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“僕らしくなくても僕は僕なんだ 君らしくなくても君は君なんだ” 【ハイロウズのNo.1】

青年海外協力隊 最終報告書 ヨルダン 障害児支援

2020-11-18 04:56:37 | societas - 社会
報告書5(最終):10月に提出

要約.国内待機中の活動

私の活動(仕事・生活)の全ては
・自分が幸せに生きていくこと
・自分も含めた世界全体(人間視点ではなく全ての生物を含めた世界)が平和・幸せであることを目指している。「幸せ」の形は人それぞれであるが、私が大事だと思うことは人生の意義や目的以前に「生きろことそのものを大切にする」ことである。それは
・自分が感じているものごとに気づいていること
・生きていること(衣食住が足りていること)に満足すること
である。全ての人々がそのように行動していたら世界は平和になると信じている。現在の社会は経済や技術の発展に重点を置きすぎ、必要のないもの(生命に関係ないもの)の生産・消費・廃棄を繰り返して、地球の環境(人間が生活する土台である自然も含めた全ての生命)を汚染し人間自身にも負担をかけ続け、貧富の格差や力関係の格差を生み出し傷つけている。

目指す、国内で活動していることは以下の通り。
1 循環型・持続可能な生活に向けて
有機農家に滞在して、暮らし(生きること)にまつわる作業をしている(農作業やサンソン留学生向け住宅の改築など)。滞在先のホストや地域の人々は、食・パーマカルチャー・地球環境などに関心の高い人々(コンポストトイレ、微生物ボイラー、羊毛による家屋断熱などを実践している)であり、それらの話題について、議論・情報交換し、人間関係も深めている。環境を汚染しない衣食住を目指し、都市の生活と異なるオプションとなる拠点を作るkとができると良い。

2 不登校児の支援
NPOに参加し以下のような活動
・オンライン勉強会でヨルダンでの生活・活動について紹介
・引きこもり当事者を含めたオンライン対話交流会。それぞれ自らの近況・課題
について話をし、意見を出し合いながら、生活や仕事の向上を目指す取り組み。

3 海外と
語学SNSを通じて、ヨルダンはじめアラブ圏の人々と互いに語学支援しつつ、生活の紹介など交流を深めている。


1.活動結果
施設の改善課題として、生徒にへの厳しすぎる管理・叱責が目立った。自らが穏やかな対応、生徒自身の存在を尊重する態度を取ることで、異なる生徒へのアプローチを職員に提示することを心がけた。

野外での作業
清掃・園芸にて、職員は早く終わらせるために、優秀な生徒ばかり働かせたり、自分たちで作業をしてしまうことが多い。すべての生徒ができる範囲の作業に取り組むように働きかけた。

お絵描き
図画の指導を行なってきた。施設長や教員は優秀な生徒への指導を私に求め、展示会などで外部向けに華やかにディスプレイすることを望んでいた。私はバランスよく全生徒の指導を心がけた。

音楽
音楽と運動を組み合わせたレク、発声練習、合奏など生徒・先生の反応を見ながら試行錯誤して、楽しい活動を模索してきた。また、三味線・ウクレレ を利用して日本の民謡・童謡などの弾き歌いをレクリエーションとして行ない、幅はあるが好評だった。職員に対しては、日本の文化に興味を持ってもらい交流のきっかけとなった。

読み聞かせ
物の名前や数の概念を学習するための絵本を用意し読み聞かせをした。著しく興味を示し、レクとして大きな効果がある生徒もいた。


2.要請の妥当性や受け入れ体制
現地スタッフは施設長、現場教員は全員女性、男性はアクティビティー統括、理学療法士、用務員などである。ボランティアの受け入れ体制については、歓迎的な教員もいれば、東洋の男性が女性の職場に入ってきてアクティビティーをすることに疑問を持っている方もいたが、それぞれの教員に対して自分がやろうとしている活動について説明し、幅はあるもののある程度理解を得ることができた。男性が女性の教室に入って活動をする困難はあるもの、完全に拒絶されることはない。引き続きアラブ・イスラムの外からのスタッフとの交流があれば、少しずつ理解も広がると思われる。

3.活動成果の配属先への活用の見込み・今後の配属先への支援の必要性

活動成果の活用事例
・起きてから寝るまでの生活やマナーを学習するための絵本を作成した。職員が単独で読み聞かせで活用している。

・生徒が共同で塗り絵をするための大型下絵を作成し、イベントなどで活用していた。ストックが作ってあるため今後も活用されていくと思われる。

・ウクレレなどの楽器を演奏(または生徒と合奏)して音楽を行い、発声・発語の促し・リラクゼーション・レクリエーションの活動してきた。教員も時に応じて歌ったり楽器の演奏補助などで参加してくれた。

