、青函トンネルなんてハイカラな物が無かったので…。青函連絡船は列車が乗るくらいですから、かなり大きい船だと思うのですが、それでも揺れて大変でした。きっと、波が荒いのでしょうね。船酔いしやすい友達が、苦しんでいたのを覚えています。
 横道に逸れました。話を戻します。
 そんな訳で、うっかり線路の端っこの写真を撮り忘れてしまいました。これは、いずれ函館を再訪して、線路の端っこの写真も撮りたいと思います。月島軍曹の真似をして、海の中で鶴見中尉の遺品を探す…写真は難しそうだなぁ。鯉登少尉の真似をして、海を見つめる写真かな。
 聖地巡礼の旅…夢は、まだまだ広がるのでした。
 …と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。

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様々な会社の事が分かって楽しい『逆境に打ち勝った社長100の言葉』

2025-02-27 04:30:00 | ライトノベル
 木曜はラノベ愛語り…ですが、今回は私の推し作家さんの作品を紹介します。
 今回紹介するのは、真山知幸先生の『逆境に打ち勝った社長100の言葉』です。題名の通り、逆境に打ち勝った100人の社長さんの言葉を紹介した本です。
 この本、もちろん勇気の出る言葉が紹介されています。何せ、逆境に打ち勝った社長さんたちの言葉ですから、それぞれに説得力があります。
 しかも、「苦境を超える言葉」、「発想を変える言葉」、「人を奮い立たせる言葉」、「成功をつかむ言葉」、「己を信じる言葉」の5つに分類されています。ですから、今の気持ちに合わせて読む事も可能です。「何だか、今日は元気が出ないんだよなぁ」って時には、「人を奮い立たせる言葉」の章を読むと良いでしょうし、「俺のやってる事って、本当に正しいんだろうか」って時には、「己を信じる言葉」の章が良いでしょう。
 せっかくなので幾つか紹介します。
 例えば、安田財閥の安田善次郎さんの「人生は一歩一歩順を追って前進す」と言う言葉。これは「苦境を超える言葉」に載ってますが、これを読むと、私の記事ではお馴染み「ドブ泥げす校長」からパワハラされていた事を思い出します。あの時も、転勤する日が来る事を心の支えにし、毎日、「まずは今日の一日を乗り越えよう」って思っていました。この言葉を読むと、その事を思い出して、「いや、仰る通り。一歩一歩前進していくしかないよねぇ」って気持ちになります。
 或いは、日本理化学工業の大山泰弘さんの「週に1回の失敗が2週間に1回になれば、成長したということです。5年もすれば失敗しなくなります」と言う言葉。もう、コレは私の事ですか…って言葉です。教員になってから数年間の私は、まぁ、失敗の連続で、同じ学年の方たちはもちろん、同じ職場の方たちにも迷惑のかけっ放しでした。30代や40代になってからも大きな失敗をする事が度々あり、この言葉より遙かに出来が悪かったと言えるでしょう。それでも、歯を食いしばって努力してきたら、最近は失敗する事が減ってきました。時間はかかっても成長している訳で、この言葉は間違いないって実感があります。
 そんな風に、自分と重ねたり勇気づけられたりする読み方が、この本の一般的な読み方だと思います。
 でも今回、私は少し違う読み方もしました。それは、様々な会社について学ぶ…と言う読み方です。
 この本で紹介されている会社は、全部で100社あります。トヨタやユニクロ、アップルの様な超有名企業もありますが、堀場製作所や秩父セメントの様に私は知らない会社もありました。また、名前は知っているが、その会社の詳しい事は知らないと言う会社は、かなり沢山あります。この本を読むと、簡単ではありますが、それらの会社について学ぶ事が出来て、それがとても面白かったです。
 例えば、リコーと言う会社、名前は私も知っていました…が、理研と関連があるとは全く知りませんでした。理研感光紙九州総代理店→理研感光紙株式会社→理研光学工業→リコーと言う流れだったと分かり、「そうだったのかぁ~」です。
 他にも、ユニ・チャームなんかは驚きです。最初は、建材板紙の製造販売の会社だったとは…。現在、生理用品や子供用おむつ、大人用おむつで有名な事を考えると、最初の仕事からの物凄い方向転換です。あ、そもそも…私、ユニ・チャームって外国の会社だと思っていました。不勉強すぎですね。御免なさい。
 まぁ、そんな感じで、色々と会社について勉強になります。その点からもオススメの1冊です。

