当時は、丸の内線の新宿から荻窪方向へ三つ目、東高円寺の駅を上がると甲州街道がある。
そいつを背にして、蚕糸試験場沿いに歩く。
いくつかのクランクを経て10分ほどすると在るのが埴生荘。
一つ筋を違えれば、女子美へのルート。
滅多に出くわすことはないが、ガール達が列を成して歩いてゆく姿は記憶にある。
木造二階建ての、古いが味のあるアパート。
一階はそれぞれのドアがあるが、二階は一つのドアの奥に階段があって、上がると突き当りがトイレ、そしてその両脇にドアがあって、二つの部屋が向き合っている。
それは、後にも先にも見たことのないユニークな造りに出来ている。
私の部屋は、門を潜って、その二階へアプローチする、二つ目のドアを開け、上がって左手の部屋。
当時から日本酒が好きだった私は、夏でも窓辺に腰掛けて徳利と猪口で燗酒を飲むのが好きだった。
窓の外には手摺りがあって、その下辺の格子になった部分に一升瓶を逆さまにして刺して、やがてそれが山の様になるものだから、近所でも評判になっていると聞いたことがある。
貧乏学生だから、金に余裕のある時は剣菱、そうでない時は秋田の両関を好んだ。
写真を見ると、確かに剣菱が2本ある。
大学一年の一年間、住み込みの新聞販売員として稼いだ金で、コンポを一つずつ買い足していった。
そして、完成したそいつにいつも慰められた。
それも、この写真で思い返すことが出来る。
よく見れば、鏡に映りこんでいるのは、この写真の撮影者。
何なら、そこに一番ピントが合っている。
それは、当時のガールフレンドで、半分一緒に住んでいた。
その指先とヘアスタイルだけで往時の彼女が鮮明に浮かび上がってくる。
あのコーヒーカップの片割れは、今でも【チュー太郎】に保存してある。
最近立ち上げたtwitterのビジネスアカウントのプロフィール写真を差し替える必要に迫られて探した写真の中に偶然見つけた写真で、暫しトリップ。
もう44年になる・・・
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