・数・大小・多少などの概念を教えるための絵本、動物の名前と写真(絵)をセットにしたカードなどを作成し、読み聞かせで活用してきた。学習のみでなく、レクリエーションとしての効果もあり、今後も活用されることを期待する。

今後の支援の必要性
予算の関係からか、生徒数に対して教職員の数が少ないため、外部ボランティアの協力は特に年長男子生徒への野外作業・運動などの面で有益であると思う。一方、特に用務作業・雑用などについては、有給スタッフが自分の教員・療法士などの肩書にかかわらず、施設の運営全体に対する責任や意欲を持って積極的に働く必要があると感じる。


4.ボランティア経験について
自身の課題を多く見つけることができ、とても有益な経験だった。

一つは自分が持っている価値観と対立する価値観を持っている人と向き合った際に、自分と相手の価値観を同時に尊重することが難しかった。現地の人々の宗教観や自文化への誇りに対して、私は自分が遠慮して意見を隠すことで対立を避けることしかできなかった。具体的には自由・多様性と(イスラムの)統一的な価値観との対比であり、それは世界の縮図でもあると思うので、考え続けていきたい。また、自身が生まれ育った環境に従った様々な思い込みや偏見に私も囚われていると思うので、自身を省みることを続けたい。

また一つは自己主張について。ヨルダン人は、はばかりなく自分の意見・希望を強く主張し、激しくぶつかり合う様子もあるが、わだかまりが残ることは少ない。意見がぶつかり合うことが人間同士の対立ではないので、はっきりと意見を表明することは大切だと感じた。同時に、自己主張は強いが他者への傾聴や協調して意見を発展させる姿勢に欠ける面も感じたので、そのような場合にうまく議論の発展に向ける働きかけ方も身につけたい。



5.ボランティア経験の社会還元・発信とその計画
1. 4項の内容を社会生活に活かす。大人・子供に対して、自分の価値観・感じ方を押し付けず、互いの立場・視点を尊重し合う。特に立場の弱い者に対して、相手の意図や感情を決めつけて抑圧・管理しない様に気をつけ、職場の同僚とも話し合い職員同士や生徒に対しての暴力(ハラスメント)のない環境を築く。職務上の上下関係等に囚われずに良い仕事・社会を実現するために必要なことを、憚りなく話し合える風通しの良い職場・人間関係の構築を目指す。

2. 在日外国人の生活を支援するために、日本語学習・学校での学習を支援するボランティア活動を市民サークルに参加して行う。

3. 日本人の(消費)生活は海外からの労働力・生産・資源に支えられており、世界に対して影響がある(格安商品の購入が悪環境労働(児童・長時間・低賃金)につながるなら日本は世界を搾取していると言える)が、国民の関心が海外・在日労働者に向くことは少ない。ブログなどで、ヨルダンの紹介や、生活を通じて感じたことを発信することで、人々の関心が世界に向き、エコフレンドリー・フェアトレードへの関心が高まり、分離・格差のない世界を指向する小さなきっかけになれば良いと思う。




JICAへの要望
・報告書のエクセル編集は煩雑で無駄な労力を要するので、固定書式でなくフレキシブルにして欲しい。各自が必要な項目を網羅するような計画書・活動結果を作成すれば良い。

・国民の支持を得るために予算削減は大切だと思う。組織のバックアップや管理が過剰すぎると隊員の主体性・積極性・創造性が衰えることもあるので、組織運営をもっとコンパクトにしたら良い。

・「SDGs」「開発援助」「国際協力」という「先進国」の一方的な世界観ではなくて、各地域で暮らす一人一人にとって「幸せ」とは何かを想像する・感じとる・共有する努力。JICA職員と現地で会食した時に、従業員に対して「お金を払って食事をする自分たち主人と労働者」という力関係で向き合ってるように感じた。隊員である自分も同じことだが、JICAオフィスや関係するヨルダン人たちがヨルダン の中にある日本社会の延長でしかないなら、現地の住民が感じている生活上の労苦は共有できないし、ヨルダンを外側のコンフォートゾーンから見ているに過ぎない。公用車で移動していては、煙草の煙が充満するぎゅうぎゅう詰めのバスで通学・通勤する人々の生活感・視点は得ることができない。

知らない間に僕たちは

2020-07-14 19:49:44 | societas - 社会
知らない間に僕たちは
参加していた(参加させられていた)このロールプレイングゲーム

必要な能力とが知識とか技術とか態度とか・・・・
必要なものは状況に応じて変わる

社会の中で生きていくためには必要なこと
自然の中で生きていくためには必要なこと

僕は知らない間に人間社会の中で生きていくと言うこのロールプレイングゲームに参加させられていたのです。。。とか言ったら、情けないかな

この社会が当たり前で
この社会の中で生きていくにはどんな知識や特技が役に立つのかって
そういう前提で考えてばっかりだった
その方が簡単だったし
わかりやすい目標とか役割とか