 ところで、令和7年2月26日の記事に「いいね」などをいただきました。とても嬉しいです。どうも、ありがとうございました。
 …と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。
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年寄りになる=子供に戻る

2025-02-26 04:30:00 | 介護狂詩曲
 水曜は介護狂詩曲。今回は、自分の学級の子との比較で感じた話です。
 よく、「歳を取ると子供に戻る」と言います。干支が一回りした還暦の言い伝えかと思っていましたが、実際に子供っぽくなると言う意味も含まれている様です。老齢になると前頭葉の働きが弱くなるため、理性による感情のコントロールが出来にくくなる…と言う事らしいです。
 最近の母の様子を見ていると、この「歳を取ると子供に戻る」は、あるかもしれないな…と感じる様になりました。
 例えば、リハビリの為に整形外科へ行く日の話です。
 最近の母は、少し夜更かし気味なので、朝の8時を過ぎても起きられない事があります。
 でも、9時30分には家を出ないと、予約している時間に間に合わない可能性があります。ですから、出来れば8時には起きてほしいところです。身支度をして、朝食を食べて、出発準備をする…年寄りですから、90分間はかかるだろうと予想しての事です。
 そこで最近は、8時になったら声かけしています。それにより、無理矢理ですが、母を起こしている訳です。
 この日も、8時に母を起こしました。「9時半には出発するから、朝ご飯を食べて、準備しておいてね」と言うと、「う~ん、分かったぁ」と言います。そこで私は、自分の家で朝食やら出発準備やらを進めました。
 そして9時半。実家に行くと、まだ出発準備は出来ていません。それどころか、父の朝食を作っているではありませんか。「まさか、朝ご飯…まだ食べてないの?」と聞くと、「何だか、色々と遅くなっちゃって、今、作ってるんだよねぇ」…と。そして、遅くなった理由を色々と語り始めました。
 そこで、ふっと頭に浮かんだのが…母に対し、とっても申し訳ないのですが…自分が担任している1年生の子供たちの姿です。何か指示を出しても、直ぐに動き出さない子…必ず学級に何人かいます。そう言う子に、「どうして早く動き出さないの?」と聞くと、まぁ、色々と言い訳を語り出します。バレバレの嘘をつく子もいます。
 う~ん…何だか、母の姿と重なってしまいます。母には、申し訳ないと思いますが…。
 この例ばかりでなく、母は、思い付きで行動して失敗してしまったり、楽しい事を優先して失敗したり…が、最近になって増えてきました。そして、その度に言い訳をしている事が多いです。
 私の見ている1年生の子供たちは、前頭葉の働きが高学年の子より弱い様に感じます。感情に流されやすい面から、それを強く感じるのです。そして、それが原因でトラブルを発生させたり、失敗したりすると、苦し紛れの言い訳や嘘をついています。
 おそらく、老齢になった母も、前頭葉の働きが弱くなったのではないでしょうか。だから、感情に流されたり、思い付きで行動したりして、トラブルや失敗が発生してしまう様に思います。
 そう考えると、「歳を取ると子供に戻る」は、少なくとも我が家的には正しいと言えそうです。
 …と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。
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ちょい悪おじさん的な板書

