醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  647号  草臥(くたびれ)て宿かる比や藤の花(芭蕉)  白井一道

2018-02-18 15:00:51 | 日記


 草臥(くたびれ)て宿かる比や藤の花  芭蕉 


句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「草臥(くたびれ)て宿かる比や藤の花」。芭蕉45歳の時の句。「旅の具多きは道ざはりなりと、物皆払捨たれども、夜の料にと、かみこ壱つ、合羽やうの物、硯、筆、かみ、薬等、昼餉なんど物に包て、後に背負たれば、いとヾすねよはく、力なき身の跡ざまにひかふるやうにて、道猶すゝまず、たヾ物うき事のみ多し」と書き、『笈の小文』に載せている。
華女 俳句をしている友だちにこの句の話をしたら、誰の句なのと、聞かれてのよ。だから芭蕉の句よと、言ったの。「へぇーと」、言われちゃった。句会でこの句を見たら、取らないわ、とも言っていたわよ。芭蕉の句だからいいんじゃないのとも言っていたわ。
句郎 芭蕉の句でも私は良い句だとは思わないと、はっきり言えないところに問題があるように思うな。
華女 そうよね。私は芭蕉の句ではあっては、良い句だと感じられない。そのような考えを持つことが私は大事なことだと思うけれど。
句郎 そうだよね。芭蕉の句が分からなければ、俳句が分からいと思われたくないということで黙っていることはいいとしても、これはいい句だと主張する人々に迎合することは何もないよ。、
華女 「草臥(くたびれ)て」の上五が良くないと言っていたわ。
句郎 そうなのかな。一日、歩き疲れて、宿に上がってみると中庭に藤の花が垂れ下がっていた。その藤の花に癒されるなぁーと思ってうっとり眺めている。そんな風情が思い浮かぶんだけどね。
華女 夕暮れの藤の花なのよね。弱い夕暮れの光の中でそよ風に揺れる藤の花ということね。
句郎 当時、芭蕉は一日平均三十キロ近くの道を草鞋履きで歩いているみたいだから、夕暮れになると疲れていたのじゃないかと思うけどね。
華女 今のように舗装された歩きやすい道ではなかったんでしょうから。足は汚れ、擦り剝けていたかもしれないわね。
句郎 宿に着いた安堵感のようなものが表現されているんじゃないのかな。
華女 藤の花には晩春の思いのようなものを感じさせる情緒があるんじゃないの。
句郎 そうなのかもしれないな。「よそに見てかへらむ人に藤の花はひまつはれよ枝は折るとも」という僧正遍照が詠んだ歌が『古今集』にあるんだ。「よそに見て」とは、うわの空にということらしい。藤の花をじっくり見ないで帰ろうとする人に枝が折れようと巻き付けというような意味だと思うんだ。薄情な男に恋をした女の気持ち、夕暮れの藤の花をうっとりと見ている情緒が感じられるんだ。
華女 その情緒が晩春というものだということなのね。
句郎 草臥れる。薄情な男に恋をした女は草臥れる。もうやめようと思っても、思いきれない。そんな情緒が風に揺れる藤の花にはあるのじゃないかなんて感じているんだけど。
華女 逆も言えるんじゃないの。薄情な女に恋をした男もいるんじゃないの。
句郎 サマセット・モームの『人間の絆』かな。美貌だけれど、薄情な女に恋をした男の話だったな。