自分の場合は
もう音楽も芸術もなくていいや
自然の中で食べ物を手に入れて生きていくだけで
幸せならば
色んな美しいものや素敵な音や心地よい風や海の肌触りとか
雨音鳥の鳴き声風の音森の音海の音虫の鳴き声雷の光・・・
そういうものに満ち溢れているから

呼吸・鼓動


何にもしたくないな
余計なことを何にもしたくないな

身に降りかかることを感じ尽くしたいな

人生はゲームじゃないから
点数を競いあったり、ゴールを競い合うよりも
今を感じ尽くしたいな

教育や社会について:均質さ、複雑さ、多様、シンプルさと幸せな生活

2020-06-15 18:36:33 | societas - 社会
障害児教育に限らず一般の教育も含めて、平等・均質なものではなくて、個人の能力・適性・気質・希望などが反映されるものであれば良いと思います(よりコストがかかるかも知れませんが)。全ての人間が同じような能力を習得する必要はなく、社会の成員が個性を活かしあって助け合う状態になれば良いと思います。それでも全ての人が習得すべき生活にまつわるスキルもあるとは思います。ヨルダンでは生徒の能力・気質に応じて伝統芸能や作業の時間には、教員が活動に参加させる生徒を選別することが頻繁にありました。参加しない生徒の能力に応じた別の活動の割り当てがあればそれも良いかと感じます(ヨルダンではそれは全くありませんでしたが)。

私は特別支援教育も、教員課程も履修しておらず、派遣前に特別支援学校で2週間見学研修をし、学習指導要領も初めて読みました。感じたことは、カリキュラムも指導要領も量がとても多いこと、複雑であることです。それをこなせる人が教員になれば良いだけかもしれませんが、私は教育がこれほど複雑であることに疑問を感じます。それは、生徒が今ある社会に適応するため、または多様な職業の選択を可能にするためには必要なものかもしれませんが、日本は公平・均質化を求める傾向が強く感じます。しかし例えば最初から農村などでのシンプルな時給生活を視野に入れて、屋外での作業や実生活直結する技術に極端に比重を置いたカリキュラムの中で、コミュニケーション・道徳・思考力などの能力を磨く、という、教育の選択肢も、もっとあって良いかと思います(シンプルさを求めるのは単純に私の好みとキャパシティの問題かもしれません)。

今日のグループセッションで別の隊員が「日本に比べて配属先の施設の生徒は落ち着いている。それは興味の対象になるモノが少ないからではないか」と言っていました。モノに限らず、情報・選択肢など日本の社会では多すぎて弊害の方が多いと感じます(衣食住が足りてそれに満足できるならば人間が幸せに平和に生活するためには十分と自分は考えています)。社会の物質・情報・選択肢の過剰さ複雑さは学校での教育内容にも反映されているので、そんな日本のモデルを抱いてをアフリカや中東などの緩やかな(?)暮らしに拡めようとするのは方向が違う気がします。実際にヨルダンでは、学習などの自己投資に時間を費やすことは日本と比べて極端に少ない印象で、逆に、食事・休憩時間・余暇の楽しみには手間と時間をたっぷりかけます。それで皆幸せそうです。人生を楽しむために必要なものはそんなにたくさんないのではないでしょうか。

38歳の自分が経験した小・中・高校での教育をもとにして書いたので、現状はもっと違うかもしれません。

【最近のこと】ヨルダンで一年半、帰国して3ヶ月

2020-06-08 20:07:24 | societas - 社会
最近のことを報告しようと思ったら、愚痴になってしまいましたごめんなさいあんまりごめんて思ってない。

人間の社会に疲れました 笑
具体的に言うと以下のようなものに疲れた。
これらについて考え過ぎてしまうことに疲れた。

言葉、意味、役割、目的、目標、意義、「人生論」的なもの、権利や責任、
社会、公共の利益、価値観、道徳、・・・・・などなど

JICAボランティアとしてヨルダンの特別教育センター(障害児の支援施設)で活動して1年半、日本に帰ってきてから3ヶ月。

ヨルダンにては、自分たちの信仰の正しさを強く主張し、他の宗教や価値観を否定したり見下したりする(そのように俺には見えた)人々とどのようと付き合っていくか、「多様性を認め合う」をかかげる自分としてどれほどそこで寛容に?なれるのか、どうあるべきか。。。。とか考え過ぎて