2025-02-25 04:30:00 | 教育
 月・火曜は学校教育話です。今回は、ちょい悪おじさん的な板書をした事で、子供たちの成長を感じた話です。
 それは、「ずうっと、ずっと、大すきだよ」と言う教材で、登場人物を考えさせる国語の授業でした。黒板を見ると、前の時間の板書が、そっくりそのまま残っています。どうやら、黒板消し係が消すのを忘れていた様です。
 これが1年生の1学期や2学期なら、「消し忘れていますよ」などと声をかけて消させます…が、今は3学期。優しくするばかりでなく、厳しい指導も行っていく時期です。
 こんな時、私は、残っている板書の上に板書していく事が多いです。この時も、遠慮なく板書していきました。「登場人物(振り仮名付き)」と板書し、「①エルフ」、「②ぼく」と続けて書いていきます。最初は唖然として見ていた子供たちも、「ヤバい!」と気付き、「黒板消し係さん、消して」と声をかけ始めました。
 「⑥」まで書いたところで、黒板消し係が消し始めました。どうするのか…板書する手を止め、係の子供たちの様子を見る事にしました。
 黒板消し係は最初、重なっていて見にくい部分だけ消そうとしました…が、これは結構難しい。なかなか上手に消せません。その内、見ている子供たちから、「もう全部消しちゃおうよ」などと声がかかる様になってきました。係の子供たちも迷っている様子でしたが、最終的には全部消しました。
 さて、今度は私の番です。私は、「⑥」の続きの部分から板書していき、最後の「⑪かえる」まで書いたところで手を止めました。前半部分の無い板書です。
 さあ、子供たちはどうするのかな…と思って見ていると、一人の子(Aさん)が前に出てきました。そして、「先生、ここに⑥って書いて」と言ってきました。「え? 書いて…ですか?」と聞き返すと、Aさんはまた、「先生、ここに⑥って書いて」と言ってきます。「その言い方じゃ、書いてあげられないなぁ」と言うと、別な子(Bさん)も前に出てきました。そして、「先生、ここに⑥って書いてください」と言うので、その通りに板書してあげました。
 するとBさん、「①から⑤に何が書いてあったか覚えている人?」と声をかけたのです。それを聞いて、座っている子供たちからは、「⑤は『となりの子』だったよ」とか、「④は『いもうと』って書いてあった」などと声が挙がります。するとBさん、「先生、⑥の前に『⑤となりの子』って書いてください」と言ってきました。もちろん、直ぐに板書します。
 こうして、Bさんが座ってる子供たちに確認→分かった事柄をBさんが私に伝達→私が板書…と言う流れで板書されていき、とうとう全ての板書が元通りになりました。
 ちょっぴり意地悪な関わり方をしたのですが、それに挫けてしまわず、自分たちなりに考えて何とかしようと努力しました…子供たちは。1学期は当然として、2学期も前半だったら、こんな対応は出来なかったと思います。そう言う意味では、子供たちの成長を強く感じた出来事でした。
 …と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。
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続・ブラックとホワイトの狭間

2025-02-24 04:30:00 | 教育
はじめに
 月・火曜は学校教育話。令和7年1月20日&2月4日に続き、教育現場からの問題提起&自分なりの意見を述べるシリーズ第3弾です。前回の記事「ブラックとホワイトの狭間」に対し、色々と意見をいただき、自分でも色々と考えました。今回は、そうやって考えた事について、現段階での私の結論を述べます。
 さて、前回の記事では、一般的な働き手の立場から言うと、教育現場は相当にブラックだ…と書きました。それについては、ここでは省略させていただきます。興味のある方は、2月4日の記事を御覧ください。
 その記事の後半、「でも、努力した結果、子供たちに成長が見られた時の喜びは、かなりのホワイトだと思う」と書きました。それについては賛否があったのですが、この部分の説明が少々不足していた…と感じたのです。そこで、そこを中心に述べさせていただきます。

未来を築く教員の仕事
 まず、端的に結論を述べます。突き詰めて考えると、教員の仕事は日本と言う国の未来を築く事が目的であり、そこに一歩でも二歩でも近付けようと言う使命感と覚悟がなければ、教員の仕事のホワイトな部分は感じられないだろう…が結論です。
 端的過ぎて伝わらないと思うので、もう少し詳しく述べていきます。
 教員の仕事は子供を育てる事です。どう言う子供を育てるかは、教育基本法で明確に述べられています。教育基本法の第一章「教育の目的及び理念(教育の目的)」の第一条では、「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」と書かれているからです。
 まぁ、法律の条文なので分かりにくいですよね。私流の解釈で大雑把に言うと、「人格的に優れた人間に育つ事を目指す」、「平和で民主的な社会を目指す人間を育てる」、「心身共に健康な人間を育てる」の3つになるでしょうか。この内、「心身共に健康な人間を育てる」は、学校教育も含まれるでしょうが、家庭教育や社会教育の割合が高いでしょう。そう考えると、学校教育で目指すべきは、「人格的に優れた人間に育つ事を目指す」と「平和で民主的な社会を目指す人間を育てる」の2つ…と言えるでしょう。
 「人格的に優れた人間」で「平和で民主的な社会を目指す人間」…こう言う人間が増えれば、日本と言う国の未来は確実に明るくなると言えます。平和で民主的な社会を目指す人間が育ち、その様な人間が増えていけば、歩みは遅くとも、より良い社会へ向けて前進していくでしょうから。
 だから、先程述べた通り、「教員の仕事は日本と言う国の未来を築く事が目的」だと考えられる訳です。
 もちろん、こんな大きな目的が単独の学校だけで達成される訳がありません。小学校で可能な限り育てて中学校にバトンタッチ、中学校で可能な限り育てて高等教育の学校にバトンタッチ…。もしかしたら、高等教育の学校間でも、バトンタッチが繰り返されるかもしれません。それを繰り返していき、先程の様な人間を育てる訳です。
 もっと言えば、単独の学校の中でもバトンタッチは繰り返されるでしょう。私の勤務する小学校で考えても、1年生から6年生までの間に何人かの教員が担任します。当然、担任から担任へバトンタッチが行われる事になります。
 そう考えると、1人の担任の育てられる事柄なんて、その子の人生全体から考えたら微々たるものでしょう。だから、先程の文では、「そこに一歩でも二歩でも近付けようと言う使命感と覚悟」と書きました。