醸楽庵だより  646号  灌仏の日に生れあふ鹿の子哉(芭蕉)  白井一道

2018-02-15 12:45:04 | 日記

 灌仏の日に生れあふ鹿の子哉  芭蕉


句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「灌仏の日に生れあふ鹿の子哉」。芭蕉45歳の時の句。「灌仏の日は、奈良にて爰かしこ詣侍るに、鹿の子産(うむ)を見て、此日においてをかしければ」と書き、『笈の小文』に載せている。
華女 「灌仏の日」とは、何なの。
句郎 灌仏会(かんぶつえ)は、釈迦の誕生を祝う行事なんだ。日本では毎年4月8日に行われている。釈迦が旧暦4月8日に生まれたという伝承に基づいているようだ。降誕会(ごうたんえ)、仏生会(ぶっしょうえ)、浴仏会(よくぶつえ)、龍華会(りゅうげえ)、花会式(はなえしき)、花祭(はなまつり)などと言っている寺もみたい。四月八日と言えば桜の花が満開になる頃だからね。
華女 場所によっては、散ってしまっている所もあるんじゃない。鹿の子は夏産まれると言われているわよ。季語「鹿の子」は夏よ。
句郎 貞享五年四月八日に奈良の寺に詣でて灌仏会に芭蕉が巡り合ったと考えると新暦の五月七日のようだから季節は夏でいいんじゃないのかな。
華女 「花まつり」というのは新暦の四月八日に祝っているお寺ということになるのね。
句郎 もしかしたらそうなのかもしれないな。
華女 現代では灌仏会は春の季語ね。季語「鹿の子」は夏よね。芭蕉の句は元禄時代の句ね。
句郎 元禄時代の旧暦の世界に生きた芭蕉の句だという認識をもって読むということが大事なのかもしれないな。
華女 旧暦の季節感と新暦の季節感では大きな違いがあるように感じるわよ。
句郎 旧暦の季節感では灌仏会と鹿の子の誕生は同じだったんだろうからね。
華女 日本人にとっての季節感とは文化になっているってことなのよね。
句郎 日が伸びて来たねと、言うことが挨拶の言葉になっているからね。本当に日本人にとって、季節感は日本の文化の一つになっているんだと思うな。
華女 芭蕉が生きた時代にはすでに今の奈良公園に鹿はいたのね。
句郎 春日大社が創建された当時から鹿はいたようだよ。
華女 じゃー、千年以上前から鹿がいたのね。
句郎 鹿は春日大社の神使であり、春日大社創建の際、茨城県にある鹿島神宮の祭神・武甕槌命(たけみかづちのみこと)が白い神鹿に乗ってやってきたという言い伝えがあるようだから。それ以来奈良の都には野生の鹿が生息し続けているということらしい。
華女 芭蕉は古き奈良の都で産まれたばかりの鹿の子に巡り合い、その鹿の子の可愛らしさに仏を見たのね。
句郎 その優しい目に仏の存在を感じたのかもしれないな。
華女 仏の存在の現実性を生まれたばかりの小鹿に発見したんだと思うわ。
句郎 「鹿の子産(うむ)を見て、此日においてをかしければ」と『笈の小文』に芭蕉は書いているでしょ。この中の「をかしければ」という言葉が表現していることは仏の存在ということなのかもしれないな。
華女 白い斑点のある毛皮を纏った小さな存在、その優しさに人間社会の真実を見たのかもしれないわね。

