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"判断留保"
“僕らしくなくても僕は僕なんだ 君らしくなくても君は君なんだ” 【ハイロウズのNo.1】

分かり合えなくても共存できる

2020-02-28 19:17:51 | homo - 人間
平和共存するために必要なことは理解し合うことではなくて、
理解し合うことができなくとも、
平和共存する、その努力をすること

わからないものを憎んだり傷つけたり攻撃したりしないで
平和共存する努力をすること

傷つけられた時は

2020-02-27 23:37:39 | homo - 人間
自分を傷つけられるのは自分だけかもしれないけれど
どうかな。わからないな。

嫌な目にあった時の対処方法は色々あります。
中には自分に対して有害なものもあると思われるけど。


・相手を憐む
これはちょっと有害。自分を傷つける者がいったら、人を傷つけるような下らないことにしか喜びを見出すことが出来ない哀れな存在であることを憐みましょう。だけど、自分が物事を極端に解釈することを助長することにもなるので注意。



・ただ平坦な心でいる。
雨に怒っても仕方ないだろう。強風に怒っても仕方ないだろう。宇宙線に怒っても仕方ないだろう。そういう風に出来ているものは、そういう風にしかならないのだから、反応しない、動揺しない。ただ平坦でいる。「ああこういうことが起こったんだな」ってただ、無感動に観測する。雨は地に落ちるし、月は地球の周りを周る、磁力も電力も流れがある。そういう風に出来ている。



・想像する
生まれ育った環境というものがる。
いま私はこちらにいて、いま彼はあちらにいる。私だってあちら側で生まれて育っていたら、きっと彼のように振る舞っていると思う。大きい人たちが自分を叱る言葉や条件も、自分を褒める言葉や条件も周りにいる人々が大事にしているものも、気温や湿度や食べ物や土壌環境も全部違った。それは彼から私をみても同じこと。抗えないものがある。抗えたならば抗ってもいただろう。抗うことが出来たのに抗わなかったのならば、つまりそれが出来なかったんだろう。だから憎んでもしょうがない。見ている世界が違う、感じている世界が違う、言葉の意味が違う、世界の解釈が違う、使ってる物差しが全然違う。もっと「良い」状態があると思うのならば、現実からその良い状態へと至る道を階段を探して築いて辿り着くように試みればいい。だけど私が「良い!」と思った世界を彼も「良い!」と思うかはわからないけれど。

自分の体験を偏った「意味」「物語」の色眼鏡で解釈してること

2020-02-27 04:00:03 | homo - 人間
辛いものは辛いとして、「マイノリティ」の辛さを身をもって体験できる貴重な機会であることは確かだから、それは忘れずにいよう。普段自分が知らずに、または知らないふりをして踏みにじっているものがある、ということ。または例えば色眼鏡で自分の体験をフィルターしてみてしまうこと(偏った意味や物語を自分の体験に適用して解釈したり。この場合は「マイノリティーである」という物語。「○○人は嫌い」という物語)。それが日本で一番社会還元できることかも。

22th. Feb. 2020

2020-02-22 22:38:18 | homo - 人間
どんな時にイライラする
俺はイヤホンのコード自分の膝とかテーブルとかカバンとかに引っかかって耳が引っ張られたりする時と、コーヒーなどの汁物をひっくり返してしまったときは、最強に「きぃーっ!!!!!」って「うきゃー!!!」って叫びたいです。叫んでたけど最近隣に人が越してきたので自粛してる。
(未熟でごめんなさい)

つまり自分の想定してなかったことでつまづいた時とかかな。誰も悪くない。
(むしろ俺が悪い? 悪くはないよね)
後ろからいきなりクラクション鳴らされたりするのも、ほんと、怖いからびっくりするから、スーパーハンマーでその車を叩き壊したい!!!ってのは少し大袈裟だけど、5秒ぐらい、動きとまるから本当きらい。人の大きな声もやだ。怖いし。人の名前を呼ぶのはいいけどさ、呼びつける、のはどうかなー?って思う。自分が行けよって思う。
でも自分が行けない事情があるから、呼ぶのかも。
余裕がなさすぎて「呼びつけて」しまうのかも。