使命感と覚悟の仕事
 この様な使命感と覚悟で取り組まれる仕事は、決して少なくないと思います。これについては、noteに書いた記事のコメント欄で、note仲間が医者の話を書いています。せっかくなので、全文紹介させていただきます。

 医師で、「凄腕」「神の手」なんて呼ばれている人は、そうなるまでには、まさに血の滲む努力、努力、努力▪▪▪。ある程度技術と信頼がつけば、ひっきりなしの手術。休む間なしです。つまり、ブラックです。
 でも、それを、「疲れる」とは思っても、「嫌だ」「やりたくない」と思うのでしょうか?
 そこまでなくても、ある程度の技術を持った医師は、「やり甲斐」を軸として「仕事が生活の中心」ではないでしょうか?
 ブラックをブラックと思うのでしょうか?
 教師も、そうだと思います。
 人の命を預かり、人生の基盤作りをしているんですから。
 プライベートの方を大切にしたい人が、中途半端にやってみる仕事ではなく、人生をかける価値のある仕事だと思います。
 それだけの価値を世の中に認識してもらい、それなりの権限を与え、成果に見合った給料にすれば、ブラックとは思わないのでは?と思います。甘いかな。
 「みんな平等」が過ぎて、必要とする技術が違う職業が、同じ価値観で「働き方改革」を唱えるもんだから、おかしなことになってますね。


 短い文章で、とても説得力のある内容を書かれています。もう、この文章を読めば、私のダラダラした記事は不要なくらいです。
 私の考えも概ね同様ですが、あえて言えば1つだけ違う点があります。それは、私の考えだと、「使命感と覚悟の仕事」は自己完結している…と言う点です。先程のコメントですと、「それだけの価値を世の中に認識してもらい、それなりの権限を与え、成果に見合った給料にすれば」の部分、ここは絶対的な条件ではなく、可能であれば…くらいの条件だと考えています。
 大切な事は、自分が使命感と覚悟をもって仕事に取り組む事。だからこそ、自分の理想とする状態に一歩でも二歩でも近づいたと実感できれば、それは自分自身にとって仕事の満足感につながります。第三者から何と言われようと、金銭的な利益がなくても、この満足感が最も重要で、仕事のホワイト感にもつながっている…そう、私は考えています。
 医者や教員の他にも、使命感と覚悟の仕事は少なからず存在するでしょう。まぁ、考え様によっては、あらゆる仕事において使命感と覚悟がある事で、充実した仕事になっていくとは思いますし、ホワイト感も増すと思います。