醸楽庵だより  645号  一つぬいで後に負ぬ衣がへ(芭蕉)  白井一道

2018-02-14 12:37:08 | 日記

 一つぬいで後に負ぬ衣がへ  芭蕉

句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「一つぬいで後に負ぬ衣がへ」。芭蕉45歳の時の句。「衣更」と前詞がある。『笈の小文』に載せてある。
華女 この句を芭蕉はどこで詠んでいるのかしら。
句郎 わかの浦から紀の川づたいに奈良葛城山に向い、葛城では、「猶見たし花に明行神の顔」と詠んでいる。葛城から奈良西ノ京に向かっていたようだから、その途中のどこかで、この句を詠んだんではないかと思っているんだけど。
華女 衣更えが年中行事として江戸時代の庶民の生活に根付いていたのね。
句郎 今では、年中行事としての衣更えのようなものは無くなってしまったね。
華女 今でも残っているとしたら、高校生の制服に残っているくらいよ。
句郎 女子生徒が夏服になるのはいつからだったの。
華女 私が高校生だったころは四十年も前だったけれども六月一日からだったように思うわ。
句郎 元禄時代は旧暦の四月一日からのようだった。
華女 旧暦は新暦よりおよそ一カ月ぐらい遅れるから今の五月初旬の頃が衣更えの時期だったんじゃないかしら。
句郎 ちょうどいい季節だったのかもしれないな。
華女 旧暦というのは、実に日本人の日常生活にマッチしていたように思うわ。
句郎 稲作にあった暦が旧暦だったんだろうね。
華女 年中行事が農民や町人の生活のリズムを規律していたように感じるわ。
句郎 年中行事という儀式が人々の心を規律していたということなんだろうね。儀式、儀礼というものは社会の秩序を形成する上で大きな役割を果たしてきたと思うな。
華女 今の若い子たちが結婚式を挙げないカップルがいるというけれども私は間違っていると思うわ。女にとっても男にとっても結婚式は大事な儀式だと思うわ。
句郎 でも一方で成人式かな。我々が若かったころ、成人式に行くというようなことはなかったけれど、今はかなり華やかにしている所があるみたいだ。
華女 廃れていく儀礼がある一方で活発化していく儀式もあるということね。
句郎 衣更えという年中行事を芭蕉は簡略化し、生々としたと詠んでいるのかな。
華女 通過儀礼を経ると安心感が得られるのよ。その安心感がどこから来るのか、よくわからないんだけどね。
句郎 芭蕉もまた衣更えという通過儀礼を経ることによって旅の安心感のようなものを得ることができたのかな。
華女 今日は暑いねと、杜国に話し、上に羽織っていた袷を一枚脱いだことを笑って、これが衣更えだと言ったのかもしれないわよ。
句郎 実際はそんなところだったのかもしれないな。衣更えが年中行事というか、通過儀礼として定着していた社会にあって、儀礼をしましたよ。まず自分自身に言い聞かせたのかもしれないな。
華女 そうなのよ。バレンタイデーだというと小学生の女の子たちだって、気持ちが高ぶって来るのよ。一種の年中行事化した出来事になってきているのよ。おじさんたちだってほしいと言っている。

醸楽庵だより  644号  猶見たし花に明行神の顔(芭蕉)  白井一道 

2018-02-13 12:58:45 | 日記

 猶見たし花に明行神の顔  芭蕉


句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「猶見たし花に明行神の顔」。芭蕉45歳の時の句。「やまとの國を行脚して葛城山のふもとを過るに、よもの花はさかりにて、峰々かすみわたりたる明ぼののけしき、いとど艶なるに、彼の神のみかたちあししと、人の口さがなく世にいひつたへ侍れば」と前詞がある。
華女 この句に詠まれている神とは、何なの。
句郎 奈良県葛城に一言主神社が今でもあるからね。その神様だと思う。
華女 前詞にある「神のみかたちあしし」とは、容貌の醜かったということでいいのよね。
句郎 一言主神は役行者によって金峰山・葛城山の間に橋を架けるために働いた。一言主神は自らの顔の醜さを恥じて昼は働かず夜のみ働いたという説話が『今昔物語集』にあるそうなんだ。
華女 芭蕉は『今昔物語』の説話を知っていたのね。
句郎 そのような説話が大和の国葛城では信じられていたんじゃないのかな。
華女 元禄時代にあってはそのような伝説や言い伝えがその地域住民の心を支配していたのね。
句郎 地域住民から芭蕉は『今昔物語』にある説話を聞き、それでは、一言主神さんの顔を見てみたいものだと観想したんじゃないのかな。
華女 芭蕉は一言主神の顔が醜いという言い伝えを聞き、笑ったのね。笑った末に桜の花の咲く葛城の山が明けはじめたら一言主神の顔を見てみたいなぁーと冷やかしたのよね。
句郎 芭蕉は説話を信じていなかった。だからこのような諧謔の句を詠んだということなのかな。
華女 真面目に『今昔物語』の説話を信じていたら、このような句を芭蕉は詠まなかったと思うわ。
句郎 芭蕉には迷信のような説話や伝説を信じない近代的な精神が目覚め初めていたのかもしれないな。
華女 笑いというものには、そもそも近代精神の芽生えのようなものが初めからあるのじゃないかしらね。
句郎 確かにそんな気がするな。キリスト教世界にあっても、イエスは笑ったかということが大きな大きな問題になってきたようなことがあったみたいだからね。
華女 私、見たわ。映画『薔薇の名前』よね。アリストテレス『詩学』を禁書にした物語だったかしら。
句郎 アリストテレスの哲学でキリスト教の教理を体系化した中世キリスト教徒の神学者たちは古代ギリシアの喜劇を忌み嫌ったということだよね。
華女 アリストテレスの『形而上学』は良いのよね。ただ『詩学』は禁書。その中心は笑いなのよね。
句郎 笑いは人間的なものだからね。また同時にこの世のものでもあるから。
華女 この世のもの、世俗に汚れたものとして笑いをみなした中世的なものの見方から笑いは人間を解放する働きがあるということなのよね。
句郎 俳諧の笑いにもそのような働きがあったのじゃないのかな。日本の中世社会にあった冷たい価値観に縛られた人の心をほぐすような働きが俳諧にはあったのだと思うな。
華女 醜い神様の顔が見たい。これはまさに反逆的なことだと思うわ。醜い神は神じゃないわ。

