生きるということ
生きることについて考えてみた
人生・仕事・社会・地球・生命・動物・・・・・・
いろんなキーワードがあるし、いろんな人が今まで考えてきて今も考えていることだけれど、今 日は、今自分が感じていることから出発してみたい
今この瞬間に自分が感じていること
今この瞬間に自分の意識にあるもの
今この瞬間の自分の体験・世界
雨の音
お腹が気持ち悪い(昨日の夕食を食べすぎたから)
ちょっと眠い
頭がかゆい
腰がちょっと痛い
手が冷たい
煙の香りがする
あ、鶏が鳴いた
(今は朝の5時、十一月の北海道、薪ストーブからやってくる煙がいい香り。そんで外には鶏小屋がある。もうすぐ羊もご飯を要求して鳴き出すかもしれない)
ちょっとお腹が空いてきた
もっと体の細かい部分に注意してみると、
風が鼻の穴を、唇の上の方を通り過ぎるのに気づくかもしれない
息をしているから
胸の鼓動にも気づくかもしれない
・・・・・もっともっといっぱいあるけれど
「雨の音」とか「呼吸」とか「煙の香り」とかって、言葉で世界を区切らなくてもいい。自分が感じている感覚に名前をつけずに、ただ感じることを味わってみるのもいい。鼻の下を通り過ぎる風を「風」とも「息」とも思わずにその肌触りを感じてみる。外から聞こえる「ぽつぽつぽちゃぽちゃ」を「雨」だなんて呼ばないで、ただその音を感じてみる。感じ続けてみる。「これは雨で、あれは雪で、あっちはみぞれで、空には真っ黒な雲が広がってる」とかそんな風に整理しないで。
手が冷たくて「寒いなー辛いなー痛いなー」なんて思うけど、ちょっとこの感覚をじっくり味わってみよう。そんでまた薪ストーブの前に行って みる。体の外側から、顔の表面から段々暖かくなってくる。ぱちぱち薪の燃える音もする。頭を空っぽにしてじっくり感じてみよう。体に起こる変化を。
目を閉じて
感じいってみよう
僕は今、何を感じているのかな
自分が感じていることに意味なんてなくてもいい。
自分が感じていることの全てが生きていることそのものだ。
生きることに意味なんてなくていいけれど、意味と言いたければ、僕が感じていることの全てが生きていることの意味だし、僕と関わり合って変わって行く世界や、世界と関わり合って変わって行く僕の全てが生きることの意味だ
今自分が感じている感覚や、自分の周りで起こっていることの全ては別に何かのための手段じゃない。目に見えるものや聞こえる音や肌で感じるもの、それらは例えば、「人生」「役割」「夢」「目標」「意義」「発展」・・・・とかっていう「立派!」な物事を実現するための道具ではなくて、それ自体が意味なんだ。
「社会」とか「文化」とか「文明」とかって、人間が作った意味の世界・物差しのある世界・方向性のある世界観はただの物語の一つにすぎず、そんな中で人生ゲームみたいに、ロールプレイングゲームみたいに、ゴールに向かって進んでいくことだけが生きるってことじゃない。
「社会的!」に認められるような意味を求める前に、自分が感じている感覚そのものを、体験そのものを大切にしてみよう。
例えば・・・
裸足で森の中を歩いてみる
例えば裸で海や川に入ってみる(気をつけて!いろんな意味で 笑)
素手で土に触ってみる
気を抱きしめてみる
名前も知らない草花の匂いを嗅いでみる
全然言葉で伝えられる自信がないけど(汗)、「意味」以前の感覚・体験・意識の世界ってすごい豊かだと思う。それを感じていることに気付こうともせずに、気づいていても感じようともせずに、つい、意味とか目標とか社会とかってやつに向かってしまいがちだけど。
言葉も 意味も自分の名前も人や社会との関係も全部忘れて
自分が「日本人」だとか「人間」だとか「動物」だとか思わずに
ここが「日本」だとか「地球」だとか「宇宙」だとかって区切らずに
何者でもない自分でこの世界に向き合ってみよう
感じていることを
ただ感じてみよう
なんの道しるべもなくて
どんなゴールもなくて
右も左も上も下もない
自由すぎてとても不安だけど
不安から目をそらして意味を無理やり求めるよりも僕はいいかな
感じることの全て
周りにあるもの全て
起こることの全て
関わり合うものの全てと
感じあって、反応しあって生きて行く
そんな風に僕は生きていきたいです
