神田明神随身門を出てからすぐに右折し、突き当たりをまた右折
蔵前橋通りと交差する清水坂下交差点を直進します
その辺りから「吉夢」の看板や「妻恋神社」のノボリが目立ちます
「吉夢(よいゆめ)」とは妻恋神社の授与品で
初夢でその都市の吉凶を占う古い言い伝えがありますが、その時に枕の下に敷く宝船の絵のことです
江戸時代にあった霊山寺の跡地に旗本屋敷があったそうです
明治になり、そこは「清水」という精機会社の所有になります
湯島と御茶ノ水間の不便な交通解消のために清水精機会社が土地を提供し道を整備したのが、この「清水坂」
ということは「きよみず」坂ではなく「しみず」坂と発音することになるのかな?
3が日を過ぎてしまっていたので社務所は閉まっていました
妻恋神社さんは、日本武尊の逸話に関係しています
日本を平定する旅の途中、日本武尊は千葉に船を出した際に暴風雨に遭います
船に同乗していた妻の弟橘媛命が入水し人身御供となったため、海は鎮まり無事房総に着きました
妃を恋しく想った尊は湯島に立ち寄った時、地元の人達が尊と妃を想いお祀りしたのがこの神社だそうです
こちらのお稲荷さんは、元々この地で稲作をしていたので五穀の神として稲荷神が合わさったとのこと
小さい祠ながらお稲荷さんにしては珍しく優しい感じがします
妻恋神社さんから上の春日通り方面に歩くと・・・
既に行列が!? 150~200m位? 最後尾に並び、横5人の列でゆっくりゆっくり進みます
その間にも人が列に並びどんどん長くなっています
やっと銅鳥居まで進みました!
境内外には去年まであった屋台がなくなっていました (ι´・ω・`;)...ンー 楽しみの一つなのにな
更に人出が多いためか?手水舎とナデ牛に覆いがかかり、使えなくなっていました ショーック!!
湯島天神さんは元々458年に「天之手力雄命」を祀ったのが始まりと言われています
そこに藤原道真(菅公)を一緒に祀ったことで湯島「天神」と呼ばれるようになりました
社殿の正面は天神様のお使い「牛」が子連れで彫られています
周りにはこれも菅公と対で有名な「梅」もあります 「飛梅」ですね~
太宰府天満宮の飛梅は「白梅」なのだそうです
それにちなんでか?湯島の白梅も有名です
この日はいくつか蕾もほころんでいました
若い頃は白い梅は何だか寂しく思えたものですが、今ではもちろん赤もキレイですが白梅も清楚で良いと思えるようになりました
受験生と親御さんなのでしょう 絵馬にお願いごとを書いて奉納されています
奉納する絵馬が多すぎて板が重なっているために膨らんでいます
我が家の受験生は私との関係が今年に入ってからギクシャクしているので同行していませんが、どこかに受かってくれー!
一緒に参拝した長女が戴いた朱印です
朱印帳を貰いたい人は代表者1人だけが並ぶように求められ、私は一人列から外れて待つことになります
ということで、境内で売っていた合格大福餅! 塩大福・よもぎ大福・白あん大福が入っています
現在、私とのコミュニケーションはしない末娘ですが、自宅の机上にあるこの大福をぱくついていました
本殿裏手にある、笹塚稲荷・戸隠神社さんにもお参り
それぞれ宇迦之御魂命・天之手力雄命をお祀りされています
戸隠神社さんは卍型の手裏剣のマークが使われていました
天之手力雄命は忍者と何か関係があるのかしら? これから上野のお山に向かいます その4に続く~