「外は春の雨が降って僕は部屋でひとりぼっち」 と歌ったのはマーシーことブルーハーツの真島昌利
昨日の朝は気仙沼にいて、今は東京の傘。
人生なんて一瞬の夢であろう、ああそうであろう。
「だから親愛なる人よ その間にほんの少し 人を愛するってことを しっかりとつかまえるんだ」 って歌ったのもマーシー
愛する人がいるあなたは幸せです。愛する人を大切に、腕の中であろうが、遠い空の下であろうが。
愛するひとがいないあなたも幸せです。いつか愛するひとに出会うでしょう。 。。。ってソクラテスか!(つっこみ)
その日まで、素敵な自分を、もっと素敵な自分を実現したいですね。
ああ、今夜は、雨が降って、妹よ、お前の木琴がきこえないよ、私の他には誰も知らないが。。。。 そんな詩がありましたね。
愛する妹を戦争で無くした兄が、空のお星様になった妹を思う詩です。
もう2度と会えない人に対する愛は、いったいなんなんでしょう?
自分だけのものなのでしょうか?
愛する人が死んでしまうのが悲しいですか?
自分が死んでしまって愛する人が悲しむことの方が悲しいですか?
だとしたら、愛する人が死んで僕が悲しむ、ということを愛する人が悲しむことの方がもっと悲しいですね。。。。って切りがないですね。
だとしたらその悲しみは等価なのかもしれません。
之を哲学の専門用語では「超越論的還元」と言います。言わないかもしれませんが。
僕は、10月、長野を自転車で走っていました。山に登ったり、河原で寝込んだり、風に吹かれたりしながら。
僕は、11月、何をしいただろうか?あまり覚えてないけど、多分、持久トレーニングとかしてたと思います。お酒もよく飲みました。
僕は、12月、気仙沼で「ボランティア」と呼ばれる活動をしていました。具体的に、仮設住宅を訪問して、そこに住む人々とおしゃべりしたりしていました。
ひと月も気仙沼にいて、イライラすることがほとんどなかったことが、驚きです。
僕はいつも、イライラ人に当たり散らしてばかりいるから。
友達がいっぱいできました。僕は寂しかったです。友達があまりいないと思ってました。
僕が心を開いたら、友達はすぐそこにいたのかもしれないです。
だけど、僕は心を開かなかったの。
だけど、僕でも、心を開くことができたのは、
素敵な人たちのおかげなんです。
素敵な優しい人たちにたくさん出会えたおかげなんです。
年齢も性別も関係なくて、彼らは、こだわりがなくて、僕に優しくて、厳しくて、素直なんです。
僕のつまらない行為に感謝して、「ありがとう」って言ってくれるんです。僕は嬉しかった。
だから、僕も、素直に「ありがとう」って、前よりは言えるようになりました。
昔はかっこつけて、寡黙をきどってたけど、
本当は、心を開いて傷つくのが怖かっただけです。心を開いて受け入れられないことが怖かっただけです。
もちろん心を開いても受け入れられないこともあります。
だけど、俺が心を開く前から、もう、受け入れてくれるような優しくて、素敵な人たちもいます。
俺より一回りも若い若者たちや、
小さい子供なんて、本当に何のこだわりもなく、心を開放しています。
だからもう、自分が傷つくとか、相手の考えがわからないとか、そんなのはもう、小さなことです。
幸せになりたかったら、幸せを広げて行けばいいです。
自分が幸せになりたかったら、誠意を持って、真心を持って、接すればいいです。
相手にとって、みんなにとって、何が一番幸せか想像してみたら、きっと自分も幸せです。
幸せな世界の中で、不幸になんてなれないよ。
人のせいにしない、環境のせいにしない、幸せになりたかったら、全部自分のせいにしよう。
自分の力でなんとかしよう。
でも、頼ってもいいよ。
ひとりで生きて行けなくなってしまったら
ひとりにならないように生きて行くってのもありでしょ?
みんなが気持ちよければいいんだから
「布団で寝ているやつより、新聞飲んでるやつより、女と寝ているやつより、牛乳飲んでるやつより
誰よりも気持ちE!」
って歌ったのは、幸せを知っている人、忌野清志郎
僕の親愛なる先生、友達。。。。。あったこと無いけど 笑
会いたいな。。。
あなたの笑顔を見ていると、なんだか、すべてが、幸せに見えてくる
あなたのように笑っていたら、みんなが幸せになれる気がするよ。
忌野清志郎、ジョンレノン、hide、アインシュタイン、三浦知良、僕の大好きな人たちです。
「あなたのお父さん、お母さんはきっととても、立派な方なんでしょうね
あなたみたいな、優しい息子さんがいて」
そういって、泣いてくれた方がいました。
ぼくは、全然優しく何かないよ、偽善者だよ、全部下心だよ、
でも、
父と母がほめられるなんて、感謝の極みです。
自分の行為で自分の周りの人が感謝されるならば、もう、ほんと、幸せすぎる。
昨日の朝は気仙沼にいて、今は東京の傘。
人生なんて一瞬の夢であろう、ああそうであろう。
「だから親愛なる人よ その間にほんの少し 人を愛するってことを しっかりとつかまえるんだ」 って歌ったのもマーシー
愛する人がいるあなたは幸せです。愛する人を大切に、腕の中であろうが、遠い空の下であろうが。
愛するひとがいないあなたも幸せです。いつか愛するひとに出会うでしょう。 。。。ってソクラテスか!(つっこみ)
その日まで、素敵な自分を、もっと素敵な自分を実現したいですね。
ああ、今夜は、雨が降って、妹よ、お前の木琴がきこえないよ、私の他には誰も知らないが。。。。 そんな詩がありましたね。
愛する妹を戦争で無くした兄が、空のお星様になった妹を思う詩です。
もう2度と会えない人に対する愛は、いったいなんなんでしょう?