(あー、めんどくせー、人間なんかなら最初からいなきゃいいのに、ってちょっと、思った。でも取り消す。そんな風な極端な考えは、逃げだ。投げ出して楽な方に逃げてるだけだ)

違う世界に来たって思った方がいい。実際に違う世界だ。
経験してきたことが違う、親や教師の振る舞いが違う、気候が違う、言葉が違う、宗教が違う、価値観が違う、思考回路が違う、民族や国籍の多様性が桁違う、

だから、「自分の希望する世界の姿」と違うからってイライラしても仕方がないのだ
自分が望んでわざわざ違う世界に来ただけだ。
(そもそもどこにいても、自分の家でさえ家族の大きな声、特に人を呼びつけるが嫌だったけど)
今ある現実と自分の希望する世界とのギャップの埋め方を知ってるなら埋めればいい、
知らないなら考えたり相談したりすればいい。
周りの人々や生き物の理想の世界と談合しながらね。
そう、話し合う必要がある
それを、平静に淡々とこなすだけ。

それか、もう、他者といちいち話し合ったり調整しあったりしなくていい居場所を
いっそ探してしまいたいけど。

宗教について
なぜ勧誘される?
俺がはっきりと「僕は信徒にならないよ」と言わないからかもな
「私を変えようとしないでください」
「あなたの思う『正しさ』を私に押し付けないでください」
とはっきり言ったほうがいいんだろうな。
でもそれを、怖いと思ってる。

組織は守りすぎてくれなくてもいい
もっと大切なのは
戦いの準備を、訓練をすること
戦いといっても、拳をぶつける戦いじゃないもちろん
問題立ち向かってどのように対処するのか
自分の心の動揺にどのように対処するのか
そういう訓練・心構えが大切

違う世界にやってきたのだから
戸惑うことはたくさんある
2200年から日本にやってきた人はきっと
「ホウ酸ダンゴ」とか「カエルの解剖」とか「牛の搾乳」とか
そういうのをみて
「なんて残酷な、本当にこの人たちは 人間 なのか!?」
と目を疑うかもしれない
(未来人じゃなくてもそのような声を上げる人たちはすでにたくさんいる)

21th. Feb. 2020

2020-02-22 03:33:26 | homo - 人間
(自分は「正し目」なことを言いがちな傾向はあると思うので、
それは、今苦しんでる人を責めるつもりではない、それでも
追い込んでしまうことになるのかもしれない
自分にとって苦しいことから抜け出すための良い道筋が
他の人にとっても良い道筋とは限らない)

今は本当にいい機会なんだと思う。
なんで世界でこんなにたくさんの衝突や紛争がなくならないのか
いじめや差別がなくならないのか

違う世界にやってきて暮らしている今だから、気づくことがある
(もちろん嫌な気分になることはある
それを無理してポジティブな力に変換しようとがんばらなくてもいい)

なんで人は、人の意見や価値観は対立するのか
「多様性最高!」って日本にいる時思ってたけど、
「多様性」や「自由」が美徳じゃない
「統一」「唯一の道」そういうのを絶対的に信奉して他人にも広めることが素晴らしいと思ってる人たちがいる。
「育ってきた環境が違うから」言ってしまえばそうかもしれない。
ともかく、こんなにも人は違う世界を生きている
文字通り異なる体を通して、心を通して
違う世界を見て感じて、違う世界を生きている
価値観はぶつかり合うし、「普通」や「当たり前」がぶつかり合う

嫌なことがあったときに、ただ落ち込んだり怒ったりするんじゃなくて
なんでそんなふうになるのか、理想と現実のギャップあるいは、
自分の理想と他者の理想のギャップ、それを埋めたり解消したりするには
どうしたらいいのか、こちら側からの一方的な提案や解決ではなく、
相互に、みんながハッピーになるための道はあるのか、それを
独りよがりでなくて、話し合いながら考えたり、試したり、
逃げないで。
嫌な気分を適当にごまかしたり、別のことで紛らしてしまわないで。
(でも自分を守るために、そういう晴らし方が必要なこともあると思う)

でも動揺したり、落ち込んだり、怒ったりしなくてもいい
それが出来れば一番いい。
どんな嫌なこと、ネガティブな力が向かってきても、この自分が、それを正面から受け止めて、動揺する必要はないんだ。
理想の状態(それは一人一人違うかもしれないけど)と現実のギャップを埋めるために、どうしたら「良く」なるか考えて、平静に対処したらいい
(これが淡々と行えたらもうお釈迦様かもしれないけど!!)