少々付け足し
 ちょっと話が逸れますが、我が家の子供ちゃんのオススメで、私は最近、「timelesz project」の番組を視聴しています。STARTO ENTERTAINMENTのアイドル・グループtimelesz(タイムレス)のメンバーが、新しいメンバーを選ぶ為のオーディション番組です。
 この番組、とても勉強になります。
 例えば、三次審査の際にtimeleszの菊池風磨さんが、「3日間で振り付けを覚えるのは大変だと思うけど、実際の仕事では覚えるのは更に短期間で、もし1日あればラッキーだと思った方がイイくらいだから」と言った内容の発言をしていました。これ、かなり無茶な要求をされていると感じるし、一般のレベルで考えたらブラックだと思うのです。
 同じ三次審査の場面で、応援に来た大倉忠義さん(同じSTARTO ENTERTAINMENTのアイドル・グループSUPER EIGHTのメンバー)が述べていました。「アイドルにとって踊りや歌は大切だが、もっと大切な事は、ライブなどの会場に来てくれたお客さんを幸せにする事」と言った内容を…です。
 つまり、アイドルにとっては「お客さんを幸せにする事」が最大の目的であり、それを達成しようと言う使命感と覚悟が必要な訳です。だから、一般のレベルで考えたらブラック過ぎる仕事内容にも耐え、努力し続ける事が出来る訳です。アイドルもまた、使命感と覚悟の仕事だと言えそうです。

おわりに
 長々と語り過ぎました。一度まとめます。突き詰めて考えると、教師の仕事は日本と言う国の未来を築く事が目的であり、そこに一歩でも二歩でも近付けようと言う使命感と覚悟がなければ、教師の仕事のホワイトな部分は感じられないだろう…と言うのが、今回の私の結論です。
 ただ、昨今、その使命感や覚悟を崩す様な事の増えているのが教育現場です。これについては、noteの記事のコメント欄で、別なnote仲間が重要な指摘をしてくれました…が、かなり長くなっています。その辺りは、また別な記事で述べさせていただこうと思います。
 …と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。
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聖地巡礼の旅in函館③

2025-02-21 04:30:00 | 自分
 金曜は月~木曜のテーマに含まれない記事です。今回も前々回(R7.2.7)や前回(R7.2.14)に続き、私たち夫婦が「聖地巡礼」をした話をします。
 今回も、取り上げる聖地は「函館」。当然ですが、聖地の元ネタ『ゴールデンカムイ』の重要なネタバレが今回もあります。「ネタバレは困るなぁ」と言う方は、この先を読まない方が良いでしょう。



  ※念のための空白



 では、ネタバレばんばんいきますよ!

 さて、函館観光で落とせない場所と言えば、それはもう五稜郭でしょう。もちろん、『ゴールデンカムイ』的にも落とせません。何てったって、アイヌの隠した砂金のある場所ですから(ネタバレ~!)。
 コミックによると、「五稜郭の馬用の井戸」にアイヌの砂金二万貫の内の一万貫が隠されている…との事でした。ネタバレだから書いちゃいますが、残り一万貫は土地の権利書と交換されているので、もう残っていません。その権利書争奪戦として列車で最終決戦となる訳ですが、それは五稜郭とは少々関係なくなります。ですから、私たちは砂金を求めて五稜郭の馬用の施設を探しに行きます。
 五稜郭は何回か行った事があります…もちろん、その頃は『ゴールデンカムイ』とは関係ない、単なる観光旅行でした…が、とにかく広い! そりゃ、お城…って言うか、小規模とは言え要塞ですから、広いに決まってますよね。だから、うろうろ探し歩いても仕方ないので、場内案内図を見て確認しました。
 ありました! 当時の馬小屋などがあった場所です。当然、ここに馬用の井戸もあったはずです。ドキをムネムネさせながら行きました…が、何と言う事でしょう! 行ってみたら、ただの更地でした。まぁ、「馬小屋などがあった場所」ってだけですから、建物などは片付けて更地にしますよね。建物があった辺りに、印を付けてくれているだけ親切って思うべきでしょう。
 でも、コミックに書かれている井戸が見たい…そう思っていた私たち、かなり落胆しました。そして思ったのです…「このままじゃ帰られん!」と。
 取り敢えず、井戸なら何でもイイ、何か井戸はないか…と探したら、ありました!
 箱館奉行所の近くに、昔の井戸の跡が残っている様です。直ぐ行ってみました。直ぐ見つかりました。かなりの大きさで、ここに金塊が隠されている…訳がないのですが、一応、代用品として考えていますので…と言われたら、それなりに説得力がありそうです。
 本当は中に入って、不死身の杉元よろしく、ヒョコッと顔を出す写真を撮りたかったですが、さすがにソレはやり過ぎです。周囲には沢山の観光客がいますし、大人しく井戸の周囲で記念写真を撮る事で、ここは我慢する事にしました。
 『ゴールデンカムイ』とのコラボ企画で、模造品の砂金の入った革袋を置いてくれないかなぁ。井戸の中に入れたら、完璧な写真が撮れるんですが…。