醸楽庵だより  643号  行く春にわかの浦にて追付きたり(芭蕉)  白井一道

2018-02-12 13:18:46 | 日記


 行く春にわかの浦にて追付きたり  芭蕉


句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「行く春にわかの浦にて追付きたり」。芭蕉45歳の時の句。「和歌」と前詞がある。
華女 行く春に追いついたわよと、胸を張った句ね。俳句とは、具体的なものによって気持ちを詠むものなのね。
句郎 芭蕉は和歌の浦の暮春を見たいという強い気持ちがあったんじゃないのかな。
華女 「行く春」と「暮春」では、情緒が違ってくるわ。「行く春」は「行く春」なのよ。新古今和歌集の詠み人しらずの歌に「待
てといふに留らぬものと知りながら強ひてぞ惜しき春の別は」があるのよ。待てというのに止まってくれないものが「行く春」よ。春の別れとはそのようなものよ。その春の別れの情緒を詠まなければ、句にはならないのよ。
句郎 止まってくれない行く春にわかの浦にて追い付いたということなんだ。
華女 行く春に追いついたという気持ちよ。その気持ちが詠まれているということね。
句郎 わかの浦は万葉の時代から歌に詠まれている所だから、行ってみたかったんじゃないのかな。
華女 「若の浦に潮満ち来れば潟をなみ葦辺をさして鶴鳴き渡る」という歌を山部赤人が詠んでいるわね。
句郎 わかの浦が満潮になると干潟がなくなり、鶴が啼き声をあげて蘆辺を目指して飛んでいく景色を芭蕉は瞼に浮かべていたのかな。
華女 実際はどっだったのか、分からないけれども、気持ちとしてはそうだったんじゃないのかしら。
句郎 行く春の情緒は湿っぽくないのかな。無常観に薄い緑色が付いた感じかな。
華女 芭蕉と杜国は高野山から降りて来てわかの浦に出てきたのよね。山の上の春はたけなわだったんでしよう。山を下るに従って春は行ってしまう状況だったのよね。
句郎 そんな状況の中でわかの浦に出て「行く春」に出会えた喜びの句なんだろうね。
華女 私たちの読み方によっては、もっと深い読みができるような句ではないかと思うわ。
句郎 『徒然草』の名言かな。「春暮れてのち夏になり、夏はてて秋の来るにはあらず」。155段にある言葉でよかったかな。
華女 当たり前のことよね。行く春は夏になる。夏、果てて秋になる。吉田兼好法師はそうじゃないと言っているのよね。
句郎 そうそう、春の内に夏はすでに始まっているということなんだよね。同じように夏の間に秋は始まっているんだということを兼好法師は言っている。
華女 当たり前のことよね。でもその当たり前なことがあたりまえでないような事態があるということよね。
句郎 春たけなわの高野山では「行く春」を感じることができないということなんだと思う。
華女 若い頃は年取ったことを感じることって一度もなかったわ。
句郎 芭蕉はわかの浦に出て、初めて行く春に出会い、行く春に気付いたということなんだろうな。無常観というものを実感した。無常観を具体的な句に詠んでいるのが、「行く春にわかの浦にて追付きたり」ということになるということかな。
華女 そうなんじゃないの。