僕らは同じ世界を感じていない、僕の感じていること、あなたが感じていること
他の色んな人々の感じること
生き物たちの感じる世界もある

雨は空から地に落ちる
ライオンは鹿を追って生肉を喰らう。
鹿は草を食べる。
光は直進する
原子核の周りを電子がグルグル回ることも、
人間が下らないことに楽しみを見出すことも。

「そういう風にできている」

だと思います。
そういう風にできているのだから、それは、どうしようもないこと
良くも悪くもない

でも、みんなが幸せになれるように変わる道があるなら、変わっていけばいいなー、と、思う。そのために自分ができることがあるならやればいい、淡々と。


どんな時にイライラする
俺はイヤホンのコード自分の膝とかテーブルとかカバンとかに引っかかって耳が引っ張られたりする時と、コーヒーなどの汁物をひっくり返してしまったときは、最強に「きぃーっ!!!!!」って「うきゃー!!!」って叫びたいです。叫んでたけど最近隣に人が越してきたので自粛してる。
(未熟でごめんなさい)

つまり自分の想定してなかったことでつまづいた時とかかな。誰も悪くない。
(むしろ俺が悪い? 悪くはないよね)
後ろからいきなりクラクション鳴らされたりするのも、ほんと、怖いからびっくりするから、スーパーハンマーでその車を叩き壊したい!!!ってのは少し大袈裟だけど、5秒ぐらい、動きとまるから本当きらい。人の大きな声もやだ。怖いし。人の名前を呼ぶのはいいけどさ、呼びつける、のはどうかなー?って思う。自分が行けよって思う。
でも自分が行けない事情があるから、呼ぶのかも。
余裕がなさすぎて「呼びつけて」しまうのかも。

(あー、めんどくせー、人間なんかなら最初からいなきゃいいのに、ってちょっと、思った。でも取り消す。そんな風な極端な考えは、逃げだ。投げ出して楽な方に逃げてるだけだ)

違う世界に来たって思った方がいい。実際に違う世界だ。
経験してきたことが違う、親や教師の振る舞いが違う、気候が違う、言葉が違う、宗教が違う、価値観が違う、思考回路が違う、民族や国籍の多様性が桁違う、

だから、「自分の希望する世界の姿」と違うからってイライラしても仕方がないのだ
自分が望んでわざわざ違う世界に来ただけだ。
(そもそもどこにいても、自分の家でさえ家族の大きな声、特に人を呼びつけるが嫌だったけど)
今ある現実と自分の希望する世界とのギャップの埋め方を知ってるなら埋めればいい、
知らないなら考えたり相談したりすればいい。
周りの人々や生き物の理想の世界と談合しながらね。
そう、話し合う必要がある
それを、平静に淡々とこなすだけ。

それか、もう、他者といちいち話し合ったり調整しあったりしなくていい居場所を
いっそ探してしまいたいけど。

宗教について
なぜ勧誘される?
俺がはっきりと「僕は信徒にならないよ」と言わないからかもな
「私を変えようとしないでください」
「あなたの思う『正しさ』を私に押し付けないでください」
とはっきり言ったほうがいいんだろうな。
でもそれを、怖いと思ってる。

組織は守りすぎてくれなくてもいい
もっと大切なのは
戦いの準備を、訓練をすること
戦いといっても、拳をぶつける戦いじゃないもちろん
問題立ち向かってどのように対処するのか
自分の心の動揺にどのように対処するのか
そういう訓練・心構えが大切

違う世界にやってきたのだから
戸惑うことはたくさんある
2200年から日本にやってきた人はきっと
「ホウ酸ダンゴ」とか「カエルの解剖」とか「牛の搾乳」とか
そういうのをみて
「なんて残酷な、本当にこの人たちは 人間 なのか!?」
と目を疑うかもしれない
(未来人じゃなくてもそのような声を上げる人たちはすでにたくさんいる)