 そう言えば、令和7年2月19日の記事に「いいね」などをいただきました。いつも、ありがとうございます。とても励みになります。
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地獄巡りから大きく展開『蜘蛛ですが、なにか?3~4』

2025-02-20 04:30:00 | ライトノベル
 木曜はラノベ愛語り。今回は、令和6年4月4日の記事に書いた作品の続きの感想です。
 今回取り上げる「その」作品とは、『蜘蛛ですが、なにか?』の3~4巻です。やっと、そこまで読み終わりましたよ。ふぅ~。
 いや、面白かったです。面白かったんですよ。
 ただ、息詰まる攻防の連続だった事と、前回の感想でも書いた「複雑な構成」の影響で、少々疲れました。面白いけど、読むのに体力のいる作品…って感じですかね。
 物語は、ある日、大きなトラブル(?)に巻き込まれ、死んでしまった女子高生の主人公。彼女は、異世界の迷宮内で蜘蛛として転生してしまった。過酷な環境である迷宮内で、生き残りを賭けて死闘を繰り返すクモ子(…って、作者さんが「クモ子」ってコミカライズで書いていました。だから、この記事でも「クモ子」としますね)。果たして、彼女は生き残る事が出来るのか…ってのが、前回の記事で書いた粗筋でした。
 それで、3巻に関しては、粗筋は同じで問題ありません。
 迷宮の最深部辺りに落ちてしまったクモ子は、過酷さMAXの生き地獄で、生きるか死ぬかの死闘を繰り広げ続けます。もう、ホント、「一手間違えたら死にます」状態の死闘を、知恵と工夫で何とか乗り越え、ギリギリの勝利を掴みながら生き延びていく…正に、「地獄巡り」です。
 異世界転生物にありがちなチート能力、クモ子の場合は死闘の果てに手に入れる感じです。強敵を倒す事で色々と能力が高まり、少しずつチート能力となっていく…つまり、新しい強敵と出会った時には、常にクモ子の方が弱い。…最悪です。
 しかし、挫けていても仕方ありません。クモ子は、冷静に自分と相手の能力を比較し、自分の有利な点と相手の弱点を最大限活用し、そして勝利を掴みます。読んでいるとハラハラドキドキで疲れるのですが、ここが大きな爽快感にも繋がっています。
 あ、ここから少しだけネタバレします。気になる方は、読まない様にしてください。




   ※念のための空白




 それでも何でも3巻の最後、ついに迷宮の外へ出たクモ子…ですが、まだまだ死闘は続きます。クモ子を生んだマザー(もちろん大蜘蛛!)がクモ子を襲ってきたり、魔王がクモ子を襲ってきたり…。「地上に出ても、地獄巡りじゃん!」と言いたくなります。
 まだまだ緊迫の展開は続くって事で。
 そして、前回の感想で少し書いた、2巻の途中から感じた「あれっ?」と思う部分。主人公であるクモ子の話と、一緒に転生させられた同級生たちの話との間に、微妙なズレがある…やはり、予想通りでした。「もしかして、これは◆◆◆(←漢字三文字)がズレてるんじゃない?」…だったと、4巻の最後で分かります。
 その同級生たちの物語も、3巻辺りから緊迫度を増してきます。4巻は相当にヤバい雰囲気になってきて、読み始めている5巻では、遂に戦争が勃発! 果たして、同級生たちの運命は? そして、クモ子の運命は?
 気になる展開ですが、読むのに体力がいるので、記事の続きは半年くらい後になるかもしれません。気長に、お待ちください。
 …と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。
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手伝うか悩む