生きることについて考えてみた
人生・仕事・社会・地球・生命・動物・・・・・・
いろんなキーワードがあるし、いろんな人が今まで考えてきて今も考えていることだけれど、今 日は、今自分が感じていることから出発してみたい
今この瞬間に自分が感じていること
今この瞬間に自分の意識にあるもの
今この瞬間の自分の体験・世界
雨の音
お腹が気持ち悪い(昨日の夕食を食べすぎたから)
ちょっと眠い
頭がかゆい
腰がちょっと痛い
手が冷たい
煙の香りがする
あ、鶏が鳴いた
(今は朝の5時、十一月の北海道、薪ストーブからやってくる煙がいい香り。そんで外には鶏小屋がある。もうすぐ羊もご飯を要求して鳴き出すかもしれない)
ちょっとお腹が空いてきた
もっと体の細かい部分に注意してみると、
風が鼻の穴を、唇の上の方を通り過ぎるのに気づくかもしれない
息をしているから
胸の鼓動にも気づくかもしれない
・・・・・もっともっといっぱいあるけれど
「雨の音」とか「呼吸」とか「煙の香り」とかって、言葉で世界を区切らなくてもいい。自分が感じている感覚に名前をつけずに、ただ感じることを味わってみるのもいい。鼻の下を通り過ぎる風を「風」とも「息」とも思わずにその肌触りを感じてみる。外から聞こえる「ぽつぽつぽちゃぽちゃ」を「雨」だなんて呼ばないで、ただその音を感じてみる。感じ続けてみる。「これは雨で、あれは雪で、あっちはみぞれで、空には真っ黒な雲が広がってる」とかそんな風に整理しないで。
手が冷たくて「寒いなー辛いなー痛いなー」なんて思うけど、ちょっとこの感覚をじっくり味わってみよう。そんでまた薪ストーブの前に行って みる。体の外側から、顔の表面から段々暖かくなってくる。ぱちぱち薪の燃える音もする。頭を空っぽにしてじっくり感じてみよう。体に起こる変化を。
目を閉じて
感じいってみよう
僕は今、何を感じているのかな
自分が感じていることに意味なんてなくてもいい。
自分が感じていることの全てが生きていることそのものだ。
生きることに意味なんてなくていいけれど、意味と言いたければ、僕が感じていることの全てが生きていることの意味だし、僕と関わり合って変わって行く世界や、世界と関わり合って変わって行く僕の全てが生きることの意味だ
今自分が感じている感覚や、自分の周りで起こっていることの全ては別に何かのための手段じゃない。目に見えるものや聞こえる音や肌で感じるもの、それらは例えば、「人生」「役割」「夢」「目標」「意義」「発展」・・・・とかっていう「立派!」な物事を実現するための道具ではなくて、それ自体が意味なんだ。
「社会」とか「文化」とか「文明」とかって、人間が作った意味の世界・物差しのある世界・方向性のある世界観はただの物語の一つにすぎず、そんな中で人生ゲームみたいに、ロールプレイングゲームみたいに、ゴールに向かって進んでいくことだけが生きるってことじゃない。
「社会的!」に認められるような意味を求める前に、自分が感じている感覚そのものを、体験そのものを大切にしてみよう。
例えば・・・
裸足で森の中を歩いてみる
例えば裸で海や川に入ってみる(気をつけて!いろんな意味で 笑)
素手で土に触ってみる
気を抱きしめてみる
名前も知らない草花の匂いを嗅いでみる
全然言葉で伝えられる自信がないけど(汗)、「意味」以前の感覚・体験・意識の世界ってすごい豊かだと思う。それを感じていることに気付こうともせずに、気づいていても感じようともせずに、つい、意味とか目標とか社会とかってやつに向かってしまいがちだけど。
言葉も 意味も自分の名前も人や社会との関係も全部忘れて
自分が「日本人」だとか「人間」だとか「動物」だとか思わずに
ここが「日本」だとか「地球」だとか「宇宙」だとかって区切らずに
何者でもない自分でこの世界に向き合ってみよう
感じていることを
ただ感じてみよう
なんの道しるべもなくて
どんなゴールもなくて
右も左も上も下もない
自由すぎてとても不安だけど
不安から目をそらして意味を無理やり求めるよりも僕はいいかな
感じることの全て
周りにあるもの全て
起こることの全て
関わり合うものの全てと
感じあって、反応しあって生きて行く
そんな風に僕は生きていきたいです