ホテルにチェックインしたので 「大街道」に繰り出します~
どんな場所なんでしょうか? わぁぃ━━━ヽ(〃▽〃 )ノ━━━!!!!
「大街道」は全長483mの全蓋式のアーケードの商店街 です
アーケードまで高いっ!
松山藩の城下町「古町(こまち」から呉服屋さんなどが移転してきて出来た町だったのだそうです
大正時代に用水路が埋め立てられて広い通りになり 「大街道」という通称で呼ばれ始めたらしく
また 昭和4年までは「小唐人町(ことうじんまち)」とも呼ばれたそうです
中国の方々が住まわれていたのかな~?
おぉ!足元のタイルが 「坊ちゃん列車」です
一度は直接 見てみたい ☆⌒(人'ω`%)ヨロシク☆・。*。・♪
実父と長女が歩いています
足元には松山城のタイルが貼られています
「労研饅頭(ろうけんまんとう)」さん 窓の上がお城になっています
株式会社たけうちさんが製作販売されている お饅頭です
饅頭と同じ漢字を用いてあるけれども 和菓子の饅頭とは違い
倉敷労働科学研究所長 医学博士 暉峻氏が 満州の旅の中で出会った
饅頭(まんとう・満州人の主食)を日本で再現したいと思ったのがきっかけなのだそうです
中国のものを日本人好みにするまでは 結構な時間を要したとあります
たけうちさんのマーク 内の文字を竹で囲ってあるのがイイデスネ!
昭和6年に販売開始された労研饅頭
制作には村瀬宝一(後の六時屋タルト社長)を倉敷に派遣して製法を学ばせたりしたそうです
竹内商店として 個人事業になったのは 昭和10年
戦時中ということもあり 小麦粉の制限があり 昭和18年には製造休止に追い込まれてしまいますが
創業者の竹内成一氏は、戦時中も労研饅頭の命である酵母菌を、ずっと保存し続けていたそうです
この酵母菌がないと ふくふくの赤ちゃんの肌のような柔らかさは出ないのだと言われています
当時 一食分(四個) 五銭 とあります
消費者物価でみると1銭は現代の約18円に相当しますので 4個90円→1個23円しない・・・ 安いっ!
学生にはたまらないものだったでしょう
終戦後の昭和20年、松山空襲で焼け残った勝山町の店で商売再開
卵は使用していないとのこと でも仄かに甘みがあり、一口目の皮の口当たりは最高です!
竹内さん、酵母菌を守ってくれて ありがとう~♪
しょうゆ餅は 北海道で食べた べこ餅にも似ていて 懐かしい甘さとすっきりした後味
だんごもシコシコしていて 美味しい~ (人´∀`).☆人生最高ナリぃ.。.:*・゜
レーズン味も買っちゃいました 。(*^▽^*)ゞ
皮に「赤糖」を練りこんであり 黒糖よりも甘さや香りが控えめで 色も柔らかい茶色になっています
赤糖とは 上白糖・グラニュー糖のように白くなるまで精製せず、サトウキビの味や風味を残したお砂糖です
黒糖とは違って 原材料などとの組み合わせで色々な特徴を出すことが出来るそうです
包装紙もレトロステキでしょ?
明日は しまなみ海道を走るよ~!