2025-02-19 04:30:00 | 介護狂詩曲
 水曜は介護狂詩曲。今回も、父や母への関わり方で悩ましい事です。
 父は90歳を超えている事もあり、筋力が大きく落ちています。そのため、歩く時の歩幅も極端に短くなりました。令和7年の1月、歩いている様子を見ると、平均して10cmくらいかなって感じです。
 当然、父が歩くのには相当な時間がかかります。居間からトイレに行って戻ってくるまで、移動時間だけで5~6分はかかっていると思います。
 そうなると、外の郵便受けに行って、新聞や手紙を取ってくる事は一大仕事となってしまいます。下手をすると、それだけで20~30分かかる可能性があります。しかも、今は冬です。足下が悪いので、転ぶ心配もあります。
 そこで最近の私は、可能なら新聞や手紙を取ってきて、実家に届ける様にしています。どう考えても、その方が早いですから。
 時々、記事に書いている通り、発達障害だったから仕方ないとは言え、子供時代の私は「どうしようもないロクデナシ」でした。ですから、父や母の為に新聞や手紙を取ってくるなんて、全然嫌ではありません。もう、幾らでも取ってきてあげたいと思っています。
 ただ、気になるのは父や母の健康に関わる事です。私が新聞や手紙を取ってきてしまうと、母はともかく、父は全く外出しない可能性が高くなってしまうのです。
 母はデイサービスへ行ったり、リハビリへ行ったりするので、週に何回かは外出の機会があります。また、家事は母が行っている事が多い関係上、買い物などに出かける事もあります。
 それに対し、父はデイサービスに行く事はありません。週に何回か看護を受けていますが、それは訪問看護です。また、以前は近所へ買い物に行く事もありましたが、筋力が落ちてきてからは、「疲れた時に休めなくて心配だから」と言って、外出を避ける様になってきています。
 そんな訳で、郵便受けまで新聞や手紙を取りに行く事は、父が外に出て外気を吸う貴重な機会でもある訳です。それを私が奪ってしまって良いものか…悩ましいです。
 まぁ、自分で決断するしかないのでしょうが…。
 …と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。
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ポテトピザいや~ん・後編

2025-02-18 04:30:00 | 教育
 月・火曜は学校教育話。今回は前回(R7.2.17)の続きで、スキー学習での低学年指導について書きます。
 低学年のスキー指導で有効な言葉について、妻と話している内に閃いた私。
さっそく、令和7年2月某日のスキー学習で実践しました…と言うのが、前回までの内容です。
 子供たちをスキー山の登坂斜面(山に向かって右側と左側にあり、真ん中が滑降斜面となります)の登り口から、左右各1列の合計2列横隊にして並べました。そして、真ん中に立って説明します。
 私「今日のスキー学習では大事な言葉を覚えてもらいます。
   それは、『ポテト』『ピザ』『いやーん』です。
   はい、繰り返して」
 子「ポテト、ピザ、いやーん」
 私「ポテトは真っ直ぐ伸びていて、スキー板に似てるでしょ。
   だから、ポテトはスキーを指しています。
   『ポテト』と言われたら、自分の滑る方向に真っ直ぐスキーを向けます」
 ここで、理解させる為に少々の間を開けます。
 私「次はピザだけど、これは膝の事です。
   『ピザ』と言われたら、膝を曲げて、左右の膝をくっつけてください」
 ちょっと、やらせてみせます。
 私「ポテトやピザを食べ過ぎると、先生みたいに太って、お腹が出てきます。
   見られるのは恥ずかしいので、『いやーん、見ないで』とお腹を隠しましょう。
   両膝に手を当てて、腕でお腹を隠すポーズ…これが『いやーん』です」
 子供たちは笑っています。ボランティアで参加の保護者も笑ってます。
 ここで、「見本を見せますね」と言って、実際にスキー山を登りました。そして、「ポテト」でスキーを下に向け、「ピザ」で膝を曲げて両膝を合わせ、「いやーん」と言って両膝に手を当て、腕でお腹を隠しながら滑りました。当たり前ですが、コントロールを効かせたプルーク滑降なので、スピードが出ず安定して滑っていきます。子供たちから、感心した様な声が聞こえました。
 この後、子供たちを登らせ、ひたすら「ポテト」、「ピザ」、「いやーん」で滑らせました。残念ながら、令和6年度のこの日は雪面がガチガチに凍っていて、子供たちがスキーをコントロールするのは至難の業でした。
 でも、指示通りにポーズをする事が出来た子は、転ばずに滑る事が出来ていた…子の割合が高かったです。もう1回指導すれば、かなり定着し、転ばずに滑る事の出来る子が増えると思われます。
 言葉としては、なかなかインパクトがあり、子供たちにもイメージし易かったのではないか…と考えています。
 …と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。
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