自分だけのものなのでしょうか?
愛する人が死んでしまうのが悲しいですか?
自分が死んでしまって愛する人が悲しむことの方が悲しいですか?
だとしたら、愛する人が死んで僕が悲しむ、ということを愛する人が悲しむことの方がもっと悲しいですね。。。。って切りがないですね。
だとしたらその悲しみは等価なのかもしれません。
之を哲学の専門用語では「超越論的還元」と言います。言わないかもしれませんが。
僕は、10月、長野を自転車で走っていました。山に登ったり、河原で寝込んだり、風に吹かれたりしながら。
僕は、11月、何をしいただろうか?あまり覚えてないけど、多分、持久トレーニングとかしてたと思います。お酒もよく飲みました。
僕は、12月、気仙沼で「ボランティア」と呼ばれる活動をしていました。具体的に、仮設住宅を訪問して、そこに住む人々とおしゃべりしたりしていました。
ひと月も気仙沼にいて、イライラすることがほとんどなかったことが、驚きです。
僕はいつも、イライラ人に当たり散らしてばかりいるから。
友達がいっぱいできました。僕は寂しかったです。友達があまりいないと思ってました。
僕が心を開いたら、友達はすぐそこにいたのかもしれないです。
だけど、僕は心を開かなかったの。
だけど、僕でも、心を開くことができたのは、
素敵な人たちのおかげなんです。
素敵な優しい人たちにたくさん出会えたおかげなんです。
年齢も性別も関係なくて、彼らは、こだわりがなくて、僕に優しくて、厳しくて、素直なんです。
僕のつまらない行為に感謝して、「ありがとう」って言ってくれるんです。僕は嬉しかった。
だから、僕も、素直に「ありがとう」って、前よりは言えるようになりました。
昔はかっこつけて、寡黙をきどってたけど、
本当は、心を開いて傷つくのが怖かっただけです。心を開いて受け入れられないことが怖かっただけです。
もちろん心を開いても受け入れられないこともあります。
だけど、俺が心を開く前から、もう、受け入れてくれるような優しくて、素敵な人たちもいます。
俺より一回りも若い若者たちや、
小さい子供なんて、本当に何のこだわりもなく、心を開放しています。
だからもう、自分が傷つくとか、相手の考えがわからないとか、そんなのはもう、小さなことです。
幸せになりたかったら、幸せを広げて行けばいいです。
自分が幸せになりたかったら、誠意を持って、真心を持って、接すればいいです。
相手にとって、みんなにとって、何が一番幸せか想像してみたら、きっと自分も幸せです。
幸せな世界の中で、不幸になんてなれないよ。
人のせいにしない、環境のせいにしない、幸せになりたかったら、全部自分のせいにしよう。
自分の力でなんとかしよう。
でも、頼ってもいいよ。
ひとりで生きて行けなくなってしまったら
ひとりにならないように生きて行くってのもありでしょ?
みんなが気持ちよければいいんだから
「布団で寝ているやつより、新聞飲んでるやつより、女と寝ているやつより、牛乳飲んでるやつより
誰よりも気持ちE!」
って歌ったのは、幸せを知っている人、忌野清志郎
僕の親愛なる先生、友達。。。。。あったこと無いけど 笑
会いたいな。。。
あなたの笑顔を見ていると、なんだか、すべてが、幸せに見えてくる
あなたのように笑っていたら、みんなが幸せになれる気がするよ。
忌野清志郎、ジョンレノン、hide、アインシュタイン、三浦知良、僕の大好きな人たちです。
「あなたのお父さん、お母さんはきっととても、立派な方なんでしょうね
あなたみたいな、優しい息子さんがいて」
そういって、泣いてくれた方がいました。
ぼくは、全然優しく何かないよ、偽善者だよ、全部下心だよ、
でも、
父と母がほめられるなんて、感謝の極みです。
自分の行為で自分の周りの人が感謝されるならば、もう、ほんと、幸せすぎる。