また、「障害者」と呼ばれる人々がどのように生きていくのが幸せか、社会とどのように関わっていくべきか・・・・とか考え過ぎて

教育・学習という名のもとに各人がいろんな知識を詰め込み、数々の「ペーパーテスト!」を乗り越えて、「立派な肩書き!!」という名誉を手に入れて名誉に溺れている。表象に溺れる人々は表象に溺れている。自分もそう。

ラベル・名札に溺れている。コーラを欲して買う人は、その「飲み心地」「飲む体験んそのもの」を欲していることもあれば、あのコーラのパッケージや名札、「コーラ」というシンボルを欲していることもある。

「エンジニア」「会計士」「先生」それらはただの言葉で、現実には一人一人の人間がいる、行いがある。嘔吐する生徒や失禁する生徒を汚がって近づかない、それの何が先生か?というのは俺の価値観を正しさを押し付けてるだけなんだろう。

人間は今まで学んできたこと覚えてきた知識を総動員して、感じる世界を切り刻んで型にはめて思考を止めて、片付けてるだけなのか。

日本に帰ってきてからは、「除菌・殺菌」という極限対症療法を愚かだと思いながらも、そうは言っても、それが必要な時もある(それは本当に命が危ない時)、でも今ってそうなの?・・・・そもそも「人間が世界の中心」「人間が世界の視点」みたいな言説の数々に辟易し


今日、海を眺めていた時に、
波はあっちからもこっちからも力を伝える
お互いに合わさったり離れたりしつつも
自分自身を保ちながらまた進んでいく
混じり合ってしまわずに
それぞれの波は一つずつ進んでいる、よく見ると
全体的にぼーっと見ると網の目みたいに支離滅裂に見えて
潮の流れは速いところもあれば、ゆるやかに たゆたう ような所もある。
こんなに複雑に絡み合った中で、
何かを見つけようとしたり、何かを解きほぐそうとしたり、
渦の真ん中で溺れそうになってる何かを掬い出そうとしたり・・・・・

落ち着いて一つずつ取り組めば、
一つの波が独立しているように

でもまー、
めんどくさくなっってしまった
考えるの疲れる

シンプルが一番
複雑な現状はさておき
シンプルなゴールがイメージできたなら
そっちに向かって動けば良い
複雑な現状を基準にして考えるより
シンプルなゴールを基準にして考えた方が良い


食べる眠る、後まあちょっと
そんだけ

表現への情熱 ー 文字と言葉

2019-10-18 10:54:38 | societas - 社会
文字の種類の多さで情報量をまかなうか
単語に使用する文字数(単語の長さ)で情報量をまかなうか

紛らわしい文字がたくさんあるけど、
文字の数が多いほど表現できる情報量も増える
豊かで繊細な表現が可能になる。
そんなに紛らわしくて、ほとんど同じなんじゃないかってぐらいに似てる文字を駆使してまでも
人類は、色んなことを伝え合いたかったのかな!

アルファベットが10文字だとして、3文字の単語の場合、1文字増えただけで、331個多くの単語を表現できる
10 x 10 x 10 = 1,000個
11 x 11 x 11 = 1,331個

5文字の単語の場合は、61,051個も増える!
10 x 10 x 10 x 10 x 10 = 100,000
11 x 11 x 11 x 11 x 11 = 161,051

単純計算だけど。
実際に発音の都合で使われない文字の並びもたくさんあるから。

日本語は50音というけど、例えば、動詞は文字数が少ない。
文字の種類が多いから、少ない文字数でたくさんの情報を処理できる
古語では1文字の動詞もある!
為  す(するの意)
来  こ
落つ おつ
書く かく
走る はしる

文字の種類の多さで情報量をまかなうか
単語に使用する文字数(単語の長さ)で情報量をまかなうか

今更見落としてたけど、
日本語(ひらがな)は同じ文字はいつも同じ発音だけど
英語とかアラビア語は同じ文字でも、発音が単語によって変わるんだった!
計算し直さねば 笑

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漢字は単語的な要素がある
漢字があることで、文章を俯瞰的にながめて欲しい情報を発見することが簡単な気がする。
絵を見るみたいに見ることができる。
でもそれは、自分が日本語ネイティブだからで、
例えば、英語ネイティブだったら俺には無機的に見える ABC のつらなりが、有機的に絵や図のように感じる、ということもあるのかも



オタク(のめり込み癖のある人)は言語学者絶対向いてると思う。数学とか言語学とか 量子力学とか(まあそれらは人間の生み出したかてごりーではあるけど)、まあつまりこの世にはのめり込む対象がたくさんあるなあ。。。。。。。